16日目:忘れたくないなら忘れるな
ぱち、とマロネくんが瞬きをした。
どこかぼんやりとしていたその瞳が、何度か瞬きを繰り返してどこかしゃっきりしたような印象になった。睨むようにじっと視線を合わせてくるサラムさんに、不思議そうに首をかしげる。
「……呪いのアイテムって?」
ようやく思考が追いついた、とでも言うような、今更な問い。
「正気に戻ったか。……俺もだけど、お前も呪われてたんだよ。ほら、魔族の呪いのアイテムが話題になってただろ?」
「……注意喚起があったのは、覚えてる。でも、僕はアクセサリーなんて身につけた記憶がない」
「お前の根本に埋まっていた」
「根……」
ぱち、ぱち。
再び瞬きを繰り返したマロネくんの瞳に、次の瞬間、感情が乗った。
「……サフルがいない」
深い、悲しみの色。サラムさんの姿を見て、周辺の墓地を見渡して、自分の本体である栗の木へと視線を走らせて、それから噛みしめるようにつぶやかれた言葉が、それだ。
「サフルはいない。なんで、サラムはいるのに、なんで、サフルは……!」
「死んだんだよ。お前が、遺体を離さないから、さっきみたいに取り押さえられて大変だったじゃねえか。忘れてんなよ」
「忘れてなんかない!」
「じゃあ、なんでそんなことを今更嘆く」
あ、あの、これ僕たち聞いててもいい会話かな……? こういうの、ふたりきりでじっくり話し合ってもらったほうが良いんじゃないの? でも、このタイミングで中断させるのも空気読んでないし、どうしようイオくん。
おろおろしながら僕がイオくんに「助けて!」の視線を送ると、イオくんは無言で速やかに僕と一緒に3歩くらい下がった。すすすっと忍者にでも成れそうな足さばき、お見事。如月くんもいつの間にか下がっていて、目の前ではサフルさんとマロネくんの問答が続く。
「もうあいつはいねえんだ。そんなの、俺とお前が一番よくわかってることだろ」
「なら、どうして……っ、どうしてそのまま、放って置いてくれなかったの? あのまま僕が消えれば、川で会えたかもしれないのに……っ!」
「そんなの、俺がかわいそうだろ」
「え」
え。
……うん? 聞き間違いかな? 誰がかわいそうって話だっけ?
「お前は俺に、サフルと結婚させてくれって怒鳴り込んできた。そのくらいサフルに対する愛情があったことはわかってる」
淡々と話すサラムさん。堂々と腕を組んで仁王立ちしている。
「想い合っていた2人が引き裂かれて、サフルは死んで、お前は残った。それはそれでいいんだ」
「良くない! だって、もうサフルはいない! サフルのいない世界なんてーー」
「サフルはいないけど、サフルの愛した世界だ。サフルが守ろうとした世界だ。悪く言うな」
「っ」
ぐ、とマロネくんが唇を噛む。悔しげな表情で、大きく息を吐いた。
「……なんで、そんなことを言うんだよ。僕に、サフルのいない世界を1人で生きろだなんて、そんな残酷なことを……」
「別に1人で生きろとは言ってねえだろ。っつーか、さっきも言ったが。お前は俺がかわいそうだと思わねえのか」
「……サラムを。なんで?」
「俺は最愛の妹を亡くしたんだぞ。唯一の肉親を亡くした俺こそ一人ぼっちだろうが、かわいそうだろう」
ぱち。
マロネくんは理解しがたいことを言われた、とでも言うような顔で、言葉を失った。
「サフルが親しくしていた連中は、みんなここで死んだ。残ってるのはお前だけだ。お前まで消えたら、俺は誰とサフルの話をすりゃあいいんだ」
「え、っと」
「それともお前まで、早く忘れて次の人生を生きろとでも言うつもりか」
「言わない、けど、でも」
「俺は一生サフルを忘れない。ずっと引きずって生きてやる。お前、後追いなんてしてあいつが喜ぶとは絶対に思うなよ。それやった瞬間、烈火のごとく怒り狂ってお前を現世に叩き戻そうとするに決まってる。少なくとも俺の知るサフルならそうするだろうさ。で、お前の知るサフルはどうだ?」
「……」
マロネくん、沈黙は肯定だよこの場合。
サフルさん、苛烈な人だったんだね。なんか、マロネくんと大恋愛の末に類を超えて結婚の話まで出たっていうから、勝手に頭の中でお嬢様風の人物像をイメージしちゃってたんだけど……いや、そもそも前線基地で戦っているくらいだから、心が強いのか。
僕がそんなことを考えていると、長い事沈黙していたマロネくんは、大きく息を吐き出して、小さく笑った。
「……そうだね、サフルなら、僕のこと川から蹴り出すだろうなあ……」
なるほど強い。
まあこのサラムさんの妹さんなわけだから、ある程度強さは想像できるところでもあるけどね。
「それで、お前はどうする。サフルを忘れて生きていくか。嫌われて蹴り飛ばされるのを覚悟で後を追うのか」
「……できるわけ無いよ。サラムと同じだ。ずっと覚えてる」
「そうだよ、それでいいんだよ」
ふう、とサラムさんは大きく息を吐く。
「忘れたくないなら、いつまでだって忘れなきゃいんだ。死んだやつは忘れなきゃいけないって決まりなんかないだろ。悲劇の主人公気取ってんじゃねえよ。お前は生きて、サフルのこと覚えてて、ずっとサフルのこと考えてたっていいんだよ」
「ずっと……」
「お前は精霊なんだ、何十年でも何百年でも生きりゃいいんだよ。サフルだって、それを承知でお前を愛したんだからさ。それで、途方もない時間の果てにようやく川を泳ぐ日が来たら、その先でサフルに会えたら言ってやれ。長く生きたけど、サフルより愛した人は1人もいなかった、ってな」
サラムさんはずっと、軽い口調で、なんでもない世間話をするかのように話していた。
だけどその口からこぼれ落ちる言葉はどれも、どれ一つとして、軽いものではなかったと思う。マロネくんは栗の木の精霊だから、木が存続する限りこれからもずっと長い時間を生きることになる。忘れられたら消えると本人は言っていたけど、サラムさんがこうしてここまでやってきて再会を果たしたからには、きっとサラムさんがマロネくんを忘れることはない。
途方もない時間の果てに川を泳ぐ日がきたら、って、それ、いつになるっていうんだろう。そんな途方もない時間を、唯一人の人を想って生きろというのは、逆にすごく酷なことなんじゃないのだろうか。
でも、サラムさんはそうしろと、そうしてもいいんだと、マロネくんに言った。
酷なことだけど、でも、マロネくんが望むならそうやってずっと引きずって生きていいと。
暫くの間言われたことを噛み締めていたマロネくんは、やがて、大きく息を吐いてうつむいた。ぽたりと涙が落ちていくのがわかった。
「……いつだってさ」
震える声が言う。
「サフルが一番喜ぶ言葉は、サラムが知ってるんだ」
「おうよ。俺はあいつの自慢の兄だからな」
「うん。……そうだ、サフルとサラムは、そういう人たちなんだった」
すっとマロネくんの体が透ける。乱暴に涙を拭ったマロネくんが顔を上げて、何か言おうと口を開いて、閉じて、息を飲み込む。同時に、その体がふっと消えた。
「……あいつ、逃げたな」
どうやら話は終わったようだ。僕もようやく安堵の息を吐き出す。ちっと舌打ちをしたサラムさんはこちらを振り返って、肩をすくめてみせた。
「よう、時間もらってすまんな。こっちの話に巻き込んじまった」
明るくそう言われて、大人だなーって感想を持つ僕。横で如月くんが「いえ」とそれに応えた。
「あの、マロネくんは大丈夫ですか……?」
「大丈夫大丈夫、あいつあんな弱っちそうな外見だけど案外根性あるからな。それより、なんかこいつ掘り出す道具持ってないか?」
サラムさんは細い木をべしべしと叩きながらそんなことを問いかけるけど、残念ながらスコップとかは持ってないんだよなあ。さっきそれで<原初の呪文>使ったわけだし。
「勝手に掘り出して大丈夫ですか? マロネくんから苦情きません?」
「いいんだよ、苦情来たって。嫌なら出てきて止めりゃいいんだ、すんなり消えたんだから連れ帰っていいってことだろ」
マロネくんの意思とか聞かなくて大丈夫かなあ、とは思うんだけど。さっきの会話を聞いた感じだと、サラムさんが連れ出すなら良いのかな。この2人の間には確かに信頼関係があるみたいだし。
「道具はないんだが……ナツ、なんとかなるかこれ?」
「うーん、根っこからぼこっと?」
雑草を引っこ抜く感じかな。そうすると指で摘んで上に引っ張り上げるようなイメージだから……。
「行けるかも。えーっと先に【保護】して、【摘出】!」
これでどうだ! 摘んで引っ張り上げればよいのである!
構えたユーグくんからぱあっと光が2つ連続で飛んで、マロネくんの木を空中にぼこっと引っ張り上げる。【保護】で傷つかないようにプロテクトして、【摘出】で地面から引っこ抜いたという感じ。うっかり枝とか折っちゃったらまずいので保護するのは大事……!
根っこも大部分無事に引っ張り上げられたはず。そのまま地面に緩やかに着地した栗の木を、サラムさんとイオくんがさっと支える。そんなに大きな木じゃないけど、それでも2人で持って行くのは無理かなあ。
「運ぶのに応援呼んでくる?」
「んー、いや。テト呼んでくれ」
「あ、空間収納。あれって生き物も行けるのかな」
「インベントリでは無理だけど、空間魔法では可能かもしれないし、一応聞いてみて欲しい」
そういうことなら呼びましょう、家の有能な新人を!
「テトー、ちょっと出てきてー」
はーい!
ぴょいんっとホームから出てきた巨大白猫は、栗の木と僕を交互に見て目を輝かせた。お仕事? お仕事? という期待の眼差し。君は本当にお仕事が好きだね。
「ちょっと聞きたいんだけど、あの木って運べる? 空間収納に入るかな?」
はこぶのー。だいじょうぶー。
「大丈夫だって」
「さすがテト」
良し! とテトを撫でるイオくん。そしてイオくんに撫でられてにゃふっと自慢げに胸を張るテト。ほめられた! と報告してきたので、僕も「良かったねー」と撫でておく。
「生き物も入るんだね、空間収納」
んーとねー。あんまりおおきいのはむりー。
「あの木くらいなら大丈夫なんだ?」
だいじょうぶー。にほんくらいはいるのー。
「すごいじゃん、じゃあ、収納お願い」
まかせろー。
テトさん、がんばってキリッとしてるけど目がきらきらしてるし、喜びを隠しきれてない。本当に働き者で良い新入社員です。にゃっにゃにゃーっと弾むような声で栗の木に駆け寄って、ぽむっと一瞬で収納してしまう。できる子! えらい!
「空間収納か。珍しいのを持ってるな」
「うちのテトは有能なので!」
ふふんと自慢すると、サラムさんは「へえ、すごいな」と言いながらテトを初めて撫でた。やっと撫でてくれたサラムさんに対して、テトは満足げである。
テトはすべての人類と妖精類がもれなく自分を撫でてくれる存在、と認識している気がする。そんなに間違ってないけどね。
にゃふにゃふ言いながら戻ってきたテトは、そのまま流れるように伏せをして完全に僕の騎乗待ち体勢になった。……あ、はい。門まで帰るから乗せていただきます……!
「じゃ、うちの庭に植え替えるか。すまんがもう少し手伝ってくれ」




