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閑話:とある住人の始動

いつも誤字報告ありがとうございます。

 マロネが精霊として目覚めたのは、開戦の15年ほど前、早朝のことだった。

 何の変哲もない冬の日、珍しくひどく冷え込んだ夜の空気を切り裂いた朝日が、サンガの崖の上に降り注いだその時。ふ、とまどろみから浮上した一つの意識。それがゆっくりと形を作った時、精霊としてのマロネはそこに「在った」。

 長い、長い年月をかけて、ゆっくりと注がれた人の感情、想い、ぬくもり。それらが精霊を作る。

 精霊は良い感情からしか生まれない。悪意が混ざったら、もうそこで精霊になる道は閉じる。それは統治神スペルシアの定めたことだ。だからもちろん、マロネもそうだった。


 当時、サンガの崖の上にはナルバン王国の国軍駐屯地が設置されていた。たくさんの兵士たちが寝泊まりする駐屯所は、サンガを山賊や野生動物から守るためにそこにあった。木造の、古びた建物だったが、30人くらいはいただろうか。若い人が入ってきたり、年老いて退職するものがいたりもしたが、概ね、そのくらいの人数が常に居るようなところだった。

 今は戦争を経験したことで女性兵士も珍しくなくなったが、当時は、女性と子供は守るものという風潮が強くて、兵士になるのはみんな男ばかりだった。それほど巨大な敵がいたわけでもないから、それも当然だったと思う。

 兵士たちにも癒やしが必要だ。この周辺はあまりに殺風景だったから、木でも植えようかという話が出て様々な木々が出入り口付近に植えられていた。マロネはその時に植樹されたもののひとつで、一番出入り口の門に近いところに配置された。

 花が咲く木がいいとか、実がなるやつがいいとか、葉っぱの形がきれいなのがいいとか、様々な意見がぶつかりあった結果、全部植えちまえ、となったらしい。並木道のようにきれいに植えられていたわけでもなく、間隔も適当で、いかにも大雑把なやつが植えたんだろうなあと言うような感じだった。


 マロネにとって幸運だったのは、門の一番近くに植えられたことだ。兵士たちと接する機会が一番多かったし、たまに兵士たちの家族が顔を出した時、出入りの業者がものを売りに来た時、兵士に憧れる子どもたちが見学に来た時、いつだってマロネの横を通っていった。

 兵士たちが見回りに行くときは「行ってきます」と。

 戻ってくれば、「ただいま」と。

 落ち込んでいるときに愚痴を言いに来る酔っ払いがいたり、楽しいときには鼻歌を歌ったり。マロネの葉っぱが萎れていると、「水だ水だ!」と大騒ぎして水を撒いたり。大雑把で適当で、でも気の良い男たちだった。この街を自分たちが守るんだという、熱意に溢れていた。


 そういう気持ちを、受け取って育ったのがマロネだ。

 そういう気持ちが、マロネを精霊として生み出した力だ。


 だからマロネが目覚めた時、兵士たちは驚いたけれど、すぐに大騒ぎして歓迎会だー! と宴会を開いた。生まれたばかりの頃は小さな子どもの姿をとるのでやっとだったから、みんなが父親のような顔をして何かとマロネを構いたがった。

「おう、俺が中を案内してやるぞ!」

「いやいや、俺と街にいかないか?」

「何言ってんだ、生まれたばっかりだぞ! 部屋作ってやれ!」

「なにか食べるか? ほら、これクッキー」

「おい抜け駆けするなよ! 田舎の弟元気かなあ……」

「しんみりすんじゃねえ! おい、2階の日当たりのいい部屋開けろー!」

 わいわいわいわい、いつでもそこは騒がしかった。自分が一体何者で、どうしてここで目覚めたのか、そんなことを悩む暇さえなく、マロネは駐屯所の仲間に加わったのだ。


 栗の木からとって「マロネ」と名前を付けられてからは、ぼんやりしていた記憶もだいぶはっきりした。そうすると世界は不思議なことに溢れていて、マロネはいつも誰か「あれは何?」「これは何?」と問いかけるような好奇心旺盛な子供になった。

「ありゃあ大根だな、今夜のおかずだろう。肉食いてえなあ」

「おう、あれは槍だな。中距離用の武器で、ちょっと離れたところから刺して使う。こっちにまっすぐ襲いかかってくる野生動物なんかにゃ有効だな」

「お、これか? これはキランの花だ。この国の国花……あー、つまり、この国を代表する花だな。黄色できれいだろ、花言葉は希望だ」

「これ? ああ、これは煙草だ……マロネにはちょっと早いな。体に悪いから触っちゃだめだぞ」

 マロネがあちこちに出向いて問いかけると、兵士たちはいつだって丁寧に教えてくれた。触ってはいけないもの、やってはいけないこと、食べてはいけないもの、危ないもの、などは特に丁寧だった。あとは、何が美味しいとか楽しいとか、家族の話とか。

 家族。

 それはマロネには無い概念だったから、特に不思議で、だから何度も聞いた。奥さんのこと、子供のこと、親のこと、甥っ子や姪っ子のこと。兄弟のこと。恋人のこと。


「恋人になると、その後に夫婦になるの?」

「そうだなあ、しばらくお付き合いしてみて、この人となら、となったら結婚して夫婦になる」

「でも、どうして? 恋人のままじゃだめなの? 夫婦になる意味は何?」

「意味かあ、意味ときたかあ」

 とりわけマロネの相手を良くしてくれたのは、一人の老兵だった。彼はすでに妻を亡くし、子どもたちが独り立ちしたのでこの駐屯所の管理などをしている。自分では元兵士だと名乗っていたけれど、たまに兵士たちと一緒に訓練もするし、他の兵士たちも同僚だと言っていたっけ。

 すっかり白髪になっている髪をなでつけながら、老兵はそうだなあと目を細める。遠い昔を懐かしむような眼差しは、いつも暖かかった。

「意味、っていっていいのかわからんが、結婚して夫婦になると、紹介するときに俺の妻です、って言えるだろ」

「つま」

「そう。恋人より、妻のほうが近い感じがするんだよな。うまくいえないけど、恋人だと、まだ他人なんだ。お互いに好意を持っているけど、まだ相手には相手の家があって、自分にもそれがあって、所属が違う、みたいな感じでな。でも、結婚して夫婦になると、俺と奥さんは同じ所属になる。家族として」

「近いと、うれしい?」

「嬉しいねえ、今も夢に見るよ。奥さんと結婚して、みんなに祝福されて同じ家に帰ったあの日のことを」

「そっかあ」


 マロネには、人の常識を学ぶことが少し難しかったけど、彼が幸せそうにするのならきっと素敵なことなんだろうなと思えた。

 素敵な人に出会って、恋人になって、いずれ結婚。ここの兵士たちが当たり前のようにそんな話をするから、マロネも当然、いつか自分もそうするのだろうと信じて疑わなかった。

 良い記憶も、悪い記憶も、すべてあの崖の上にある。

 精霊は人の想いから生まれ、人と共に生きて、人に忘れられたら消える。そういう存在だと生まれながらに知っていたので、どこかに、自分とずっと一緒に歩いてくれる誰かが居ると信じていた。

 当たり前のように、信じていた。


 戦争が始まって、馴染の兵士たちが戦地へ向かい、古かった建物は焼け落ちて。

 それでも生き残ったマロネの本体を、防衛隊の人たちは必死で守ってくれた。マロネは何度も、何度でも言ったのだ、守らなくていいと。自分を守ることで傷つく人がいるのが悲しくてたまらなかった。自分を見限ってさえくれれば、助かる命もあるのだと、繰り返し促した。

 だけど、防衛拠点の人たちはマロネの訴えに誰も耳を貸さない。

「私達はサンガの住人を守ってるのよ、マロネ」

 そう言ってマロネにまっすぐに向き合ってくれた、サフルのことを、マロネは幾度となく思い出す。

 意志の強い眼差しの、笑うと大輪の花のように華やかで、いついかなる時もうつむかなかった強い女性のことを。

「あなたもサンガの住人でしょう。守られる権利があるの。胸張って守られなさい」

「でも、意味がない。僕を守るためにこんな目立つところに拠点を置くなんて、敵に攻撃しろと言うようなものだよ。せめて僕の本体を街にいれるとか、そうでなかったらこの木は見捨てていいんだ」

「あなたを掘り起こして街に運んで植え替えるためには、人手がたくさん要るわ。そんなことをしていることが敵にバレたら、あなたは何か重要な存在だと思われて狙われるでしょうね。それに、意味ならあるのよお馬鹿さん」

 サフルは強い人だった。でもその強さはいつだって、誰かのために向けられる強さだった。サフルは決して、自分のためには動かない。誰かのためになら強くなれても、自分のためとなるとやる気をなくすような、少し変わった少女だった。

 そんなサフルが向ける真っ直ぐな視線を、マロネはいつも落ち着かない気持ちで受け止めていた。


「守るためという大義名分がなければ、強くなれない人もいるの」


 私のようにね、とサフルは言う。堂々と背筋を伸ばした、自信あふれる立ち姿で。

「防衛隊はあなたを利用しているのよ、マロネ。あなたは本体を失えば消える精霊、それをみんなが知っている。だから、あなたの木を守ることは、一番身近に実感できる誰かを守るという経験なの」

「経験……?」

「崖を駆け上がってくる魔物を迎え撃つには、ここが最適。ここに拠点を置くことは、決定事項よ。でも、ここにあなたの木がなかったら……迎撃にここまで必死になれるかしら?」

 わからない。わからなかった。

 マロネは精霊だ。人の良い感情だけを受け取って生まれた。悲しみや負の感情にはほとんど触れたことがない。だから、必死になるということ自体がよくわからない。だって、自然は土に還るもの、あの木が攻撃されて折れても、マロネという精霊が消えて本体は大地になる。ただそれだけのことなのだ。元々物言わぬ自然物だったのだから、もとに戻る、それだけなのだ。

「この拠点を突破されても、門があるわ。門にも兵士がいるでしょう。ここで必死に食い止めなくてもそっちがなんとかしてくれると思ってしまったら、私達なんて、あっという間に逃げ出すかもね?」

「……そんなこと」

「でも、ここにはマロネの木がある。私達がここで逃げ出したら、崖を上がってきた魔物たちが真っ先にあなたの木を蹂躙するでしょうね。それで、目の前であなたが消えるの。ーーあり得ない悪夢ね、最大級のトラウマ。心の傷よ」

 

 そう、なのだろうか。

 でも、守るために戦って、死んでいく人もいる。それも同じではないのだろうか。マロネにはやっぱりわからない。だからそのまま問いかける。

「違う違う。全然違うのよマロネ。心構えが、もう全然違うの」

「そう、なの?」

「自分が逃げ出したせいで誰かが死ぬほうが辛いのよ。自分が必死に守って怪我をしたとしても、守りきれたという事実があったほうがずっと気が楽なの。だって、頑張ったんだもの。頑張って守ったの。その結果としてあなたは生きている、それは成功体験なの!」

 マロネにはよくわからなかった。でも、サフルが言うのなら。彼女が意味があるというのなら、そうなのだろうと思いたかった。

「だから、マロネは私が守るわ。必ず守る。そして戦争が終わるまであなたを存続させる」

 強く決意した彼女の眼差しに、マロネはただ、引力に導かれるように惹かれた。自分にはない物を沢山持っている人だと思った。

 それが恋という感情だったのか、今となっては少し疑問が残る。依存に近かったのかもしれないし、愛という方がふさわしかったのかもしれない。ただずっと彼女の隣にいたかった。繋いだ手を維持したかった。サフルという少女の人生に寄り添って歩きたかった。彼女のいない人生など耐えられないと何度も思ったのに、何度も、何度だって思ったのに。


 耐えてしまったんだな、とマロネは思う。

 耐えてしまった。その途方もない喪失に。



「マロネ、全てに意味はあるのよ」

 彼女は言った。最後の日、マロネの頬に血まみれの手で触れながら。

「私の死にも、あなたの生にも、意味があるの」

 子供に言い聞かせるかのように、ゆっくりと、紡がれた言葉。その後すぐに力を失って閉じるはずだった眼差しが、まっすぐに自分を見上げているのに気づいて、これは夢だとマロネにはわかった。

 サラムの家の庭に移ったせいだろうか。

 こんなにはっきりとしたサフルの夢を見たのは、本当に久しぶりだった。最後の日のことは……悲しくて苦しくて、あまり思い出したくなかったけれど。それでもその痛みさえ、彼女の声が聞けるのならば、構わない。

 これは夢だ。

 あの日の続きを、あったかもしれない先の言葉を、夢に見ている。

 

「悲しみなさい。悔やみなさい。嘆いてもいいの、でも、その後は」

 優しく細められる、新緑のような優しい色合いの瞳が、好きだった。

「前を向きなさい。私、あなたの瞳の色が大好きよ」

 まっすぐに目を合わせてくれるところが、好きだった。

「その目で、見てきて。平和になった街を。私が守った未来を」

 まっすぐに耳に届く、通りの良い声が好きだった。

「私、あなたを守れたの。あなたの未来を守ったの。大切にしてね」

 サフル、と呼んだけれど、自分の声が聞こえなくて、ただ強く抱きしめる。サフル、大切な人、愛する人、ずっと隣にいたかった、唯一の人。

「いつか、教えてね」

 声が遠くなっていく。確かに腕の中にいたはずのぬくもりが、消えていく。

「あなたの生きた意味。あなたがきちんと考えて、教えに来て」

 淡く微笑んだ少女の輪郭が、光に溶けて消えていく。

 ぱた、とこぼれ落ちた涙が頬を伝って、ゆっくりとまばたきをした世界に差し込む、一筋の、光が。


 朝焼けの、鮮烈な、光が。


「サフル」

 見渡せばサラムの家の庭で、昨夜の宴会の名残がそのまま放置されている。遅くまでバーベキューと酒を飲んで騒いだ近所の人たちは、眠気を覚えた人から家の中にふらふらと消えていって雑魚寝だろう。空き瓶に反射した朝日がまばゆくて、入れ替えたばかりの池の水もキラキラと輝いていて。

 ああ、夜が明けた。

 そう思った。

 ずっと続いていた、暗い暗い夜が、今。


「わかった。頑張って、考えるから」

 思えばずっと、誰かに問いかけてばかりだったけれど。マロネは精霊だから、ちょっと考えるのに時間がかかってしまうかもしれないけれど。でも、ちゃんと考えて答えを出すから、待っていて欲しい。

 一番、望んでいた道は閉ざされて二度と行けない。サフルの隣に添う道は、消えてしまった。でも、歯車が噛み合ってまた道がつながって、ここまで来た。この先の人生を、誰も知らないけど、それでも。

 

 大地に、足をつく。

 この一歩にも意味があると君が言うのなら、信じるよ。


 ここからまた、始まるんだね。

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