閑話:とあるプレイヤーたちの話・7
とある貴族トラベラーのナナミ
人生の転換期と呼ばれるものにぶち当たったとき、それまでの自分を捨てることはとても勇気のいることだ。
今までの安定を捨ててまで、その新しい道をたどる意味はあるのか。多少窮屈だったとしても、今までと同じように生きるほうが無難ではないか。そう思って新たな選択肢を選ぶことをためらう、そんなことも人生にはよくあることであると思う。
だが、しかし。
その時には目を閉じて、自らに問いかけて欲しい。
「それは、本当に貴殿のやりたいことなのか?」
その言葉を発したトラベラー、カイリもまた、最近リアルで大きな選択をした人間の一人である。彼は所属していたバーチャルアイドルの事務所をやめて、個人配信者として現在は活動している。
まあそもそも、バーチャル配信者として事務所に所属されたばかりの頃は、普通にゲーム実況で食べていたはずなのだ。それが同時期にデビューしたメンバーとなんとなく同じ企画に入れられることが多くなり、コラボ企画だとか合同配信だとかで何かと一緒くたにされ、気づけばアイドルグループとしてデビューさせられていたというか……。
テメー図ったなコノヤロー! ってな感じである。本意ではない。
そもそもカイリは歌とか踊りとか全然好きじゃないのだ。ちょっとでもズレると気になるではないか、音程とか振り付けとか。それがグループならなおさら、自分だけじゃなくてメンバーがズレるのも気になる。ストレスである。
だというのに仕事でストレスため続けるとかそんなのメンタルやられるではないか。バーチャルコンサート? 歌ってみた配信? 楽曲ストリーミング販売? 勘弁してください。
ただただゲーム配信とかロールプレイとかしていたかった、それだけで所属していた事務所だ。月々固定給+配信数や再生数に応じた歩合給が乗る給与形態も安定していてよかった。でも、流石にこれ以上は無理。
一応、デビューから1年くらいは頑張ってみたけど、アイドルやりたい他のメンバーと比べて自分の温度差がしんどい。色々考えた末に事務所を辞めるという決断をしたのも、貯蓄がそこそこあったから。やっぱりお金は生きていく上で大事なものだ。
安定した事務所をやめて、ある程度知名度のあった名前を捨てて、個人の無名配信者として再出発。
……まあ、よく踏み切ったな、と普通に思う。うまく行かない可能性もあるし、どのくらいの再生数を稼げるのか、広告収入や投げ銭がどのくらい入るのか、まるで未知数。それでもカイリに後悔はなかった。ストレスから開放されて好きなことができるのだから。
それに、事務所にいたとき仲良くなった友人たちとは、その後も付き合いがあるし。事務所とも方向性の違いで辞めただけなので、特に確執はないし。
個人勢としての配信第一弾を何にしようかなと考えていたとき、事務所の後輩が融通してくれたのが、「アナザーワールド:トラベラー」というゲームの先行体験会のチケットだった。
「先輩、個人勢になるんなら、やっぱ最初はインパクトとか大事っすよ! 話題性っす!」
「そうかなー? まあ頑張ってみますか」
深夜テンションでノリノリで考えたキャラ設定と、口調一人称その他。名前はシンプルに覚えやすく、配信にあたってはテーマカラーを1つ決めておいた方が良い、などなど。ロールプレイは大好きだし、今回はVRゲームということでしっかり演技ができる。ワクワクしながらキャラメイクを終えて、録画カメラをONにしてからゲームにログイン。
トラベラー貴族のカイリ様、爆誕である。
最初はとりあえず首都にたどり着くまでの決死行だったわけだが、ナナミに到着してからはそれなりに順調に過ごせている。街中にクエストがたくさん落ちているので、金策もそこそこ楽だ。貴族というからには良いものを身に付けなければ! とお金を稼いでいるものの、金稼ぎより貴族御用達の店に到達するまでが長い。
必要なのは人脈。特に貴族街に入ろうと思うと星級の知り合いがいなければ難しい。そして人脈のためには、とにかくクエストをこなすのが最も効率が良い。
というわけで、今カイリは公園のベンチに居る。うなだれた風貌の中年男性と並んで座り、持てるものの責務を果たすべく、その悩みと対峙していた。
「……難しいことをおっしゃいますね。私は、舞台装置を作ることも好きですよ」
「ふむ、言い方を変えよう。貴殿が一番やりたいことは何なのだ。役者ではないのか?」
「それは……」
言い淀む男は、ナナミの劇場が抱えている劇団の一つに所属している。
まあ自信なさげに背を丸めた地味で冴えない男である。舞台役者を目指して、戦後必死に演技を学んできたというその男だが、どうにも団内オーディションに合格できず、なかなか役をもらうことができない。そのせいでつい先日、劇団の団長から「裏方に転向しないか」と打診されてしまったのだ。
「貴殿はなぜそんなに背を丸めるのだ。背筋を伸ばし、己の歩いてきた今までの道に自信を持て」
「……それができれば、苦労はしないのですがね……」
「私は貴殿の演技が気に入っているのだがな。一度切り替えればあの演技ができるというのに」
そう、この男は決して演技が下手で裏方に回されようとしているのではない。むしろ演技力という意味では指折りだ。カイリも劇場で初めてこの男の演技を見た時は、素晴らしいと手放しで絶賛したくらいだ。その時の役は準主役級の脇役だったのだが、完全に主役を食っていたと思うくらい、舞台の上で存在感があった。
貴族のカイリ様は、貴族的なアクティビティにも積極的に参加している。観劇、絵画観賞、乗馬などなど。ナナミはそういう芸術活動が盛んな街なのだ。
故に、芸術家が数多く居住しており、彼らには様々な悩みがつきまとっている。スランプだとか、もっと良いアイデアがほしいだとか、納得のいく色が作れないとか、言葉の選びがどうのとか、実に様々だ。カイリは持てる者として、彼らの悩みと真摯に向き合い、ある程度の助言をし、その背中を押す活動に従事しているのである。
本当はお金を出してパトロンをやりたい、実に貴族っぽいので。しかし流石に今の稼ぎでは無理である。だが、必ずいつかはパトロンになって見せる……!
という野望を胸に、今日も芸術家たちの悩みと向き合っている。
「私は……本当に、観客が怖いのです」
役者が語ったのは、昔のトラウマについての話だった。
今でこそ熟練の役者である彼も、若い頃はまだまだ未熟と言われ、様々な批評にさらされてきた。戦後は特に勇者様たちを題材にした劇が人気があって、毎日どこかで青空劇場の幕が上がると言った調子だったらしい。
この男もそんなブームに乗っかり、主役級の役をもらって今日はこっち、明日はあっちと大忙しだった。しかし、そんな中で彼は思いがけない言葉を耳にしてしまう。
『今日の勇者役の人、なんだか頼りない感じでイメージ違ったなあ』
……それは、そんな、実に素直な名も知らぬ少女からの批判だった。偶然それを耳にした時は、そりゃあ批判もあるだろうなと聞き流したふりをしていたものの、その言葉は後になればなるほど男の心を蝕んだという。
別に、誰からも称賛される素晴らしい演技をしよう、とか、息巻いていたわけではない。食べ物に好き嫌いがあるように、演技にだって好き嫌いはあるだろう。たまたま彼女には合わなかった、それだけかもしれない。
だが、その役は男が初めてもらった大きな役で、男が一生懸命考えて、きっとこうだったのだろうと解釈を練り、必死で作り上げたものだったのだ。思い入れのあるそんな役を、専門家からの批評などではなく、ただの純粋な観客に否定されたことは、男にとって大きなショックだった。
一つ気になれば、あれもこれも気になる。
本来そんなものを気にしていたらきりがないのに、悪い評判にばかり耳と心が向いてしまう。当時の劇団の団長や先輩たちも、「批評は聞き流せ」と男に言ってくれたが、どうしてもそれができなくなってしまった。
男は日に日に観客に怯え、やがて舞台に立つこと、そのものが怖くなってしまう。
「それで、一度は、逃げたのです」
男は俯いてそう言った。
「劇場から離れたのかい?」
「はい。舞台袖に立つと震えるようになってしまって……精神の病だろうと。クルムに親戚がいたので、そちらの家にお世話になって、3年ほど向こうで子どもたちに簡単な文字や計算などを教える仕事をしていました」
クルムは信仰の街だ。内に溜め込んでいたものを吐き出す懺悔室もたくさんある。落ち着いていて穏やかなその街で、だんだんと男の心の傷も癒やされた。
戻れるだろうか。いや、しかし。
そんな問答を繰り返しながら日々を過ごしていた男に訪れた転機は、子どもたちの「おゆうぎ会」で劇をやったことだった。
専門の劇場が無いクルムでは、演劇に触れる機会が少ない。そんな街で、保護者参観日に少し変わった発表会をやりたい、と意見が出たとき、男の脳裏に浮かんだのが演劇だった。昔ナナミで演劇をしていたんだという話をしたところ、子どもたちが興味を示したのだ。
クルムに劇団は無い。
大道具も小道具も、舞台ですら手作りだ。
衣装は子どもたちの私服に装飾を施すくらいしかできないし、脚本は昔の童話などを元にして男が作り上げた。演出、指導、ライトの当て方まですべて男が中心になって決めていったのだ。考えることがあまりにも多くて、演劇をするときにどうしてすべての要素が分業になっているのかを理解した。
役者は全員子供だから、演技指導をしたとしてもあまりむずかしいことはできない。もっとこうしてみよう、ああしてみようと提案して、子どもたちがすぐに習得することもあれば、「お手本を見せて」とねだられることもある。そんな忙しい日々の中で、普段は男に反抗的な態度を取っていた少年が、彼にこう言ったのだという。
「先生、そんなに上手いんだから、役者やればいいのに」
と。
「私を舞台から遠ざけたのも観客の一言なら、私を舞台に引き戻したのも、そんな何気ない一言でした」
何気ない一言ほど残ることがある。
カイリもそれには身に覚えがあった。バーチャル配信者として、彼もまた様々な言葉をもらってきたからだ。酷いことをコメントされたこともあるし、絶賛されたこともある。彼の配信に対して、視聴者の反応は多種多様で、良いものも悪いものもそれこそ無限にあった。人間にはキャパシティがあるから、それらすべてを受け止めることはできないのだ。だからこそ取捨選択が重要となってくるわけで。
「貴殿は、その少年に胸を張って舞台に立っているところを見せるべきではないかね?」
「それが、できたら良いですね……」
「煮えきらないな。貴殿はまだ観客が怖いというが、観客の何が怖いのだ?」
「そう、ですね」
男はしばらく考え込んでから、やがてポツリと問に答えた。
「多分、これだと自分で納得して役作りしたものを、解釈違いで納得できないと言われるのが一番怖いのでしょう。自分の感性を信じられなくなる。役者としての足場が揺らぐ気がして」
「なるほど。それでも演技をしたいのだと解釈しても良いな?」
「……はい。その恐怖を抱えてもなお、私は……私は舞台に立ちたい」
よし、初めてしっかり言質を取った。その心意気さえあればよいのだ、それさえあるのならば。
「よし。私が昔やっていた方法を伝授しよう。トラベラーたちの世界で大変有名な方法だ。私も何かと目立つのでな、工夫は様々あるが、まずは意識を切り替えることからだ。つまりーー」
ディスプレイの向こうに居る無数の視聴者たち。
ステージから見下ろす無数の観客席。
それらは確かに敵にも味方にもなる流動的な存在だ。演者として、毎回異なるそれらの観客たちと向き合って行くには、この目の前の彼は繊細過ぎる。だが彼はそれでも演技をしたいと言った。その情熱を、舞台に立つ恐怖よりも常に上回らせる事ができれば良い。
我々は彼らの言葉が、目が、存在が怖いのだ。
であればこそ。
「つまりな、観客はすべてにんじんかじゃがいもだと思え」
「え」
数年後、とあるナナミの栄誉ある演劇賞を受賞した遅咲きの名俳優と呼ばれた男がいる。
受賞式の際、喜びのコメントを求められたその俳優は、爽やかなほほ笑みとともにこう言った。
「昔、さる高貴な方が助言をくださいました。緊張を解し、リラックスして演技と向き合うコツは、観客席は野菜畑だと思い込むことだと。それから私は変わることができました」……と。




