閑話:美味しいものは、美味しいうちに。
ピンポーンとインターホンが鳴った後、鍵を回す音がしなければナツで、音がしたら兄である。イオ、こと崎島伊織には、2人のよくできた兄がいる。
3兄弟は全員、顔立ちそのものは似ているのだが、浮かべる表情の違いや雰囲気の違いから、周囲からの評価がまるで異なるのだった。
長男の晴臣は社会人もすでに10年目、そろそろ両親から会社を奪い取る勢いでバリバリに働いているワーカホリックながら、兄弟の中でもダントツの物腰の柔らかさを備えている。穏やかな好青年と言われることが多く、人望が厚い。いつもにこにこしているからか、イケメンねえと言われることあっても近づきがたいとか言われることはない。今は絶え間なく持ち込まれるお見合い話を必死で断り続ける日々である。
次男の常磐は大学付属の研究室で医薬品の研究をしている研究者だ。髪もヒゲも伸ばしっぱなしのぼっさぼさなので全然モテないが、きっちりきれいに整えれば、伊織と常磐はよく似ている。浮かべる表情が乏しいのも共通点だが、常磐の場合は顔を隠すようにしているせいで、そのへんによくいるモノグサ研究者と周囲には思われていた。
そんな年の離れた兄2人に比べて、伊織は実に不器用だと思われていた。晴臣のようににこにことした雰囲気を武器に周囲を根こそぎ味方につけるのでもなく、常磐のように自分を覆い隠して煩わしさから距離を取るのでもなく。
自分を偽らず、恵まれているところを武器にもせず、ただそのままの自分のままで、人を寄せ付けない。そんな伊織を兄たちは心配して、必要以上に過保護に、必死に守ろうとしてきた。小学生の頃は常につまらなさそうにしていた伊織に、なんとか友人を作ろうと、あちこちに連れ出したりもした。弟が興味を持ちそうな物を探して紹介したり、少しでも弟が興味を持ったものは、待ってましたとばかりにあれこれと貢いだり。
兄たちは高給取りであった。
そして、弟に……というか、身内に激甘であった。
要するに崎島家の3兄弟は、それぞれ方向性は違えど、全員よく似たタイプなのである。
*
「こんばんはー! おじゃましまーす!」
勝手知ったるイオ宅。チャイムを鳴らして出迎えられたナツは、元気いっぱいで室内に上がり込む。すれ違いざまにイオが「冷蔵庫確認しとけー」と言うので、そりゃもうウッキウキでキッチンに向かった。
この家のどこに何があるかなんて、多分家主の次くらいに知っているのだ。
普段ならば人様の家で冷蔵庫を勝手に漁るなんてことはしないが、今回は家主から開けろと言われたようなものなので、遠慮なく開ける。この家の冷蔵庫は真っ黒でちょっとかっこいい。そして扉が両側から開く便利なやつだ。
ナツは毎回これを開けるたび、この扉外れて落ちたりしないのかなー? とちょっとだけ不安になるのだが、未だに落ちたことはないので大丈夫なのだろう。
一人暮らしのイオだが、この家には研究職の次男・常磐が良く泊まりに来るため、冷蔵庫には常に食材がたっぷりと入っている。その中央段に本日の主役とばかりに鎮座している白い箱に、ナツは一瞬で釘付けになった。
「……このシンプルでエレガントな箱は■◯駅徒歩4分のアトリエ・ヨリコ! フルーツタルトの専門店では!?」
「特定早いんだが」
「何をおっしゃいますかイオくん! このシンプルな正方形のはこの四隅に描かれた黄金のエンブレム、これを他の店の箱と見間違うなどということがあろうか! いやあるまい! ありがとう常磐さん、心から感謝!」
「送り主の特定まで早いんだが。常磐兄は今寝てるから起きたら伝えておく」
「よろしく!」
ひゃっほう! と即座にテンションを上げたナツの予想通り、これをこの家に持ち込んだのは常磐である。スイーツの趣味は晴臣とナツがほぼイコールなので、甘味の土産は晴臣が持ち込むことが多いのだが、なぜ常磐だとわかったのか。
不思議そうな顔をしたイオに、ナツが説明して曰く。
「アトリエ・ヨリコは常磐さんの研究室から徒歩5分の好立地!」
……なのだそうだ。
「ナツは自分の生活圏でもないのによく知ってんな……?」
「常磐さんにお店教えたの僕だし。あと晴臣さんなら、この時期季節限定を選ぶはずなので!」
「家の兄たちナツに把握されすぎでは?」
ちょっと得意げにふふんとしているナツに呆れた視線を向けつつ、まあそれも経験則かなあと思えば納得もする。この家に持ち込まれる甘いものは、すべて兄たちからナツへのお土産なのだ。何しろイオは特別甘いものを好んでいるわけではないので、この家の冷蔵庫にケーキなど入れておいてもスルーして腐らせる可能性がある。
その点、ナツがいれば確実に消費してくれるし。万が一ナツがこのケーキを食べなくても、常磐が明日研究室に差し入れすれば済む話なので。
兄たち、ナツに甘すぎんか?
とちょっと本気で考えるイオである。こんなことを口にしようものなら、兄たちからは「お前が一番甘いんだよ」と言われるであろうが……幸いにもイオは毎回言葉を飲み込んでいるので、誰もツッコミをいれたことはなかった。だが確実にイオが一番甘い。
「よし、ナツ適当に待っててくれ、ケーキは食後だ。今日のメインは晴兄からもらったステーキ」
「晴臣さんありがとう! 最高!」
料理人の仕事は邪魔しない主義なので、ナツは即座にキッチンから退避する。料理は専門家に任せるもの、この家のキッチンはイオの城。すでに下ごしらえを終えていたらしいつややかなステーキ肉が流しの作業場に置かれている。余談だがステーキ肉は常温に戻してから焼くのがコツである。
カチカチとコンロの火が灯る音がして、塩コショウを手早く振るイオの手つきも鮮やかだ。
「ナツはレアステーキ好きじゃないよな?」
「ミディアムでお願いします……!」
「よかろう」
じゅわっと音を立ててフライパンにステーキ肉が移される。この肉の焼ける匂い、これこれ。これがめちゃくちゃに美味しそうなんだよなー、と思いつつ、ナツは大人しくカウンターキッチンのリビング側に設置された横長のテーブルに座った。
ステーキの匂いはとても強い。
この家はこの後3日間くらい、この肉の匂いで満たされるであろう。なんて幸せなことだろうか、とナツは思うが、イオはマジで匂い取れなくてうぜえなと思っている。
「ほんとはミディアムレアが一番美味いと思うんだがなあ……」
「美味しい肉ほどレアに近いほうが美味しいっていうのは通の言うことなんだよイオくん」
「お子様舌のナツの分はちゃんとミディアムまで焼いてやるよ」
「ウェルダンでもいいんだけど……」
「それは許さん」
許されなかった。まあ料理人の出す料理に文句は言うまい。
イオはレアに近いほど美味い派閥で、ナツはなんか生は怖いから焼いて欲しい派閥、それぞれどちらが間違っているわけでもない。だが今回はイオが料理をしているのだから、プロにお任せするのが一番に決まっている。
じゅわじゅわと肉の焼ける音を聞きながら、ナツは幸せな気持ちになるのであった。
「そう言えばアサギくんの動画見たよー」
「お、どうだった?」
「すごかった! アサギくん初日に無一文になってアルバイト生活してた!」
「なんだそれ」
イオが料理をしながら続きを促すので、ナツは動画で見た内容をかいつまんで説明する。アサギの動画はキャラメイク、初日午前中、午後、と3つに分けて投稿されていたが、1本30分くらいに編集でまとめられていた。
特にキャラメイク動画の視聴数が高く、かなり丁寧に解説しながらアバターを作っていたので、参考にしたい人たちが多いようだ。多分、本サービス開始になったら増えるプレイヤーたちだろう。
初期の手持ち資金を強そうな装備にぶち込んで所持金0になり、ギルド前通りの八百屋に「働かせてください!」と押しかけて、最終的には八百屋の親父に「お前は仕事ができる、また来てくれ」と言われるところまで、自分たちの初日を比べるとまさに別ゲー。
すれ違うプレイヤーたちが「アルバイト頑張ってくださいねー」と声をかけている様子も、なんとなく心温まる感じだ。ただ、アサギ以外のアバターがほとんど地味な姿に置き換わっているのはわかったので、なるほどこれが配信設定で変えられるのか、と理解したナツである。
「まあアサギならバイトも余裕そうだな」
「だよねー。あ、リゲルさんが言ってた貴族RPの人も動画あったよ! カイリさんっていうんだって」
「RPガチ勢か」
「すごかったよ、動画開始と同時に初期装備で『私は青き血を引く者、ふさわしい場所にてふさわしい献身を果たそう』って優雅なセリフから始まって」
「ガチだな……」
「そこから一直線にナナミを目指すという、敵とのガチかくれんぼスニーキングミッション」
「難易度高え!」
街や正道から遠ざかるほど、強い敵も現れやすいと聞いたのだが。なんかナツの言葉によると、初心者装備で道なき道を突っ切っているようだ。命知らずだなと思いつつ、まあ楽しみ方は人それぞれなので何も言うまい。自分たちが楽しいように、他の人達だって楽しいのだろう。
「体験会終わったら一気に人増えそうだな。アナトラの売上ランキング今急上昇中だし」
「アイドルさんとかも動画上げてるらしいねー。ファンが押しかけたりしないのかなって思うけど」
「体験会中もちょこちょこ修正入ってるから、ナツ時間あったら公式サイトの変更点のページ見とけよ」
「なんか重要そうな情報あった?」
「あったあった。拠点というか倉庫な。本サービス開始時にトラベラーズギルドでアイテム保管サービスが利用できるようになるらしい」
「おお!」
運営宛に質問や要望が多かったらしく、詳しい仕様まで先に出ているらしい。いつの間にか焼き終わったステーキを金属トレーに移し、アルミホイルで包んでいるイオを横目に、ナツはデバイスを取り出して公式サイトを検索した。
「イオくんそれアルミで包んでどうするの?」
「予熱で火を通す。ステーキソースは塩とわさびの他に醤油ベースとオニオンソースでいいか……」
「プロかな!? 色んな味を体験できて素晴らしいと思います!」
何と言うかマメだなあと思いながら、盛り付けを始めるイオからデバイスに視線を戻すナツである。えーと、あ、これか。アイテムお預かりについて。
要約すると、トラベラーズギルドで貸倉庫のようなものを借りられて、その中に好きなように物を保管できるようになるらしい。もちろん、どこのトラベラーズギルドからでも取り出しや預け入れが可能。通常コースだと時間停止は付かないが、ゴールドを支払うことで時間停止機能の追加や棚の設置などが可能……。これは良さそうだ。
「時間停止は付けたいね」
「いくらになるかが問題だな。今里にいるから金は稼げてないし」
「あー、湯屋は気になるけど、火山行ったらゴーラ向かおうか? 本サービス開始に向けてお金を貯めるなら、街のほうがどう考えても良いし」
「今日を含めなくても残り5日あるからな。リアルで5日あれば、ゲームの中では1ヶ月近く過ごせるし、そこまで急がなくても大丈夫だろうが。サームのクエストはどうにか終わらせたいな」
「あ、そっか。一回イチヤに戻る可能性も考えないとなあ」
なんて話をしていると、ステーキのプレートが完成した。ほらよと差し出された平たい皿には、カットされたミディアムステーキを真ん中に、フライドポテトとブロッコリーが添えられ、塩やソースが乗った小皿が追加される。そして忘れちゃいけない白米も。
「おおー!」
と思わずナツが拍手するくらい、お店で出されるステーキっぽかった。
自分ひとりならここまでしないが、誰かに食べさせるとあれば本気出すのがイオである。実にマメだ。これだから甲斐甲斐しいとか言われるのだ。
「ナツのは比較的しっかり火を通したが、ミディアムレアが一番美味いと主張はしておく」
「無理強いをしないところがイオくんの良いところです。美味しそう!」
「美味いぞ。いただきます」
「いただきます!」
さて、柔らかいステーキ肉にフォークをさして、ナツはひとまず塩を振る。良いものはシンプルに食べるのが美味しいのだと習ったので。わさびも良いけれど、基本の塩からいただきます。
「……んー! 甘み! 僕は学んだんだ、甘みは旨味! イオくんの料理は半分プロの味!」
「オニオンソース食えよ、自信作だ」
「いただきましょうとも!」
噛みしめるほど美味しい肉の旨味を堪能しつつ、これを食べ終わったらなんとケーキまでついてくるので、イオの家はいつだってナツにとって桃源郷なのだ。入り浸ってはいけないが、呼ばれたら喜んで遊びに来る。それにしても毎回、晴臣か常磐かどっちかが甘いものをナツのために買ってくるので、なんで訪問のタイミングが完璧に読まれているんだろうなあ、と思う。深く考えたら負けかもしれない。
崎島家の男たち、みんなハイスペックだからなあ、と自分を納得させるナツであった。
ナツが美味しそうに食べているとイオもなんか美味しそうに食べるので、それに対する謝礼の意味があるのだが、まあ知らなくてもなんの不都合もないので。
「イオくんこのオニオンソースやばくない!? お店の味じゃんこんなの、高級店の味じゃん!? めっちゃ美味しいんだけどこれハンバーグにかけても美味しいやつでは!?」
「まずいわけないだろ。そう言えばヴェダルの作ってたスープな、近いやつなら再現できそう。今度試食会やるか」
「イオくん様!」
「拝むな拝むな」
美味しいものは、美味しいうちに食べるのがよろしい。でも、やっぱり誰かと食べるのが一番美味しいと思うので、ナツはいつだって呼ばれたら遠慮なく食べに来る。そして、毎度毎度思うのだ。
弟の友達に毎回お土産用意してる崎島家の兄たち、やっぱ過保護。
イオくんにそっくり!