27日目:竜は巡る
小さい頃、お父さんに連れて行ってもらった博物館で、巨大な恐竜の化石を見たことがある。
まだ小学生にもならない頃に見上げたあの恐竜の骨は、僕なんか一口でぺろっと食べられてしまいそうなくらいに大きく見えた。この骨が生きていたらどんな恐竜だったのか、それを思うとすごくわくわくしたものだ。
今眼の前にある火竜さんの骨も、どちらかというと、その時の気持に近い印象を受けた。ゲーム内のことだから感覚を制御されているのかもしれないけど、生々しい死というよりは、歴史を垣間見るような気持ちで、それに向き合っている。
ねてるのー?
無邪気に問いかけるテトには、死ぬってこと、よくわからないのかもなあ。なんだかずっと長い事テトと一緒にいるような気になってるけど、実はまだ生まれてからそんなに経ってないもんね。
『そうよのぅ、我が番は眠りについておる。永い永い眠りになろうが、竜とはそういうものじゃ』
おねぼうさんなのー?
『ふふ、そうじゃのう。居眠りは好きじゃったよ』
テトは不思議そうに瞬きをして、ルーチェさんとプロクスさんを交互に見た。穏やかなルーチェさんの物言いはどこまでも優しく、心地よい声だ。僕はその声に押されるように、火竜さんの亡骸にマギベリーを供えた。どうぞ安らかに、と祈ってから、ふと気づく。
……そういえば、このゲーム始まってから、骨を見たのって初めてだ。
「……あの!」
思わずルーチェさんを見上げる。
「もしかして、聖獣さんは炎鳥さんには……」
質問しようと思ったけど、焼かれないのか、ってちょっと失礼な言い方かもしれない。えーと、もっとソフトな表現……語彙力がないな僕! なんにも浮かばない!
口をぱくぱくしている僕を見かねたのか、イオくんがすっと前に出てきて、僕の代わりに質問を請け負ってくれた。
「聖獣は埋葬をしないのか?」
そ、それ、そういうの! イオくんもストレートな言い方だけど、炎鳥さんの炎に焼かれないんですか? よりはだいぶマシ! さすがイオくん頼りになる!
僕がイオくんを拝んでいると、如月くんがなにか呆れたような気配がしたけど多分気の所為です。気の所為ということにしておくんだ……!
『埋葬というと、小さき子らがやるものじゃな。墓標を建てて死者を弔うのじゃったか』
「ああ。それに、住人たちは死んだら炎鳥の青い炎に焼かれると迷わず川に行けると言うが」
『炎鳥か。以前はよくここにも遊びにきたものじゃ。戦のせいで数を減らしてしまったのぅ』
懐かしむようにルーチェさんの眼差しが細められ、それから僕とテトの方をちらりと見た。テトさんはいつの間にか火竜さんの骨の前にちょこんと座って、「はじめましてー、テトだよー」とご挨拶をしている。なんてえらい。と思っていたら、ルーチェさんも小さく笑ったようである。
『テトとやら。我が番は深く眠っておるのじゃ。こちらへおいで』
おねぼうさんおきないー?
『しばらく起きぬなぁ』
ごあいさつしたかったのー。ざんねんー。
てててっと戻ってきたテトは、相変わらず僕の右側にぴとりと寄り添う。ご挨拶したかったねえ、僕も残念だよ。それはそれとして挨拶しようという心意気がとてもえらいので撫でます。
にゃふー。
僕がわしゃわしゃ撫でると、テトは満足そうな表情である。じゃれ合っている僕達の隣で、イオくんはルーチェさんとつつがなく会話していく。
『炎鳥の炎では、神獣や聖獣を焼けはせぬよ。あれは小さき子らのために使われる力じゃ、巨大な存在が消費してはならぬ』
「そうなのか。土に埋めたりは?」
『せぬなぁ。竜はそれでよい。我らは川には行かぬのじゃ、標も必要とせぬ』
「そうなのか」
『そうでなくば、我らのような巨大な存在が川に浸かっては、水が溢れて岸も沈んでしまうじゃろう。我らは小さき子らのためにも、川へ行ってはならぬのじゃ』
「それなら、竜はどう弔うんだ?」
イオくんの質問に、ルーチェさんは少しだけ微笑みを深めた。それから隣の火竜さんの骨を愛しげに見つめる。
『死ぬと肉は腐り落ちて、骨だけになって、そこから永い時間をかけてやがて砂のようになる』
ろうろうと歌うように、柔らかな声が言う。
『雨が降れば大地に沈み、風が吹けば大気に舞うであろう。川に流れて遠くまで行くやもしれぬ、火にあぶれて更に細かくなることもあるかもしれぬ。竜の欠片はそのようにして世界中に在る。どこにでも居る。汝らの見る景色を、同じように見ている。竜とはそういうものじゃ』
つるりとした火竜さんの骨に、ルーチェさんは小さくすり寄る。子猫が親猫に甘えるような仕草だった。
『やがて竜の欠片は、どこか魔力の溜まり場にどこからともなく集まって、そこで永い時間をかけて少しずつ形になる。それこそ、気の遠くなるような時間をかけて、小さき子らが何回も代替わりをするくらいの時間の果に、また竜の卵として世界に生まれるのじゃ。竜の番にはそれがわかる、己の番が生まれたことが、はっきりとわかる』
すり、ともう一度骨に頬ずりしたルーチェさんは、夢見るようにそう告げた。おとぎ話を語るような口調だったけれど、きっと、竜にとってはそれが真実なのだろう。
『我らが弔いは、寄り添うことじゃ。その肉体が失われ、灰となってすべての欠片がこの地を去ろうとも。いずれ再び巡りくる再会の日まで、思い出に寄り添い、世界に寄り添う。竜とは、そういうものじゃ』
壮大な話だなあ、と僕は思う。ルーチェさんが再び火竜さんに巡り会えるまで、どれくらいの時間がかかるのかわからないけれど。ただなんとなく、世界に寄り添うっていう言葉はすごくきれいな表現だな、と思った。この世界の聖獣さんたちは、世界に寄り添っているから、穏やかなのかもしれない。
ちょっとしんみりするけれど、悲壮感がないのは良かった。穏やかにすべてを受け入れている感じというか。
「スケールが大きい話ですね……」
しみじみと呟いた如月くんにルーチェさんは、空気を切り替えるようにころころと笑ってみせた。
『さて、さて。異界から来た子らよ。汝らは我に用があってきたのじゃろう? そろそろそちらを聞かせておくれ』
……そうだった。えーっと、忘れちゃいけないサームくんのクエスト! まずは、以前ここに誰かが血を貰いに来たかどうか、事実確認からだ。
「ええと、僕達の知り合いの子どもの話なんですが。その子のご両親が、病気を治すための治療薬として聖獣さんの血をどこからか手に入れてきたことがある、らしくて」
『ほう』
「本当に聖獣さんの血を入手していたのだとしたら、誰からもらってきたのか、その足跡を追っているんです。心当たりはありませんか?」
まあそんなにすぐに見つかるとは思ってないんだけど、聖獣さんって数は少ないみたいだし、そんなことがあったら聖獣さんたちの間で噂になったりしてないかなー? って気持ち。サームくんのご両親はサンガからゴーラの間で正道を外れたらしい、っていう推測があるから、一番近いのはここだ。
でも、ここまで来るとなると、山道を登らないといけない。道迷いの呪いがある住人さんたちが、ただ迷って闇雲に歩くにしては、きつい道だと思うんだよね。
実際にある程度登ってみたからわかるんだけど、ここまで来る道は決して優しい道じゃない。テトがいなかったら僕なんて半分も進めなかっただろうし。
と、そんなことを考えていた僕に、ルーチェさんはあっさりと頷いた。
『ふむ。あるな』
「……えっ?」
『うむ。あるぞ、心当たり』
「お、おお?」
まさかの即肯定である。
「まさか、ルーチェさんが血を?」
『否。5、6年程前の、ちょうど我が番が世界になったその年じゃ。小さき子らの男女が麓のあたりに迷い込んでのぅ。その頃は、我もいつ番が眠りにつくかわからぬと、気が立っておったのでな。すぐそこに死にそうな命が在るのが耐えられぬと、助けに行ったのじゃ』
男女! これはもう確定かな。ルーチェさんが自ら助けに行ったのなら、ここまでたどり着けたのも頷けるし。
「魔物に襲われていたんですか?」
如月くんもするっと会話に混ざってきた。イオくんは……テトをわしゃわしゃしている。もう役目は終わったと言わんばかりだなあ。
『うむ。あの頃は今よりも魔物が多くてのぅ。正道を外れては、生きて戻るのは難しかったじゃろう。とはいえ、我が攻撃をしては大地をえぐってしまうのでな。こう、爪に引っ掛けて、ひょいと』
「クレーンゲーム……!」
「ナツさんその発想はちょっと……!」
でもそれしか浮かばなかったよ如月くん! 大抵のゲームセンターではアームが弱くて全然引っ掛けられないけれども! イオくんまた変にツボッてるじゃん、テトに埋もれて笑ってるし。テトこそばゆそう。
えーっと、それよりもお話の続きをですね……。
「ええと、その男女を助けてからは……?」
『うむ。あの日は番が珍しく起きておったのでな。揃って話を聞いてやったのじゃ』
ルーチェさんが言うには、その男女は夫婦で、子どもが病気にかかっているという。元気になるように様々なことを試したが、どうにもならず、今も生死の狭間を彷徨っているという。聖獣は長生きで物知りなので、なにか病に効くような薬を知らないか、と最初はそんなことを聞かれたのだそうだ。
『とは言うても、そんなものに心当たりがあるならば我らが先に使っておるわ。小さき子らと我らでは体の作りも異なるものじゃ、思いつくものは何もなかった、が』
「が?」
『我が番がのぅ、妙なことを言い出しおって』
ふう、と息を吐いたルーチェさんの表情は、懐かしむような穏やかなものだった。仕方がないなあ、とでも言うような顔。これ知ってる、よくイオくんが僕に向ける慈愛の眼差し……!
『血を分けてやろうと言い出したのは、我が番じゃ。我はそんな物を飲ませて子らの毒になったらどうすると反対したのじゃがな、あの夫婦も藁にも縋りたかった様子でのぅ』
「ほ、ほんとに分けてあげちゃったんですか、血を……?」
『正気とは思えぬじゃろうて。我もあの時ばかりは呆れ果てたものよ』
いやほんとになんでそうなった。サームくんのご両親も、なんでそれでもらってったんだと思う僕である。ちょっと事実を必死に咀嚼していると、イオくんがようやく笑いから復帰してきた。
「炎鳥のことも在るし、火には再生のイメージがあるから、効くのを知っていたのかもしれないぞ」
さらっと会話に混ざってくるイオくん、笑いながらしっかり会話を聞いていたようだ。さすがイオくん、処理速度が早い。賢い!
『そうじゃの。番は我よりもずっと長生きじゃった故、何やら我の知らぬ知識があったのかもしれぬ。……そういえば、何やらひどく楽しげであったのぅ。あの頃には体が辛いと表情を曇らせていたから、あの日は久しぶりに番の笑顔を見た、と……』
そこまで言って、ふとルーチェさんは瞬きをした。
『そういえば、不思議なことを言っておった』
「不思議なことですか?」
『うむ。未来への置き土産じゃ、と』
「置き土産……」
それは、もしかして、もしかすると。
冷静に考えよう。火竜さんは自分の血を差し出した、おそらくその血になにか力が在ることを知っていたはず。それを飲んだサームくんは、5歳の頃死の淵から戻ってきた。火竜さんの血にはそれだけの力があったのだ。つまり。
「ルーチェさん」
別に確信が在るわけじゃないけど、多分、これは伝えておいたほうがいい。
「火竜さんの血を飲んだ子どもは、今イチヤにいますよ」




