閑話:とあるプレイヤーたちの話・6
とある召喚士のしくじりとその後
その男の名前を出すのはやめておこう。
ただ、とある男が召喚士という職業を選んでアナトラの世界に降り立ったのは、先行体験会開始から1日過ぎた日のことだった。初日からログインはできたのだが、スタートダッシュするようなガチな人たちを避けるという意味合いもあった。男は極力目立ちたくなかったのだ。自分以外のプレイヤーが、怖かった。
男は高校生で、最初に触れたVRゲームはカスタマイズ・レジェンズというロボット大戦ゲームだった。敵と戦闘してロボットパーツを集めて自分好みのロボットをカスタマイズしていく対戦ゲームで、素材を集めるソロモードと、対人戦のバトルモードがある。
プラモデルを作るのが好きだったから、楽しめると思って始めたのだ。ゲームそのものは楽しくて、自分に合ったものだったと思う。ソロモードに引きこもっている間は何のトラブルもなく順調に進んだのだが、問題は対人戦の方だった。
男は知らなかったのだ、対人戦では暴言が飛び交うものだということを。
そして誰も男に教えてくれなかったのだ、そのゲームはとりわけ罵詈雑言の多いゲームであることを。
カスタマイズ・レジェンズは、据え置きゲーム時代から続く歴史の長いゲームだ。メインプレイヤー層も年上が多く、親しくできる友人も作れなかった。このゲームは歴代全てのシリーズに対戦環境があったが、その全てで暴言が飛び交い、荒々しい雰囲気が定着していた。それでも根性でゲームを続ける猛者もいるが、男はそうではなかった。
徹底的に心が折られてしまったのだ。
ソロモードにこもって大事にカスタマイズした自慢の機体をボロクソにけなされたことが、一番堪えた。
VRゲームは怖いものだと知った男は、それから遠ざかるのではなく復讐を選んだ。
自分がやられたことを、そのまま誰かに八つ当たりのように返そうとした。自分ばかりが理不尽にけなされて傷ついた、その傷をそのまま他の誰かに押し付けたかったのだ。
それをしたとして、男の傷が消えるわけでも、癒やされるわけでもない。
多分男は、最初からそれを知っていた。それでも、その道を選んでしまった。怖かったのだ。はじめから悪意を持って接することができれば、相手から悪意を向けられたって当然だから、仕方ない。楽しもうとしてゲームに触れて、フレンドになりたくてプレイヤーと関わって、手ひどく裏切られることが怖かった。
ワールド・ウォー・オンライン、ブレイブファンタジア、イリュージョンアース。
日本でVRゲームの覇権といえば、その3つが金字塔とされていた。もちろん、日々VRゲームは発売されるし、時期によって流行り廃りはある。それでもその3つのゲームは常に売上上位、同時接続数上位のランキングに乗り続け、この5年間ほどトップ10から落ちたことがなかった。
男はそれらのゲームを購入し、ある程度雰囲気やシステムを把握したら、その手のゲームには必ず存在する悪役組織を探した。多いのは、悪役RPを楽しむ集まりだが、そういうところはあくまでそういうRPをするだけで、本当に悪いことはしないところが大半だ。
でも、必ずアンダーグラウンドに潜っている、本当に悪いことをしている組織がある。
新人をPKして僅かな装備を奪ったり、そこそこ慣れてきた中堅層を騙してゲーム内通貨を奪ったり、上級者を複数人で囲んでレアアイテムを奪ったり。そういうことをしている組織は、表面上真面目な顔をしているものである。新人サポート組織を名乗って騙しやすそうな新人を物色しているところもあったし、商人グループを装って詐欺を働いていたところもあった。
男はそういう組織に所属して、いかにして人を騙すのかを学んだ。どう言えば人は傷つくのか、どんな人物像を演じれば人は己を信じるのか、どう言い訳すれば通るのか。男は新人に近かったので、レベルは高くない。だから、主に自分よりも弱い新人をターゲットにした。実際、それらのテクニックを学んで実践で使いこなし、何人も騙した。何人も、騙せてしまった。
でもふと、気づいてしまったのだ。
自分の言動が、かつて自分を悲しませた人たちと何ら変わらないことに。
自分が誰かを脅すとき、脅かされているのは過去の自分だった。
二度目、心が折れた。
自業自得だったとしても。
かつて、自分が楽しいと感じたのは、どんなことだったのだろうか。あの、ボロクソにけなされたロボットゲームで、それでも楽しかったことは。
自分だけの機体を作り上げようと試行錯誤していたとき、確かに自分はわくわくしていた。理想のパーツを作るために素材を厳選していたとき、たしかに自分はそれを心から楽しんでいた。納得の行く機体ができたとき、確かに自分は満足感を覚えていた。楽しかったのだ、自分の機体を作り上げるという工程が。だからこそ。
だからこそ、けなされたことが悲しかった。
悲しかった、この上なく。悲しかったのに。
持っていたゲームから自分のデータを全て削除し、それらを売り払って、男はVRゲームをきっぱりやめた。ログインする気力さえわかなかったし、ログインしたところでもう何をすればいいのかさえもわからなかった。他のプレイヤーと目を合わせることすら怖かった。
きっと、はたから見れば幽鬼のように見えただろう。ぼんやりと無気力にしている男のことを、気遣う人もいた。昔からの友人も、両親も、普段は生意気な弟でさえも。それでも、何があったかを言えるはずもない。自分が非道な行いをしていたことを、大事な人達には特に知られたくなかった。
ゲームの中でのこととは言え、簡単に人を殺して、その所持品を奪い取って笑っていた。
男は自分の人間性に、すっかり自信をなくしてしまっていた。悪人にも事情がある、なんてとても言えない。事情が何であれ悪事は悪事で、そこに情状酌量の余地なんてあってはならない。司法とはそういうものであるはずだ。
自分が悪事を働いたのはゲームの中のことだから、現実では無罪だ。何も悪いことなんてしてない。だけどこの先なにかのきっかけで、現実世界でも平気で悪事に手を染めてしまうのではないか。そんな妄想に心底怯えた。自分のことを信じられなくて、男は何度も自問自答した。考えすぎて熱を出して寝込んだりもした。大げさなことだと、きっと、他人は笑うだろう。
でも、男には考えずにはいられなかったのだ。
ぼんやりと1年近く過ごした頃のことだ。
ある日母親が、夕飯を終えて自室に戻る男の名前を読んで、その手に1枚の封書を手渡した。力強い母の手が、もうずいぶん高くなった男の頭をグシャリと撫でる。
「ゲームの先行体験? っていうやつのアクセスコードよ。なんだか店頭で抽選に応募できるって聞いたから、試しにやってみたんだけど、当たるものねえ」
朗らかに笑う母の眼差しには、確かに心配の色が滲んでいた。きっとそんなふうにたまたま応募したものが当たったのではなく、男のために当てようとして色んな人に頼んだのだろうなと、それだけで分かった。
母はそういう人だ。誰かになにかしてあげようと努力したときに、その努力を口にしたことは無い。気を使いすぎるところがあると常々思っていたし、自分は色々と考え込んでしまうところが母似だとも思っていた。
「アナザーワールド:トラベラー……?」
先行体験会、と封書に同封されていた書面には書いてあった。もうすぐ発売予定の新作ゲームだろう。男は反射的に、断ろうとした。弟にあげてくれと言いかけた。でも、それを言葉にすることができなかった。
何もしがらみのないまっさらな環境で、今までとは全く違う、ただ純粋にゲームを楽しむだけに、これに参加してみたい気持ちが確かにあったからだ。人を騙すためではなく、誰かを傷つけるためではなく。ただ自分が楽しむためだけに、もう一度、VRデバイスを手にしたい。だって、ゲームっていうのは。
楽しいものの、はずなんだ。
でも、自分は多分許されない。このゲームでも同じように、人を傷つけるようなことばかりしてしまったらどうしよう。誰かと関わることがすごく怖い。自分の過去を知っている誰かに遭遇してしまったら、どんな態度をとればいいのかわからない。謝って、それで、許してもらえるだろうか。自分だったら……自分だったら、そう簡単には許せないと思う。
迷うように揺れた男の視線を、母はじっと見上げる。
「あなたは良い子だよ」
そう言って、大きくなった背を丸める男の頭を、もう一度撫でた。
「だからそろそろ、自分を許してあげなさいよ」
……泣きたくなった。
「さあ、この3匹の中から、最初の相棒を選んでください」
誰かとつるむ勇気がなくて、ソロ向きだと言われて選んだ職業は召喚士だ。誰かと目を合わせるのが少し怖いから、アバターの前髪を長くしてなんとなく目元を隠したし、声もボイスチェンジャーで少し変えた。多分、自分を知っている誰かがこのゲームにいたとしても気づかれないだろう。
それでもプレイヤーと関わるのは怖いから、なるべくNPCや契約獣とだけ触れ合っていようと決めた。ずっと一緒にいる相手だから、なるべく気が合いそうな子がいい。
男の目の前にいるのは、3匹の契約獣。
1匹目は、ころんと丸いネズミだ。いや、大きさからするとモルモットだろうか。もっと大きいかもしれない。小さな耳がぴくぴくと動いて、好奇心に満ちた黒い瞳がじっと男を見上げている。元気そうな子だな、と男は思った。
2匹目は、ちょっと体が大きい犬だ。ドーベルマンのような黒っぽい姿で、耳と尻尾の先がぴんと尖っている。額のところに何かの模様が浮かび上がっていて、魔法が使えそうだな、という印象。どうしても警察犬のイメージが強くて、勝手に真面目そうだなと判断する。
3匹目は、馬だ。馬というか、ポニーというか。デフォルメされた可愛らしい姿で、男とちょうど目が合うくらいの身長。焦げ茶色のボディに、顔の中心だけ直線の白い模様が入っている。少し自信なさそうに小さく鳴いて、その後ウロウロと視線を彷徨わせる姿がいかにも気弱そうだ。
馬はないな、と真っ先に思った。
こんな気弱そうで、戦えるかどうかわからないし。
なのに3匹の中で一番印象に残ったのもまた馬だった。1匹1匹としっかり向き合って、この子は何ができるのか、という説明を聞きながら、意識はずっと馬の方に向いていた気がする。
「この子はウィンドホース、とても素早い馬です。気弱で優しい子が多いので戦いにはあまり向かないかもしれませんが、それでも騎乗したまま戦闘ができるのは大きなメリットになりますよ。なんと言っても、逃げ足が早いです」
「それは、褒めるところなんでしょうか……」
説明役のAIが誇らしげに語ってくれた馬の特徴に、思わず小声でツッコミを入れる。そんな男に、AIは「もちろんです」と簡単に肯定を返した。
「弱いから逃げる判断が早いんです。これは立派な才能ですよ。このゲームで戦いは義務ではありません。トラベラーさんたちの任務は、地図を埋めることです。この子の足の速さはとても役に立ちます」
言われた言葉に、思わず息を呑む。
「弱さが、役に立つ……?」
「弱くなければできない判断もあるでしょう。もちろん、強ければできる判断もあります。でもそれらはどちらかが正しいと言えるものではないのです。このゲームでは強い敵に立ち向かってもいいし、逃げても隠れてもいい。どの判断も無駄ではないし、どう行動しても間違いではありません」
男は思わず馬と視線を合わせた。怯えの隠されたその眼差しは、きっと、己のそれによく似ているのだろうなと感じる。自分もきっと、ずっとこんなふうに怯えていたのかもしれない。
あるゲームでは、戦わないと先に進めない仕様だった。また違うゲームでは、戦えない生産職のプレイヤーはひどくバカにされた。だから当然このゲームでも戦うことが最優先事項に来るのだろうと、勝手に思っていた自分を少し恥ずかしく思った。
「……俺、あんまり強くないし、多分あんまり頼れない。俺も臆病だから、いちいち悩んだり落ち込んだりするよ。それでもよかったら……」
臆病な馬には、きっと自信があってぐいぐい引っ張ってくれるような契約主のほうが向いているだろうなと思う。それでもやっぱり男は、自分と似ているこの馬を放っておけなかった。
頼りなくても臆病でも、自分がこの子を引っ張って行かないといけない。男はぐっと手を握りしめる。
「それでもよかったら、俺と一緒に、色々考えてくれないか」
1人で考えてもドツボにはまるだけだ。
決断力が無いと呆れられるかもしれない。
でも多分、この馬は臆病者の考え方を知っている。臆病者がどこを怖がっているのかを、知っている。
馬は男をじっと見つめて、息を吐いた。いいよ、と聞こえた気がした。
自分の声と同じように、緊張に震えた声だった。
「あいつの名前、考えないとな」
イチヤの街に降り立って、男はそうつぶやく。召喚士の契約獣は、最初は呼び出せるのは戦闘中だけで、信頼度が上がると戦闘以外の時間も呼び出せるようになるらしい。掲示板で軽く調べた限りでは、ちゃんと契約獣と向き合って会話を重ねることが、信頼度を上げるコツだと書いてあった。
ちゃんと向き合って、会話を重ねる。
多分今までやってきたどのゲームでも、一度もやったことがなかったことだ。誰か一人でもそうやって腹を割って話せる相手がいたなら、自分はどこかでブレーキを踏めたのだろうか。過ぎたことを悔やんでも仕方が無いけれど、このゲームでプレイヤーに関わることがあったら、そのときは、相手に優しくしよう。罪滅ぼしにはならないかもしれないけど、自己嫌悪を薄めることくらいはできるはずだ。
名前、名前。呼びやすい名前がいいな、たくさん呼ぶことになるから。
「未来、虹、晴れ、ひなた、木陰……」
明るいイメージの単語をいくつか言葉に乗せながら、大きな通りを歩く。活気ある町並みは美しくて、生活感のある住人たちの暮らしが確かにそこにあるようだ。魔王に蹂躙された世界で、それでも魔王を倒したこの世界の人々が、悲しみの果てに手にした日常。
どの判断も無駄ではないし、どう行動しても間違いではありません、と案内役のAIは言った。ゲームのチュートリアル用のAIの言うことなんて、きっと大した意味はないだろうけど、それでも。あのときの悲しみにも、その後の自暴自棄にも、犯した罪にも、そのあとの自己嫌悪にも、何かの意味があってほしい。無駄ではなかったと言える未来が来てくれたらいい。
「……朝日」
過去はなかったことにはならないし、多分自分のことだから、ずっと引きずって行くけれど。
「朝日が、いいかな」
それでも夜は明ける。
誰の頭上にも平等に、太陽は昇るのだ。




