はじめまして
孫乾 独白
はじめまして
お初にお目に掛かります。
そう挨拶するところから、決まったいつもの口上を口にする。
我が名は孫乾あざなを公祐と申し、中山靖王劉勝が末孫、劉元徳にお仕えするものです。
不遇の中に寄る辺をなくし、困り果てているかの御方を、何卒、お助け下さいますよう。
この方こそが、乱れた天下を正す唯一の御方。
そう心より思ってお仕えしている。
わけではないのだが…。
どこかおっとりと優しい元徳様が、単に好きなのだ。
放っておくことができない。
見捨ててゆくことができない。
下手をすれば同情すれすれの心持ちで、私は元徳様の為にその寄る辺を探した。
今にして振り返れば、あの頃は本当に楽しかった。
寄って立つ城の一つもないというのに、何故か皆、希望に満ちあふれていた。
いつかきっと、元徳様が天下に足を踏み出すのだと、
信じて夢を見る者たちが、毎日を必死に生きていた。
そんな者たちのためにも、例え一時の仮の宿でも、
力ある豪族の元にその寄る辺を求めて赴くのは大層気合いの入る、楽しい任務だった。
その労が報われたと、一番心安らいで暮らせたのは劉表殿の元にいた時だろうか。
かつて同様に寄る辺として頼った袁紹殿の、その子息の話をするときに、
いつも私は同席を許され、意見を申し述べることも許された。
当時、袁紹殿のご子息は互いに争い、それが単なる兄弟喧嘩の域を出て、
戦にまで発展するような騒ぎになっていた。
それを遠く荊州から、劉表殿も元徳様も気に掛けておいでだったのだ。
いや、実際は、袁家が完全に滅びると、荊州が今度は危ないとか、
そんな心配があっただろうことは想像に難くない。
袁家の兄弟が心胆相照らして協力しあい、曹操から華北を守っていてくれればこそ、
荊州も安泰を得られるというものだ。
それでなくとも、劉表殿には孫権という敵がある。
さして戦が好きというわけでもない劉表殿は、東の孫権だけでも頭痛の種であったのだ。
その上、袁家を屠った曹操が南下してきたら…。
そう考えて震撼とするのは良く分かる。
となれば、袁家の兄弟が仲良くするか、喧嘩をするかでは大きな違いだ。
それを毎日のように議論し、何か遠方からでもできることがないかと知恵を絞り合ったものだ。
実に楽しい日々だった。
その後袁家がなくなり、劉表殿も世を去り、荊州は心配したとおりに曹操に支配された。
私たちは元徳様と共に孫権の元に逃れ、命ばかりは事なきを得た。
が、曹操の進軍は早く、孫権の元には開戦か降伏かを問うような文まで届けられた。
私は、次に寄る辺と成すにはどこがいいかを毎日のように考えていた。
曹操があちこちを潰して歩いて来たお陰で、北の方にはもう頼れる場所がない。
独自の勢力を張っているのは、蜀の劉彰にその好敵手たる関中の張魯。
西涼にも馬超という者がある。
さて、いずれを頼ろうか。
孫権の勝ち戦など夢にも思わなかった私は、本当にそんなことばかりを考えていた。
だが、案に相違して孫権は勝ち、更には荊州にまで進出し、南郡を占拠した。
その一部を我らが元徳様が借り受け、我らはそこに居住まいを定めた。
そして、それは元徳様の蜀漢帝国への第一歩となった。
今、私は死の床に着いている。
意外にも気分は悪くない。
益州をとってこのかた、私自身の存在価値が薄くなってしまったようで、
なにやらもの悲しい気分になることが多かったのだが、
まだまだ私にも使い道があることに気づいた。
元徳様よりも先に九泉に逝けるのだ。
寄る辺を求めて必死に助けを求めたそのときのように、
私は九泉に赴いて、後から参られるだろう元徳様のためにその寄る辺を求めるのだ。
これこそが、孫公祐の真価!
九泉でも、同じ口上から始めよう。
そして中山靖王劉勝の末孫、劉元徳を高く高く売り込むのだ。
ああ、死に逝くのが待ち遠しい!!
はじめまして
お初にお目に掛かります
孫乾が死の間際、残した言葉は…
おわり