閑話:とあるプレイヤーたちの話・5
とある画家のお見舞い
「うん、それで、彼女は何が好きだった? 花とか果物とか……」
「……向日葵だな。あの真っ直ぐで背の高い花が好きだと言っていたよ」
「向日葵か、良い花だね。気分が明るくなるよ」
「ああ、ルルアは前向きで明るくて、真っ直ぐな女性だったからな」
会話をしながらも、トラベラー・ベルキの手はスケッチブックにさらさらと絵を描いていく。それは今ここにはないどこかの花畑、一面に向日葵の揺れる黄色の大地と、青い空、眩しいほどに輝く太陽の風景だ。
ベルキがここ、ニムの病院へとやってきたのは、住人から依頼されてのことだった。それは家庭用の包丁などをメインに作っている工房からの依頼で、「奥さんを病気でなくし、自身も体調を崩しているルード親方を見舞って欲しい」というものだった。本当に仲の良い夫婦だったから落ち込みが激しく、すっかり気落ちしてしまったルードをなんとか元気づけてくれないかと。
そう熱心に頼んできたのは彼の弟子の一人で、その熱心な懇願に負ける形で請け負った。知り合いからのお見舞いは、拒否されてしまうらしい。だから、もういっそ知らないトラベラーのほうが無碍にされないだろうと。
言われた通り、果物を手にお見舞いに来たベルキを、ルードは追い出しはしなかった。彼の弟子の思惑通りに、何も知らないトラベラー相手のほうが気持ちが楽だったのだろう。
「彼女の髪の色は何色? どんな髪型をしていた?」
「……ルルアは、こう、左右で髪を結んで前に流していたな。2つ結いというのか? 髪の色は焦げ茶色の、栄養をたっぷり含んだ土の色だよ」
「背はあなたと同じくらいかな。好んだ服はどんなものだった?」
「そうだなあ……」
最初の1日は、ベルキにたいして警戒をしていたのか、ルードは口数が少なかった。ただ、工房の弟子に、もう見舞いはいらないと言ってほしいと、それだけを帰り際にいわれたのだ。
言われたとおりに工房には伝えたけれども、ベルキ個人が彼のお見舞いに行くことは止められていない。なんだかあの消化不良のお見舞いだけで依頼達成となるのは心苦しくて、それからも足繁くルードの病室に足を運んだ。
最初の頃は、また来たのかとか、つまらないだろうとか、そんなふうに言われるだけだった。そのうちにルードはぽつぽつと妻との思い出を教えてくれて、なぜだ、とこぼすようになった。
なぜ、彼女が、と。
「しんどかった戦争も終わって、これからまた一緒に幸せになろうって、そんなふうに言っていたのに。もう一緒に歩くことも出来ない」
ぼんやりとこぼされた愚痴こそが、きっと彼の本音だった。
「なあ、もう十分苦労したんだ、俺たちは。それでも生き残ったからには、復興も頑張ろうとしたし、巣立った子どもたちの行く末も見守りたかった。工房も軌道に乗るまではしっかり働いて、その後は、2人でのんびりと隠居するのもいいな、と……」
「うん」
「なのに、なのに、なんで……! まだ戦争で死んだと言うのなら諦めもついたのに、それが終わって、平和になってから病気でなんて。気づくことさえ出来なかった。気づいていたら、まだここにいてくれたかもしれないのに!」
ぐっと掛け布団を握りしめるルードは、後悔というものの形をしていた。結局のところ、全ては今更の話で、もう遅くて。それでも諦めきれずに過去を悔やんで、自分を責め続けている。ルードが入院している理由は、半分程は、精神的なものだと医師は言った。気力さえあれば、彼ならすぐに退院できるところまでいくはずだと。
だからベルキは、絵を描くことにしたのだ。それが彼にできる一番得意なことだったから。
ベルキの頭をよぎったのは、彼の絵を抱きしめて微笑んだ少女の笑顔。そして、完成した絵を囲んで大喜びをしてくれたあの優しい一家の姿だった。もし自分がなにかすることで、あんなふうに人を笑顔にできるのならば。それはきっと、絵を描くことだ。
「どんなふうに笑う人だった?」
「豪快にな。ドワーフの女性はそういうのが多い、太陽のように笑うよ」
「素敵だね」
ルードの言葉を拾い集めるようにして、見たことのないルルアという女性の姿を形作る。太陽のように笑う、というルードの表現は、愛おしさに溢れていると感じた。
「どんな人だった? 何を喜んで、何を悲しむ人だった?」
こういった質問は、絵を描くにはあまり意味のないものだ。それでも聞きたかった、その人の空気感を知るために。ルードは少しずつ色んな話をしてくれたけれど、妻の話をするときはいつも悲しそうだったからあまり聞かないようにしてきたのだが、それではきっと駄目だ。
心の整理をつけるためにも、ルードはしまい込んでいる感情を、悲しみを、少しでも吐き出さなければならないのだと、ベルキは思う。
「ルルアは、いつも、笑ってたよ。俺が包丁を作るのは知っているだろう」
「工房の人に聞いたよ。お弟子さんが言ってた、ルード師匠は包丁を作らせたら世界一だって」
「……戦時中はよ、武器を作れなきゃ見下されたもんだ。俺だっていくつも短刀やら槍の穂先やらを作ったが。……でも、俺が作りたいものはそれじゃなかった。俺は、日常的に人の手にあるもの、人の生活に役立つものを作りたかったんだ。ずっと、そう思う気持ちがあった」
ニムは鍛冶の街だ。剣や鎧を作る工房が立ち並び、日々その技術を競い合っている。良いものを作る工房ほど、良い立地になるというのが当たり前で、そういった目立つ場所にある工房の大半は武器を作る工房だった。
でも、そんな一角に、ルードの工房はあった。ショーウィンドウに誇らしげに飾られた包丁が周囲から浮いていて、でもだからこそ興味を惹かれて立ち寄ったのが、彼の弟子に出会ったきっかけでもあった。
「ルード師匠の包丁、俺も見たよ。包丁とは思えないくらいきれいだった。俺が店に行った時、美食の街サンガからわざわざ買いに来たっていう料理人もいたよ」
「はは、今でこそだな」
ルードは大きく息を吐く。昔を懐かしむように。
「戦後に工房を持って、包丁を作り始めた俺を、ドワーフの職人仲間は馬鹿にしたもんさ。武器を作ってこそ一流ってよ、当時はそういう空気だったんだ。でも、ルルアは違った」
愛しい人のことを語る時、いかついドワーフの頑固親父といった風体のルードの、目尻が下がる。優しくて、少し、切ない表情だ。彼にとってどれほどその人が大切なのか、雄弁に物語るようで。
「ルルアは、俺の包丁を見て、世界一の包丁だって言ってくれたよ。言いたいやつには言わせておけ、どうせあいつらこんなに見事な包丁なんて作れないんだから、って笑って」
ベルキの頭の中で、ルルアという女性が息をする。勝ち気に笑って、ルードの背中を押して、きっと心の底から世界一だと思っていたから言えた言葉を、胸を張って口にする女性。
「私なら、品評会で優勝するような剣を作る職人よりも、毎日使う包丁を丁寧に作ってくれる職人のほうがずっと素敵に見えるってさ。誰も俺の理想をわかってくれなくたって、ルルアだけはわかってくれた。品評会には包丁なんて持っていっても登録すらしちゃくれない。でも、ルルアがあなたの包丁が世界一だよって、そう言ってくれるだけで俺は満足だった。俺には、ニムの鍛冶ギルドの評価なんかより、ルルアの評価のほうが大事だったんだ」
きっと、それは本来、もっと辛い出来事だったのだろうな、とベルキは思う。
ベルキが自分の絵をコンクールに応募する時、落選したと知らせが来るのは、まだ諦めが付くことだ。でも、応募しても受付さえしてもらえないというのは、自信も誇りも傷つけられることだっただろうに。
「ずっと、ルルアのために作ってきた。俺の作りたいものを作ることで、ルルアが喜ぶから。……不思議なもんだ、そうしたら勝手に、評価のほうがついてきた。……うちの工房が人気になって、品評会に出さないのかって近所の主婦が言った時、俺は笑ってこう答えたよ、包丁なんざ受付もしてもらえねえよって」
「わあ」
「そしたら主婦連合が抗議文を出してよ、はは、あのときの鍛冶ギルドの連中の顔!」
ルードは笑った。この笑顔も、見舞いに来て数日は見られなかったものだ。暗く塞ぎ込んでいたルードに、ベルキがしたことはそう多くない。ただ、耳を傾けただけ。それだけで、彼は笑えるようになった。もともとの彼の強さがわかるというものだ。
「渋々って感じで包丁を品評会に出せと言ってきたから、3回くらい断ってやったよ。そんな不本意ですって顔してるやつに預ける作品はねえよって。最後には、推薦枠でこの店が推されてるから出してくれなきゃ困るって泣きついてきやがった」
「それで、出品を?」
「ああ、そしたらその包丁が王城の料理人の目に留まってな」
大絶賛されたルードの包丁は、王室御用達となったわけだ。見事なその包丁を、しかし品評会の上層部は優勝させたくなかったようで、特別賞という枠を新たに設けてねじこんだとか。
「それで、品評会は自滅したんだ。評価を下げたんだよ。武器に固執して時勢が見えてないと言われ、大批判を浴びた。今でこそ武器しか認めん! なんて古い考え方を貫く工房はほとんどないが、あのときはまだそういう奴らが多かったから、一般消費者と工房との対立が起きて……作ったもんが売れなきゃ工房なんか立ち行かないからな、そこまでしてようやく、農具や家庭用品を作っていた職人たちの地位が上がったんだ」
「すごい話だ」
「ルルアは当然だろうって顔をしたよ。世界一の包丁を、認めないって言うなら世界の方がおかしいってさ」
ルードの語る奥さんの話は、どれも、愛に溢れたものだった。
どれだけ彼女に支えられてきたか、どれだけ彼女の言葉に勇気づけられてきたか、ルルアという女性を知らないベルキにも、それがよく伝わる語り口だ。だからこそ、失ったときにこれ以上無いほど落ち込んで、まだ立ち直れないのも理解できる。
ベルキは頭の中で描いた女性に、どんな表情が似合うだろうかと考えた。
「ルード師匠にとって、かけがえのない人だったんだね」
「そうだよ。他の奴らにとってはそこらにいるおばちゃんでも、俺にとっては女神だった」
最初に太陽と例えたほどだからな、とベルキは思った。
優しいだけの微笑みではなく、明るいだけの単純さではなく、もっと、彼女の本質にあるものは何なのか。考えるほどに、愛なのだろうなと思う。孤高の職人を愛し、支え、導き続けた女性。きっと彼女が望んでいたものは、品評会でルードが評価されることでも、ルードの包丁が王室御用達になることでもなかった。
ただ、ルードが、ルードの信念のままに作品を作り続けられる未来こそが、彼女の一番望むものだったのではないかと思う。だって、他ならぬルードが言ったではないか。
ずっと、ルルアのために作ってきた。俺の作りたいものを作ることで、ルルアが喜ぶから……と。
うん、やはり、ルードはここで落ち込んだまま萎れていくべきではない。
「俺は絵を描くことしかできないから、それを仕事にしたいと思って、描き続けてきたんだ。だけど、何のためにこんなにがんばっているんだろう、って思うこともあったよ」
「そうなのか」
「うん、でも、それには答えが見つかった。俺は描きたいから描いているんだって。描きたいと思える事があるから描いているんだって」
向日葵畑の中央に、太陽のように笑う女性を描き入れる。その表情で合っているのかはわからない。ただ、きっと、愛しい人を見る眼差しっていうのは、こんな感じだろうと想像しながら。
「ルード師匠も、きっと、そうだったんだね」
作りたいから包丁を作っていた彼は、包丁を作ると喜んでくれる人がいたから作り続けたのだろう。だから今、途方に暮れているのだ。
「大切な人が川へ行ってしまったのは悲しいことだけど、でも、あなたは彼女を伝えていくことができるんじゃないかな」
「伝える……?」
「この人の為に作っているんだって。ルルアさんがいなくなってしまったとしても、そう伝え続けることはできるんじゃないかな」
絵にすることは得意だけど、言葉を使うことはあまり得意ではない。もう少し真面目に国語の授業を受けておくんだったかなあと思いながら、ベルキは言葉を探す。
「例えば……包丁に「ルルア」っていうシリーズ名をつけてみるとか……。いやまあなんでもいいんだけど。でもそうやって名前をつけたら、買う人がどうしてこの名前なんですか、ってルード師匠に聞くよね。聞かれたら、ルード師匠は妻の名前なんです、妻のために作っているんです、って言ってさ」
少なくとも、ベルキには確かにわかることが一つある。
それは、ルードがこのまま落ち込んだままで工房を引退して、もう何も作らなくなってしまったら、確実にルルアは悲しむだろう、ということだ。だって、ルードが心置きなく包丁を作れる未来のために、彼の背中を押し続けた人なのだ。自分のせいでルードが物を作らなくなったとしたら、きっと彼女は落ち込んでしまうだろう。
「そうしたら、近所の人達とか、包丁を買った人たちとかが、その話をまた誰かに伝えるかもしれない。そうやって人の心に残ったら、ルルアさんは、少なくともその逸話の中で生き続ける」
イチヤで出会った老人が、ベルキに教えてくれた事があった。
人は死んでも川へ行くから、そこで終わりじゃないということ。そして、たとえ泳ぎに向かったとしても、その人を懐かしむ人間がいる限り、それは本当の死ではないこと。
この世界では一般的だというその表現を、ベルキは美しいなと思った。心の中でその人の人生は続いていて、やがて川で再会したときにまた道が交わる。ちゃんと、ずっと、道は続いていて。だから泳いで行ったその先でまた会えたねと言えるだろうと。
綺麗事だとしても、ベルキはそれを信じたいと思う。
「やがてルード師匠が川へ泳ぎに行く日が来ても。師匠のお子さんとか、お弟子さんとかが、その話を引き継いでくれるかもしれない。そうしたら師匠と奥さんは、ずっと……同じ逸話の中で、続いていくんじゃないかって。うまく言えないけど」
ああ本当に。
言葉にすると、絵にしたときの半分も伝えられる気がしない。
「ただ……ルード師匠の孫とか、そのまた子孫とかが。その話を聞いてなんて素敵なんだろう! って思ったら、いいなって。…………師匠、これでどうかな」
スケッチブックをルードに向けて差し出すと、ほんの少し呆けたような顔をしたルードがいた。どうしたのかと問いかける前に、その表情は切り替わって、ルードがスケッチブックを受けとる。
向日葵畑で振り返って微笑むドワーフの女性。青空に太陽、それらの鮮やかさに負けないように、ルードに向かって笑う。ベルキはこの女性を知らないから、もしかして的はずれな絵にしてしまったかもしれない。ドキドキしながら言葉を待っていると、やがてルードは大きく、息を吐いた。
「……あんたは、いい画家だ」
今のベルキにとっては最高の賛辞を口にして、ルードはもう一度スケッチに視線を落とす。
「……そうだな、どうせ忘れられやしないんだ。それならいっそ、世界にこれでもかと残そうか」
落ち込んで、暗い表情で沈んでいた1人の職人が、再び前を向こうと決意したその日のことを。後に、ルードはずっと人に話して聞かせることになる。
ずっと続いていく逸話。
その中に自分が登場するなんて予想もしていなかった画家は、それを知った時「うえええ!?」と悲鳴を上げたというが……まあ、それはもっとずっと、あとの話だ。




