22日目:ツバキちゃんと約束
僕が【ドライ】で全ての壁を乾かし終えた頃、炊事場は賑やかになりつつあった。
もう午後5時を回ったからねー、これから夕飯の準備って感じかな。くんくんと空気の匂いをかいだテトが、目をキラキラさせて僕を見る。
おいしそうなのー。
「良い匂いだねえ」
イオー! おいしそうなのー!
「なんでいきなり俺に来た。作れということか」
「ほらイオくん料理人だから……」
「料理人じゃねえんだが」
イオくんにどーんとぶつかっていったテトさんは、そのままイオくんの体に沿ってぐるぐると回った。これは確実に美味しいのおくれって意味だね。そろそろ夕食の時間だもんなー。
「イオさん餌付けしてんのか……俺も<調理>取ってればよかった……っ!」
と唇を噛みしめるアサギくんである。猫の契約獣を探すといいんじゃないかな、幸せになれるよ。
「とりあえずなっちゃんとイオさんは仕事終わりで大丈夫だぞー。後は俺とレッカで最終確認して終了! お疲れ様!」
「お疲れ様ー、役に立って良かった」
「お疲れ」
おつかれさまー?
「なっちゃんたち、休憩入る? 明日手伝ってくれるなら、大体のログイン時間教えてくれるとありがたい!」
「ああ、そう言えば」
リアルだと今午後5時過ぎたくらいかな? 夕飯何食べよう。正直に言うとステーキとかガッツリお肉を食べたい気持ちがあるけど、高い肉とか買えないからなあ。僕、今バイトもしてないから金欠だし。それでも何か、こう、食べごたえのあるものを噛み締めたい気持ち!
「イオくん夕飯休憩どうするー?」
「今日終わったら休憩、夜は9時くらいから1日だけやるか」
「いいねー。明日は今日と同じで朝9時開始?」
「俺午後用事あるから、12時までな。夕飯後はいける」
「僕も溜まってる家のことやらなきゃ……」
主に掃除とか洗濯とか買い出しとか。僕掃除嫌いだけど、汚部屋は許されないから掃除機をかけます……。万が一にも汚い部屋をお母さんに見られたらげんこつでこめかみをグリグリやられる……っ!
ここ3日ほど一歩も外に出ないでゲーム三昧しちゃったからなあ。そろそろ冷蔵庫の中身も心もとないし、明日はちゃんと家事しよ。
「俺もう今日は落ちるからさ、明日また都合が合ったら手伝い頼むな! 俺も明日9時くらいからやるし!」
「OK、明日は何やる予定?」
「ギルドの設置と道の整備! あそこ広間作るんだ」
今日解体したギルド予定地を整備する感じか。何をするにもまずギルドからって感じだし、それができないと湯屋どころじゃないもんね。それはお手伝いしないとだ。広間ができたら、サンガみたいに屋台とか並ぶと楽しそう。
アサギくんに手を振って、僕たちは一旦炊事場を覗いてみた。知り合いがいないかなーと思ったんだけど、今日は誰も知ってる人はいないみたいだ。かなり混んでるから、さすがにイオくんも首を振って村長の家を指さす。かまどはあきらめて、静かな場所で食べようという意味だね。OKOK。
作業台のあたりで人が集まってるなーと思ったら、雷鳴さんが差し入れしたレッドチリチェリーを掲げて歓声を上げている人たちが……唐辛子系の野菜は作ってなかったのかな。めっちゃ嬉しそうだ。
あのあかいのなあにー?
「テトさん、あれは辛いやつだからテトは苦手だと思うよー」
あまいのがいいのー。
「だよねー、僕も甘い方が好きー」
そんな話をしながら村長の家へ、弾むような足取りのテトと一緒に帰る。さっきの建設現場で、作業していた大工さんたちに毛並みを褒められてご満悦なんだよね。「ナツがブラッシングしてくれるのー! とってもしあわせなきもちー!」ってめっちゃドヤ顔だった。今日もブラッシングしよう。
村長さんの家に戻ると、流石に来客は落ち着いていた。炎鳥さんが生まれてくるのは2日後だから、その日には混み合いそう。いつものようにお手伝いさんにご挨拶して室内へ入ると、玄関入ってすぐの居間には村長さんとナズナさん、ツバキちゃんが揃っていた。
「村長さんただいま! ナズナさん、ツバキちゃん、こんばんはー!」
ツバキだー。なでるー?
僕が元気に挨拶すると、隣でイオくんが軽く頭を下げる。そんな僕たちの姿を確認して、真っ先にツバキちゃんが顔を上げ、ぱあっと笑顔になってくれた。テトがすり寄っていったので、大喜びで撫でている。
「こんばんは、お邪魔しておりますよ」
とおっとりと微笑んだのはナズナさん。昨日会ったとき、村長さんとお茶しがてら炎鳥さんを見に行くって言ってたね、そういえば。お友達なのかな、年齢的にも近そう。
「おう、なっちゃん、イオ、テト。おかえり」
村長さんも上機嫌そうに、3人でお茶を飲んでいる様子。朝も飲んでた野草茶だね。本当に味の予想ができない……。でもドクダミは苦手だから飲ませてほしいとも言い難い。苦いのかなあ。
「イオくん、なにか差し入れする?」
「あー、ハクトがあの団子で貴重な甘味って言ってただろ。あんまり甘いものはやめたほうがいいと思う。果物とかどうだ?」
「ハンサさんのリンゴはあと3つ、サンガで買ったブドウが4つくらいあったっけ?」
正しくはいつの間にかイオくんが買ってて共有インベントリに入ってたブドウだね。紫色の大粒のやつ。リアルでいうと巨峰っていうのかな。種がなくて食べやすいやつ。僕が他のものを見てて上の空のときに「買うぞ?」って了解取ってたらしいんだ。覚えてなかったけど、タルト作りたいって言われたので……全面的に許可!
まあタルト作ってもらうだけなら、1個くらい差し入れしても問題ないでしょう。ハンサさんのリンゴは品質が良すぎるから、これをしれっと差し入れするのは……今後のリンゴに対する基準を上げすぎる、やめよう。ブドウに決定です。
「村長さん、これよかったらどうぞ。3人で食べてください」
僕がインベントリからブドウを取り出して……このまま渡すと僕からの差し入れになりそうだから一旦イオくんに渡して、イオくんから村長に渡してもらう。これで2人からの差し入れだと分かってもらえるでしょう。
「おお、果物か!」
と目を輝かせた村長が丁寧にイオくんからブドウを受け取って、ナズナさんも嬉しそうに「まあ」と頬を緩める。ツバキちゃんだけが「それなあに?」って顔をした。……そっかー、ツバキちゃんは果物見たことないんだな、里では育ててないから。
こんなところで思い知る10年の闇……。
「ありがたいのう。果物は、もともとここでは育てておらんのでな。戦前からめったに食べられるものでななかったが、久々じゃなあ」
「大きなブドウねえ。つやつやでとても美味しそう。ツバキ、食べてご覧なさいな」
ナズナさんに促されて、ツバキちゃんが大きなブドウを一粒手に取った。じっとそれを見つめて、不思議そうに首をかしげる。
「おばあさま、これなあに?」
「ブドウですよ、ほんのり甘くてみずみずしいの。皮も食べられますから、そのまま食べて大丈夫よ」
「ぶどう……」
不思議そうにしながらも、ツバキちゃんは恐る恐るそれを口に含んだ。そして何度か噛み締めて驚いたように目を丸くする。表情から、美味しかったんだなってわかるね。小さな手をほっぺに当てて目をキラキラさせている。そしてそんなツバキちゃんを見たテトさん、同じような顔でイオくんを見上げた。
テトもー。
にゃあん、と甘えた声でおねだりするテト。そしてその表情から言われていることを察したイオくんは……。
「夕飯後で食べるから、その時な」
と言い聞かせた。くっ、甘やかさない男……! えらいな! 僕だったらすーぐ「しかたないなあ」って差し出してしまう……!
若干しょぼんとしたテトは、僕の右側にすり寄って「ごはん……」ってつぶやいている。もう少し、もう少しだけ待ってほしい、村長さんたちとの会話が終わったらごはんだから。そんな気持ちを込めて撫でておこう。
「おばあさま、これすごくおいしい!」
と輝く笑顔のツバキちゃんに、よかったわねえと優しい笑顔のナズナさん。やっぱりよく似てるなあ。
「アサギの方はまだ終わらんのかのう。共同住宅を作るという話じゃったか」
「ああ、そっちは最終点検してましたよ。もう少しで戻って来ると思います」
「おお、それは良かった。雪乃たちの様子も聞きたいのでな、話をしたかったんじゃ」
あ、そういえばサンガの方どうなってるのか気になるね。雷鳴さんの話だともうサンガに到着してそうだけど……あとでアサギくんに聞いとかなきゃ。僕たち普通に夜は寝るから、朝起きたら戻ってきてる可能性もあるのだ。
村長はいくつかイオくんに質問をしたので、なんかちょっと難しい話が始まった。僕はテトを撫でつつツバキちゃんの方に寄る。……これだからイオくんに子ども担当と言われる僕です!
「ナツおにいちゃん、ぶどうありがとう」
そして第一声で笑顔でお礼を言ってくれるツバキちゃんに、心が洗われるような気持ちになる。「どういたしまして!」と返すけど、どっちかっていうとイオくんのお手柄……! 後で僕が褒めておきます!
「おばあさまとおともだちだったの?」
「ナズナさんには、かまどの使い方を習ったんだよ」
「しちゅー? っていうの、すごくおいしかったよ! おりょうりじょうずなんだね」
「僕じゃなくてイオくんがね。僕もあれ大好き。とろけるように美味しいよね!」
テトもすきー! とろけるのー。
「テトも好きだって」
「ふふふ、みんなすきなんだね」
シチューは寒い日に食べると最高なので、今後の里では一般的な食べ物になるといいね! そのために必要なのは……牛乳の流通か。ヨンドの畜産業の方に頑張ってもらうしかないなあ。
いつの間にかナズナさんが村長たちの会話に混ざってしまったので、自然とツバキちゃんとの会話は僕とテトに任されてる感じだ。
「昨日、ハクトくんと会ったよー。道案内してもらったんだ」
「そうなの? ナツおにいちゃん、ツバキともあそんでくれる?」
「いいよー。どこで遊ぶの?」
「あのね、ハクトおにいちゃんと、キキョウちゃんと、ツバキだけのひみつのところがあるんだよ。ないしょなの。きのう、ハクトおにいちゃんが、トラベラーさんならまほうがつかえるからおしえてもだいじょうぶだって」
「うん? みんなの秘密基地かな?」
それにしても魔法が使えるから大丈夫っていうのは……ちょっと不穏な感じするんだけど。魔物出たりしないよね、その場所。でもなんか<グッドラック>さんが、これは行っとけって言ってる……!
「案内してもらえるの?」
「うん!」
ツバキちゃんの輝くような笑顔。これは是非ともお願いせねば、とイオくんをちらっと見てみると、ちょうど話が終わったらしいイオくんと目が合った。ちょっと来て、ちょっと!
「どうした? なんかあったか?」
「イオくん、明日予定ないよね? ツバキちゃんたちが秘密基地に案内してくれるって言ってるんだけど、明日どうかと思って。イオくんの方でなにかやりたいことある?」
「いや、<収穫>のレベルが10になったから、発展スキルの<収穫Ⅱ>を取ったんだ。何もなければ森になにか探しに行こうかと思ってたが、何かあるならそっち優先」
「え、今日何収穫したの?」
「木苺あったぞ。後でジャム煮る」
ジャム、という言葉にテトさんが横でうにゃっ! と喜びの表現。甘いものに目がないテトさんなので、ジャムは全般的に好きなんだよね。
きいちご? と不思議そうな顔をするツバキちゃん。やっぱり木苺も知らないみたいだね。明日、ハクトくんたちとも会うなら、食べさせてあげたい。
「じゃあ、明日で大丈夫かな? ツバキちゃん」
「うん! あさおむかえにくるね」
子どもにお迎えに来てもらうのはちょっと心苦しいんだけど、案内してもらうならそれが効率いいのかな。何にせよ、明日の予定は決定です。




