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28日目:大切な置き土産

「竜はな、堅固な存在じゃ。容易に傷をつけることはできぬ」

 ルーチェさんの声は凛と響き、まるで舞台俳優のようだった。ゆったりとした仕草で、ベッドサイドのサイドテーブルの上に置いてあった空っぽの木製のコップを手に取る。ルーチェさんが指をひとふりすると、そのコップには瞬く間に水が満ちた。

「どのような素材を使っても、皮膚は破れぬ。だが、例外はある。なんだか分かるか?」

 静かな問いかけに、僕はなんにも浮かばなかったけど、如月くんが小さく手を上げた。

「答えよ」

「はい。えっと……竜が堅固な存在なのだとしたら、竜を傷つけられるのは、竜なのではないでしょうか」

「うむ、賢いのう」

 にっこりと微笑んで肯定するルーチェさんである。如月くんさすがだなあ、多分イオくんも気づいてそうだけど。僕は全くそんなの思い浮かばなかったぞ。


 いたいのだめなのー。

 にゃー、と嫌そうな声を上げたテトに優しく微笑みかけて、ルーチェさんは「痛くはない」と否定する。

「我は白竜なのでな、特に傷の治りが速い。見てみよ」

 ルーチェさんはあくまでも穏やかに、自分の親指を噛んで見せた。ぷつりと小さな傷ができて、血が流れる。その血を一滴だけ水に垂らしてから、ルーチェさんは傷ついた指をひらひらと振った。

「見てみよ。治っておるじゃろう」

 すっと差し出された親指には、僕が見た時、傷はすでに無くなっていた。あれ? さっきちゃんと血が流れたよね? と思うくらいにきれいに治っている。

「え、すごい。白竜さんが特に傷の治りが速いというのはなぜですか?」

「聖光魔法を覚えると魔力の回復が早まるのでな。竜の体はほとんど魔力からできているのじゃ」

 なんでもないようにそんなことを言うルーチェさんだけど、これ多分初めて知られる情報な気がするなあ……。とぼんやり考えている僕の目の前で、ルーチェさんは持っていたコップをすっとサームくんに差し出した。


「サーム、飲むが良い」

「え」


 え。


 しんっと静まり返る室内である。

 は? え? と疑問しか渦巻いてない僕と、僕の真似っ子して首をかしげているテトさんはいいとして、こういう時理解の速いイオくんまでもが「は?」と訝しげに呟く大惨事だ。とりあえず全員の心は一つだろう。

 何がどうしてそうなった。

「な、ナツさん……!」

 助けを求めるように視線を向けるサームくんの方に、僕は反射的に足を踏み出してルーチェさんとの間に割り込んでみる。僕は……僕は小さい子の味方なのだ……! そしていつか必ずナツお兄ちゃんかっこいいって言われて見せる……!

「ルーチェさんストップ!」

「うむ?」

「まずは説明、説明からです! 今何でこれ飲ませようとしたんですか?」

「病を治したいのじゃろ? 必要かと思ったのじゃが……」

 OKこれ悪気ない! 完全な親切心! それはわかってたのでよいとする。でも確認しておかないといけないことがある。


「サームくんは昔竜の血を飲んだことがあるんだよね?」

「両親が竜の血だと言ってもってきたものは、はい」

「それは間違いない。サームからは我が番、火竜プロクスの魔力をかすかに感じるのじゃ」

 ルーチェさんのお墨付きなら間違いないと思われる。それが効果あったから今サームくんが生きているってことだと思うけど、ルーチェさんの血を飲ませることでもう一回同じように救おうとしてる感じ?

「で、でも。あの時両親が持ってきたのは、どう見ても普通の水でしたよ」

「うむ。我が番があの夫婦に助言したのでな。竜の血をそのまま飲み下しては、小さき子らには劇物となろう。ほんの一滴で良いのでな、それを薄めて飲ませるようにと」

「ああ」

 今ルーチェさんがやったやつだ。血を一滴薄めて……確かに一見ただの水だね。サームくんが目を丸くして言葉を失っているんだけど、今更ながらにその時の竜の血が本物だったと知ったからだろう。さっきからルーチェさんが正体を遠慮なくバラしてるんだけど、そこにはまだ気づいてないのかなもしかして。

 僕も流石にこの空気の中、「こちら聖獣のルーチェさんです!」は言えない。サームくんが冷静になって自動的に気づいてくれるのを待つとして……。

 えーと、えーっと。


 一人でテンパっていると、見かねたらしい如月くんがもう一度手を上げて発言してくれた。

「ルーチェさん。昔火竜さんの血を飲んでいても、サームくんの病気は完治したわけじゃないですよね。もう一度サームくんがルーチェさんの血を飲んだとしても、同じ結果になるんじゃないでしょうか?」

「そう、それ!」

 さすが如月くん! イオくんの次に頼りになる男! 僕もそれが聞きたかった!

 だって竜の血が薬のようなものなのだとしたら、昔火竜さんの血を飲んだときにサームくんは完治しているはず。でもサームくんは危険な状態から脱出できただけで、完治はしなかった。だから、その後も具合が悪くなることがあって、サームくんのご両親はもう一度血をもらいに旅立ったわけだ。

 つまり、竜の血って別に万能薬ではないってことだよね。

 そのへんどうなんです? って聞いてみたところ、ルーチェさんは「そうじゃの」と軽く肯定する。

「単独ではそこまで万能ではないのう。竜の血は高濃度の魔力を含むのでな、失った体組織を補うには役に立つが」

「失った体組織……」

「うむ。見たところサームは心崩症じゃ。心臓が崩れる珍しい病で、人が抱えるには多すぎる魔力を持って生まれた赤子に多い」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 ルーチェさんの言葉に慌ててインベントリから本を取り出す如月くん。タイトルは……「珍しい病気の症例と対策」、医療関係の本みたいだ。調薬スキル関連のイベントで手に入れたとかかな。

「えーと、心崩症とは、人が抱えるには大きすぎる魔力を持って生まれたために、魔力を生み出す源とされる心臓に負荷がかかり、バケツの底に穴が空くように心臓に穴が空いて魔力を垂れ流してしまう病気。現在有効な治療方法は見つかっておらず、この病気にかかるとヒューマンや獣人なら5歳までに、フェアリーやエルフでも10歳までには死に至ると言われている……だそうです!」

 その本をぺらぺらとめくって病気について調べたらしい如月くんは、該当項目を読み上げてくれた。ありがとう助かる。

 なるほどそういう病気だったから、サームくんの主治医さんは何度もサームくんに死を予言していたのか。もうちょっと言い方あるだろと思ってたけど、期待を持たせるほうが酷だから敢えてって感じ……?

「その、心臓の穴を、火竜さんの血で塞いでいるんですか?」

「うむ。まだ残っておるな」

「じゃあ、火竜さんの置き土産って」

「うむ。つまりな」

 ルーチェさんは大きく頷いて、自信に満ちた様子で言い切った。


「サームは我と我が番の子どものようなものとなるわけじゃ」

「いやそうはならんだろ」

 速攻ツッコミを入れるイオくんである。鋭い。

 だがしかし、ルーチェさんはふふんと強気の姿勢を崩さない。困惑し続けるサームくんの頭をわしゃわしゃと撫で回しながら、その手にコップを持たせている。

「竜の血は、それだけではせいぜいが魔力を補う程度の効力しかないのじゃ。だが、番である2匹の竜の血をどちらも取り込むとまた変わる。竜の番は強固に魂で結びつく存在なのでな、その血が両方合わされば、文字通り何にでもなれる」

 優しく目を細めたルーチェさんが、もう一度サームくんに「飲むが良い」と促す。それは飲んで欲しいと祈るような言葉にも聞こえた。


「我が番は、すでに血肉は灰となり、世界に散らばっておる。じゃが、ここにな。サームの心臓に、ほんの僅か、残っておるのじゃ。素晴らしいことじゃ」

「ルーチェさん」

「5年も番を待たせていたとは不甲斐ない。さあ、飲むのじゃサーム。我が血を我が番の下へ届けておくれ」

 ふと、あの火山の洞窟で、堂々たる骨になっていた立派な竜を思い浮かべる。長い眠りにつき、世界を巡る魔力となるルーチェさんの番。その骨に寄り添い、慈しむようにすり寄っていたルーチェさんの眼差し。

 今、サームくんを同じような眼差しで見ているな、とわかった。どこまでも慈愛に満ちた、底しれぬ雄大な愛を紡ぐ瞳だ。

 多分、無償の愛に近いものなのではないか、と感じる。例えるならば、家族へ向けるような。


 戸惑いながらも僕を見上げたサームくんに、だから、僕は小さく頷いた。飲んだほうがいいと思う。サームくんが生きて、ルーチェさんとプロクスさんがまた強固に結びつくのならば。

 僕が頷いたことでサームくんも決意が固まったのか、じっとコップを見つめてから思い切ってそれに口をつけた。ごくりと飲みくだされていく水。思い立って心のなかで<魔力視>を唱えてみる……音声入力の方が楽なんだけど、今ここで何か言ったら雰囲気がぶち壊しだし。思考入力はたまに失敗もするからあんまり好きじゃないけど、今回はうまくいった。

 まるで光の塊のようなルーチェさんを視界の死角に追いやって、サームくんを見る。コップがルーチェさんの魔力色の、金色がかった白い光をまとっていて、それがサームくんの口から体内へとくるくると渦を巻くように飲み込まれていく。

 サームくんの心臓のあるあたりには、弱々しいけれども確かに赤く輝く魔力の塊がくっついている。ルーチェさんの魔力は、一直線にそれに向かっていった。


 2つの魔力が、瞬く間にふれあい、緩やかに、確かに、混ざる。

 くるくると、ルーチェさんの魔力が喜びのあまり踊っているかのように、美しく円を描いている。


「……味はしないんですね」

 やがて沈黙を破ったのは、不思議そうなサームくんの声だった。

「前のは、なんだか……喉が焼けるような熱さを感じたんです、けど」

「性質ゆえにな。我が番は世界一格好の良い火竜じゃからのう」

 ルーチェさんはケラリと笑って、サームくんの心臓で踊る2つの魔力を見つめて、嬉しそうに目を潤ませた。それから大きく両手を広げて、少年の小さな体を抱きしめる。

「よく生きた」

 優しい声で、ルーチェさんはサームくんをいたわる。彼が病気と戦ってきた約10年間を、丸ごと肯定するような響きだ。

「汝、そして汝の両親のめぐり合わせがあればこそ、今、我は再び我が番と添うことができる。奇跡のような気分じゃ。竜の番を死後にも巡り合わせるなどと、今まで成したことのある子らはおるまいよ」

 何を言われているのかわからないとでも言うように、サームくんはぱちりと瞬きをする。年齢よりも小柄なサームくんが、ますます幼く見えるような仕草だった。


「誇るがよい。汝は聖獣の願いを叶えし者じゃ。その恩に報いるために、我も汝の願いを叶えよう」


 ルーチェさんが微笑む。

 それは、なんだか宗教画を見ているような気分になる、慈愛に溢れた表情だった。

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