閑話:ステーキにも色々ある。
ところで、世の中には夕飯を食べたらもう寝るだけなのだから、量を控えめにするべし、という説があるらしい。
とんでもない!
夕飯こそが最も豪華、夕飯こそが最も高カロリー、夕飯こそが最も待ち遠しい、そういうものであって欲しい。ナツはそう思う。食べ盛りの大学生なので当然だ。……なお、異議は認める。少食の人たちだって世の中にいるし、人間はみんな違ってみんな良いので。
そもそも、食事は三食すべてが大切なものである。だがしかし、1日の活力を担うとは言え、朝っぱらからカレーやステーキを食べたいと思う人は少数派であろう。食べたい気持ちはあったとしても、あんまり朝飯のイメージじゃない。そういうのはやっぱり夕飯に食べたいのだ、豪華なので。
ナツとしては、朝に食べるものとして真っ先に思い浮かぶのはおにぎりである。コンビニの、海苔がぱりぱりのやつ。いつも大学へ向かう道の途中でコンビニに寄って購入する。サンドイッチという選択肢も朝っぽいが、おにぎりのほうが腹持ちが良いのである。コスパは大事だ。
休日の場合は昨日の残りのお米でお茶漬けにしたり、卵焼きと納豆で食べたり、トーストをカリカリに焼いてジャムを塗るのも良い。さっくさくの食パンって美味しいよね、バターを塗るのも大変によろしい。たまーにお金に余裕があるときは、喫茶店のモーニングなんかはロマンに溢れていている、なんて思うナツである。
珈琲の味はよくわかんないけど、雰囲気の良い喫茶店で飲む珈琲はなんか良い。
昼は朝よりしっかり食べたいけれど、軽く済ませようと思ったらいくらでも軽くできる枠である。とにかく手軽なものが選ばれやすい。ナツの場合はカップ麺の登場率も高いし、ジャンクフードと呼ばれる物も選びがちだ。ハンバーガーも牛丼も良い。そういうものばっかり食べていると怒られるので、野菜たっぷり入れたインスタントラーメンを作ったり、玉子丼を作ってみたりも……するかもしれない。することもある。
うどんチェーン店とかも良い選択肢だ。うどんはすぐ食べられて安い上に、トッピングが色々選べるところが良いのだ。いなり寿司とかをついでにつまむのもまた良し。カレーうどん、天ぷらうどん、肉うどん、忘れちゃいけない月見うどん。お金がなければ素うどんでも良い。もちろん、揚げ玉はたっぷりと乗せて、七味もしっかり振るのだ。
休日なら冷凍食品を使っても良いと思う。冷凍そばやうどん、冷凍チャーハン、冷凍お好み焼き、冷凍パスタに冷凍ピザ。全てにおいて昨今の冷凍食品のレベルは高いのである。冷凍餃子という選択肢も素晴らしいし、冷凍唐揚げも冷凍牛丼も冷凍ハンバーグも満足度が高い。
……ただし、冷凍庫がパンパンになっていると母親の怒りの説教が飛んでくるので、そこら辺は頼りすぎてはならない。教訓として残しておく。
さて、そんなことより夜である。夕飯である。素晴らしき1日の締めくくり、幸せな気持ちで眠るために必要なイベントだ。
とにかくガッツリ食べたい、美味しいものが食べたい、噛み締めたときに旨味あふれるものが良いのである。だがしかし、無情なり冷蔵庫の中身はほぼほぼ空に近い。
「……ステーキ食べたい」
言うだけただなのでつぶやいてみるけれど、それでお肉は降ってこないのだ。ナツは腕組みしてうむむと考え込む。食べごたえのある、なんかガツンと来る感じのものを、今は食べたい。
「うーん、買いに行きたいけど、もう今日は銀行しまってるからお金下ろせないなあ。財布の中ほとんど無いし、これは代用品を探すしか……」
つぶやきつつ、冷蔵庫を隅々まで探すけれど、出てきたのは厚揚げ1枚と納豆と卵、玉ねぎのみ。冷凍庫には冷凍うどんと冷凍そばが残っているが、そうじゃない、そっちじゃないのだ。
せめて冷凍の唐揚げが残っていれば、肉食べたい欲はなんとかなったと思うけども……!
ステーキ。それは、厚切りの肉や魚を焼いたり、あぶったりした料理のことを指す。
つまり玉ねぎや厚揚げを焼いたところで、正しくはステーキではない。だが些細なことはこの際良いのだ。とりあえずステーキっぽければ。
「玉ねぎステーキ……厚揚げステーキ……」
この冷蔵庫の中身だとおそらくステーキっぽいレシピがあるのはこの2択だろう。端末で検索をかけて、作り方を確認してみる。……うむ、厚揚げだな! ナツは大きく頷いて、冷蔵庫から厚揚げを取り出した。消費期限が明日なので消費しないといけないのもあるし。
副菜? そんな物はどうでも良いのだ。一応、物足りなかったときのためにゆで卵でも作っておこう。茹で加減が難しいから電気でゆで卵を作れるやつを買ったのだ。少量の水と卵を入れてスイッチをONすれば、20分もしないうちにゆで卵が作れる素晴らしい機械なのである。発明した人は天才。
ナツは心の中でゆで卵の天才に感謝を捧げつつ、調味料を用意した。
凝ったものは作れないので、なるべくシンプルなレシピが良い。そもそも料理はそこまで好きではないので、簡単なものしか作りたくない。
味付けはバターとポン酢、そして黒胡椒で決まりだ。粗挽き黒胡椒とレシピには書いてあるけど、これってあれでしょ、ミルで挽くやつでしょ? そんな物持っているわけ無いので、普通の粉タイプの黒胡椒。実は普通の胡椒と間違えて買ったというのは内緒である。味なんてそんなに変わらないから気にしてはいけない。
適当に油を挽いて熱したフライパンで、にんにくを焼けとレシピにはあるけど、チューブにんにくしかないのでもうそれでよかろう。適度な香りが立ったら厚み半分に切った厚揚げを焼いて、焼色がついたらバターを入れて絡める。もうこれだけでも良い匂いでお腹が空いてくる。
そしてポン酢を回し入れたら……もうこれは間違いあるまい。
ステーキである。
そう、肉じゃないけど、厚揚げは畑のお肉と呼ばれる大豆が原材料だから、実質肉。肉だと思おう。肉なんじゃないかな! と自己暗示にかけておく。ステーキだもん、肉ということで。
「えーと、黒胡椒をかければ完成と。うん、なかなか良い出来では!」
自画自賛して、ナツは満足そうに頷いた。短時間で作れた割にはめちゃくちゃ良い香り。そして厚揚げの照りが良い感じに美味しそう。このレシピはレパートリーに加えておこう、ブックマーク、っと。
先人の残したレシピ、有用なの多くて本当に助かる。レシピサイトは神。
「美味い肉食べたいなあ、夏休み終わったらバイトするかあ」
今はゲームするためにアルバイトを入れていないけれども、秋冬は引越屋さんの短期バイトが割よくて助かる。あれは体力さえあればなんとでもなるので、ナツとしては結構好きなバイトだ。去年の冬はめちゃくちゃ稼がせてもらったし。
そんなことを考えつつ、できあがったゆで卵をやけどしそうになりながら水で冷やし、殻を向く。つややかな白い卵、素晴らしい茹で加減である。これは塩を振るだけで美味しいので最高。
お皿に盛った厚揚げステーキを写真にとって、メッセージアプリを開く。前回イオが送りつけてきた美味しそうなパスタの写真が残っているので、これに対抗……できそうにないけど、食べ物には食べ物をぶつけるのが流儀というもの。
あと、たまに料理したよという証明のために写真は送っている。ナツの母親がイオを経由してナツの食生活の実態を探ることがあるので。
写真を送り、メッセージを添えるとすぐに既読になった。相変わらずイオはメッセージチェックが早い。
『厚揚げステーキ作ったので、実質肉!』
『厚揚げなんだよなあ』
『原材料大豆なので畑の肉!』
『まあ大豆は肉を名乗ることを許されるからよし』
『やったー!』
これはイオ的にも合格ライン、つまりナツの母親にも「ナツの食生活は問題ありません」と伝わるはず。完全勝利というやつである。
ナツが勝利の味を噛み締めていると、イオからも写真が送られてきた。
『実は俺も今日ステーキ。晴兄のおごり』
そんなメッセージと一緒に送られてきた写真には、照明の光に照らされてつややかな輝きを放つ、ミディアムレアの……肉が。正真正銘の牛肉の、肉厚ステーキが、鎮座している……!
敗北! これは圧倒的敗北!
ナツは肉の厚みに恐れおののきながらひれ伏した。いや確かにゲーム落ちる前にステーキ食べたいとか言う話をしてたけど! まさか夕飯かぶると思わないじゃん! っていうか正しくは被ってもいないのでは!?
厚揚げは分類としては豆腐であるからして肉ではない……! 同じ土俵にも立てておらぬのだ! だがそれはそれとしてステーキめっちゃ美味しそうだな、いいなー!
『くっ、ちょっと美味しそうすぎて意味分かんないので断面のところの写真もっとください! イオくん写真まで上手! センスの塊かな!? ステーキ食べたいという気持ちが被ったことについては、気が合いますね!』
ちょっとだけぐぬぬとしながらも、やっぱり美味しそうの感情の方が勝る。食べ盛りなので。
写真を見ながら食べたら肉食べた気持ちになるかもしれないので、追加の写真もリクエストしておく。これは割といつものことなので、イオはさくっとリクエストに応えてくれた。肉汁滴る切り口が、美味しそうでとてもよろしい。やっぱ肉の優勝だな!
『俺、ナツのそういうところめっちゃ助かる。ずっと変わらないでいて欲しい』
『いきなりなんかしんみりされた!?』
『美味くて簡単なステーキソースの作り方送っとくわ』
『うれしいけれども!? ありがとう!』
一体どこにしんみりされたのかよくわからないまま、ナツは簡単で美味しいステーキソースのレシピを受け取るのであった。
この話の裏で、イオの兄・晴臣が、「厚揚げステーキを食べている人に本当のステーキ画像を送るのは少々嫌味ではないか」と指摘していたことを、ナツは知らない。それもそうかと思って謝罪の文面を入力中に「気が合いますね」と言われたので。
わりと無神経なところがある自分の言動に、いちいち傷ついたり怒ったりしないで素直にポジティブ変換してくれるのありがてえな、とイオはいつも思っている。そもそも、ナツとオフ会してみようかと思ったのも、この、妙に話が噛み合うというか、話していてテンポが合うというか、気まずくならないところが良かったのだ。
やっぱナツはこうでないと。一生変わらないでいて欲しい。
しみじみとそう思うイオだった。
なお、勝手に弟の友情の危機を心配した兄は、ちょっとお高いステーキ肉を2枚ほど帰り際に弟に託した。
「これを一緒に食べて仲直りするんだよ」
と言い残して高級車で走り去る兄に手を振りながら、相変わらずすげえ過保護だな、と思うイオであった。心配されるのはちょっとむず痒くも嬉しいものだ。
余談だがイオは、ナツから「この友人たまに過保護」と思われていることを知らない。血は争えないということを、多分ナツだけが知っている。
とりあえず、肉は正義である。