1日目:ゲーム開始!
風が頬に当たった。
それを自覚した瞬間、足の裏に地面を感じる。
目を開ければ、目の前にあるのは噴水と、レンガ敷きの広場。ふわりと漂ってくるリアルな焼き鳥のタレに近い匂いに、思わず、すんすんと鼻を鳴らした。
美味しそう。
これ絶対に美味しいやつ。
「いや、真っ先に食い物に反応するあたり、ナツだな」
そんな声がすぐ近くから聞こえてきて、はっと我に返る。
「あ、イオ……くん」
少し視線をずらせば、髪と目の色が変わっただけの親友の姿があって、僕は思わず彼の名前を呼んだ。思わずうっかり伊織くん、と本名を呼び掛けて慌てて言葉を飲み込んだ結果、不自然な間が開いてしまったけど、呼ばなかったのでセーフ。
セーフだよね?
と視線を向けた先で、イオくんは笑った。
「許す」
「許された!」
「ナツのテーマカラー紫だったよな?髪色だけみたらピンクかと思った」
「藤色だよー。ちゃんと紫!種族エルフを選んだら濃い髪色ことごとく似合わなくなってさ、苦肉の策なんだよねこれ」
「あーなるほど」
納得したように頷いたイオくん。
彼の方はヒューマンなので、特別普段と変わったところがない。このゲームを始め多くのVRゲームで採用されているアバター作成プログラムは、リアルより3割増しくらい美形に作ってくれるはずなんだけど、イオくんは普段のまんまだ。あれか、元から美形だと調整するところが無いのか。くっ、さすがイオくん。もはや羨む気持ちさえ沸いてこないな!まあでもさすがのイオくんでも、リアルそのまんまってわけにもいかないので、髪型と色は変えている。
事前に回したカラースロットに従って、今回のイオくんのテーマカラーは青だ。と言っても群青に近い髪色に、真夏の海のような明るい青の瞳。髪型は、リアルではもっとスタイリッシュな感じに弄ってるけど、ゲーム内では普通のすとんとした短髪。まあどうあがいてもイケメンだからなんでも許されるよイオくんは。
僕は一応種族エルフなので、耳がちょっととがっているのと、若干中性的に調整されているらしい。まあもともと童顔なのであんまり変化はないかもしれない。ただ、なぜだか濃い髪色がことごとく似合わなくて、仕方なく紫を淡く調整した。目の色はアメジストっぽく濃い紫にしてバランスを取っている。
この手のゲームで遊ぶとき、僕とイオ君は毎回カラーパレットのルーレットを回す。出てきた色をテーマカラーとしてアバターを作成するために。何色が出ても絶対それを使うのがルールだ。
今回の紫はまだいいとして、前々回の黄色はちょっとひどかった。髪色を黄色にすると金髪と言うよりも はっきりした色になっちゃって、違和感がすごいんだよね。頑張って彩度とか色々調整したけど全然似合わなかったなー。イオくんも赤とか青とかはっきりした色は似合うんだけど、一回白に当たったときは「似合わなさ過ぎて笑える」とか言ってたっけ。僕もあの時は「イケメンには何でも似合うと思ってたけど似合わないものもあるんだなー」としみじみ思ったよ。あと白目怖すぎ。さすがに目は別の色OKにしたよね。
5年来の友人、もはや親友と言える相手。それがこの、リアルでもかなり美形のイオくん、こと崎島伊織くんだ。
軽々しくイケメンとか言えない感じの、凛々しい顔立ちに剣が似合う。めっちゃ剣道やってそうな顔立ちなんだけど、実際に剣道はやってないんだよね、似合うのに。一回やってみない?と聞いたら笑顔で断られたのが残念だ。似合うのになー!
僕、こと波多野夏樹とイオくんは、中学2年生の夏に別のVRゲームで出会った。
そのころは、何かしらのVRゲームをやってないと学校で話題についていけないってくらいVRゲームが流行っていて、中でも剣と魔法のファンタジー系のゲームが人気だった。僕もクラスメイトに誘われて、当時覇権と呼ばれていたゲームを始めたんだけど、初心者支援用のギルドにサポートを受けているとき一緒になったのがイオくんだ。
懐かしいなあ、熊獣人のマイナスイオンくん。僕が冬野夏と言う適当な名前でヒーラーやってた時、「冬か夏かどっちだよ!」と欲しいツッコミをくれたのが出会いだった。そのツッコミ欲しかった……!と思った僕が先に懐いたというべきか。
そのころはまだVRゲームに関する法整備も甘くて、アバターをかなり変えて作れたから、イオくんは拳でなんでも粉砕するごっつい熊獣人で、僕は学者風のインテリメガネおじさんアバターにしてたっけ。近くに住んでると発覚してリアルで会ったとき、熊の中身が美少年だと知った僕は「詐欺じゃん!?」と叫んだのだった。ちなみに即座に「お前もな!?」と返された。
3年くらい前からは、リアルの姿をベースにすることが法律で決まっている。芸能人とか著名人に似せたアバターを作って好き勝手やってた馬鹿が名誉棄損で訴えられたりしてから、自分とかけ離れた姿にできなくなった。それまでは、イオくんがごっついパワータイプっぽい見た目で、僕はインテリ風のおっさんでアバターを作るの恒例行事だったんだけど。まあ、仕方ないね。
法律が変わってからも色々なゲームを一緒にプレイしてきて、今回も、イオくんが先行体験会の抽選に当たったというので一緒にやろう、と言う話になった。
それがこのゲーム、「アナザーワールド:トラベラー」なのだ。
「種族エルフを選択した瞬間に、髪と目がきらっきら輝きだしてさ。びっくりして慌てて彩度を落としたんだ」
「発光すんのかエルフ」
「フェアリーもきらきらするよ。この世界では魔力が強いイコールきらきらなのかも」
「そういう設定あったら面白いな」
なんて話をしながらギルド前広間にあるベンチに座って、流れでフレンド登録、パーティー申請、パーティー固定まで行う。あとはイオくんに言われるままに、設定を少しいじれば準備は完了だ。
「イオくんやっぱり今回も前衛だよねー。でもイオくんと言えば力で何でも解決する物理アタッカーなイメージ強くて、拳士で行くかと思ってたから剣士はちょっと意外」
「鬼人の拳士と迷ったけどなー。好みとしてはそっちだし、大人数強要される他ゲーならそっちでよかったんだけど、今回は2人でやるんだ。回避盾じゃ心もとないだろ、前衛抜かれたら後衛終わるぞ」
「死んでしまいます」
「だろうな、エルフ魔法士だし。普通の盾が欲しい」
「僕のことを考えてビルドしてきてくれるイオくん超いい人、ありがとう」
「おう、お安い御用だ」
パーティーを組むと、ステータス画面にパーティーのタブが出てきて、そこからお互いのステータスや情報を共有できるから、早速相方のチェックをしている。
イオくんは前衛、剣士のヒューマン。筋力と防御力に振っていく予定とのこと。
僕は後衛、エルフの魔法士。当然魔力に極振りしていくつもり。
それだけ分かれば後はどうにでもなる。役割分担も毎度のことだし、お互いにどう動くかなんて大体わかってるからね。スキルも適当に取ってるし、序盤に苦労することはないだろう。
「じゃ、早速行くか」
と立ち上がったイオくんに続いて僕も立ち上がり、レトロな田舎町、と言った雰囲気の街へ一歩踏み出す。
「まずは街中の探索しつつ、クエスト探しからだな」
「あ、イオくん。クエスト通知どうする?切る?」
「切ろうぜ、ウィンドウがいちいち出てくるの面倒くさいだろ」
さて、「アナザーワールド:トラベラー」通称アナトラは、ちょっと異色の話題作だ。
一言で表現するなら、このゲームは探索ゲームに該当する。
メインコンセプトは「トラベラーとなって白地図を埋め、国を踏破する」こと。自分が行ったことのあるところしか地図には表示されず、正規のルート以外で集落や隠れ里を見つけたら、それが地図にのって道がつながる。
ゲームの舞台となるナルバン王国は、その昔魔王を倒したときの呪いにより、住人に「道迷いの呪い」というバッドステータスがついている。街にいる時は問題ないけど、他の街へ行こうとするとき、統治神スペルシアが整備した「正道」以外に足を踏み入れると必ず道に迷う、という呪いだ。魔王がいたころの余波でまだまだ魔物の多いこの国で、道に迷いさまようことはほぼ死を意味する。稀に奇跡が起きて別の正道にたどり着けたとして、そんな奇跡はたびたび起こることはない。
正道以外の道を歩けなくなった住人たちは、まだ各地に残っているはずの集落や隠れ里を結果として見捨てる形になっている。そんな状況を何とかしたく、ナルバン王国の王家と魔道師団、統治神スペルシアが協力して、戦後10年でようやく導き出した解決策が、僕たちプレイヤーだ。
プレイヤーは、「トラベラー」としてナルバン王国へ招待され、国内各地を歩き回り、各々の持つ地図を埋める。
道迷いの呪いは、この地で生まれた住人にのみ与えられるものなので、異世界から召喚されるトラベラーには付与されない。
だから、自由に動けるトラベラーが地図を作ることで、どこに集落があるかを確認し、その地図情報をもとに統治神スペルシアが正道から道を伸ばす。
正道から延びた道は枝道と呼ばれ、正道よりも細いが、呪いを弾く効果がある。これがつながれば、今まで集落から出られずに困窮していた住人たちが街へ戻ることができるというわけだ。それ以外にも、トラベラーのパーティーに組み込まれた住人は呪いを発動させずに移動できる、とかもあるらしい。
魔王との戦争終結から10年、決して短くない時間が過ぎている。それでも希望を捨てずに、取り残された集落で生きている人たちがいる。統治神スペルシアはチュートリアルで出てきて彼らを見つけてほしい、と懇願してくる。うっすら銀色のでっかい竜が、悲し気なわんこみたいに「きゅーん」と鳴く姿を見ると、僕なんか単純だから「何とかしてあげよう」って思っちゃうんだよね。スペルシアかわいかった。
つまり、僕たちが地図を埋めることは、そのまま王国の民を救うことにつながる。やる気もでるというものである。
「ナルバン王国がうまくいったら他の国も解放していく、ってのもゲームの展開としては上手だよね。いくらでもマップを追加できるわけだし」
「その場合、問題は魅力的なマップデザインがどこまで維持できるかだよなあ。まあ、今回はしがらみもないし、2人でまったりやってこうぜ」
「うん」
しみじみと言うイオくんに、僕は頷いた。
しがらみがないってのは本当に良いことだ。
このゲームには、ワールドクエストがない。
大型レイド戦もない。
大人数パーティー推奨もしない。
強制される必須クエストもないし、全員が共通して敵対する敵もいない。
その上、基本的にクエストのフラグはパーティーや個人単位で管理され、それぞれ結果が異なる。
住民Aと知り合っていたらクエストXが起きるけど、この時別の住民Bとも知り合いだとクエストYに変化する、とか。クエストZがこの結末を迎えた時住民Cと知り合っていなければ別のクエストWが発生する、とか。住人Dに特定の質問をした場合に行ける場所があって、そこでしか知り合えない住人Eがいる、とか。
まあとにかく自分と同じ体験をする人がほぼいないだろう、というくらいの膨大な分岐があるらしいのだ。共通の経験なんてほぼないと言っても過言ではない。ゲーム性としては、ソロ用据え置きゲームに近いのかもしれない。
まさにそこが、僕たちがこのゲームをやろうと決めたポイントになる。もう、大人数のプレイヤーズギルドでノルマのある狩りをやらされたり、レベル上げ地獄に連れまわされたり、気の合わない人たちと無理に組まされてレイドボスに挑まされるのはうんざりなのだ。