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ぶつ切り三国志  作者: 李恩文弱
2/5

共に舞う者

三国志 呉軍 剣舞

甘寧 凌統 呂蒙 陸遜




研ぎ澄まされた気が舞うかの如き剣舞であった。

舞う凌統の目は、仇の甘寧すらも透過するように透明に澄んでいる。

虚空に彼しか分からぬ敵があるかのように、鋭く俊敏に舞うその動きに、

居合わせた諸将は息を飲みつつも、彼が何を切り裂くのかを知ろうと目を凝らしている。


軽やかに宙に舞い、突き出す切っ先が貫く先に赤い飛沫を上げるのは、何ものの胸か。

天性の軽やかさを持って次々と繰り出される剣は精巧で緻密だ。

逃れようもないままに、追いつめられ、ずたずたに切り裂かれていく者がある。

誰の目にも見えない。

殺気すらも纏わずに、一心不乱に舞う凌統意外にそれを見ることは叶わない。


焦れたように、誰かが舌打ちをした。

目は凌統に据えられたまま、その切っ先の届く先が見届けられぬ苛立たしさに漏らしたものだ。

その僅かな音に、甘寧が立ち上がった。

双戟を手にし、真っ直ぐに中央で舞う凌統の元へ向かう。

座に、明らかな緊張が生まれた。


知らぬ者があろうはずもない。

これから始まるであろう新たな舞いの意味を、察せられぬ者があるはずもない。


不意にふらりと目の前に表れた甘寧に、凌統はほんの僅か目を見張った。

しかしそれも僅かな間、直ぐに凌統の顔から感情は消え、

それが自然であるかのようにそのまま舞は続けられた。


甘寧の双戟と凌統の双剣が、時折、女の悲鳴のような高い音を立ててぶつかり合う。

にも関わらず、全ての音が消えてしまったかのように、

二人を取り巻く空気は静謐に満ちている。

殺気も緊張もない。


生まれた時から共に舞っていたかのように合わされる剣と戟。

一糸の乱れもなく繰り返される舞の動きは、時に離れ、時に近づきすれ違い、

延々と終わることなく続くかのように錯覚させる流麗さすらあった。


そうして、諸将がすっかり目を奪われたその刹那であった。

ほんの一筋の殺気が凌統から発せられた。

空気を両断するように走ったその殺気に、誰もが息を飲む。

長い対峙の後に均衡が崩れるその一瞬を、誰しもが脳裏に描いた。


「素晴らしい舞だ。両者とも、見事に過ぎる。

 ここは、俺が一つ水を差してやろう」


諸将の目に、そんな言葉と共に飛び込んできたのは呂蒙だった。

片手に剣を持ち、片手に盾を持ち、器用に両者の間に入って舞い始めた。

ほー、と、何処からともなくため息が漏れ出す。

空気は弛緩し、安堵に笑みを浮かべる者まであったほどだ。


舞は、直ぐに終わった。

凌統は双剣を引き、甘寧も双戟を壁に立て、再び座に戻って杯を取った。

だが、それを口には運ばずに、甘寧の視線はまだ酒の満たされた杯に落ちた。

揺らめきの一つもない杯の中に、甘寧自身の顔が映し出されている。

その背後に、呂蒙が僅かに映った。


「なぜ、あんな真似をした?」

物静かに問う声には、微かに咎め立てる色がある。

甘寧は首を振った。

「さあな。俺にもよくわからねぇ」

「分からんということがあるか。

 公績の舞に飛び込むことが、どんな結果を招くか分からんわけではあるまい?」

「それは分かるよ。それは分かるが……」

言葉を切り、肩を竦めて甘寧は顔を上げた。

振り返って呂蒙を見やり、いつもの軽口のように滑らかに言った。

「なんか、見てるうちに腹が立ってよ。

 気がついたら戟が手の中にありやがるから、

 んじゃ、いっちょ俺も舞ってやるかと思っただけだ。他意はなかったんだぜ」

その返事にため息を吐いたのはむしろ呂蒙の方だった。

「今後、こんな真似はやめてくれよ?」

「おお。命が幾つ合っても足りゃしねぇな。気を付けるよ」


笑って呂蒙の不安に応え、甘寧はもう何事もなかったように酒を飲み始めた。

本当は、そんな単純なものではないと甘寧は気づいている。

凌統の舞に腹の立った理由も、戟を手にしたわけにも、気づいている。


許せなかったのだと甘寧は思う。

甘寧以外の者をその視界に入れ、あれほど夢中に追うことが。

ただその者だけを追い、その者だけのために舞った凌統が、許せなかった。


甘寧にも、その視界の中に捉えられた者が誰かは分からない。

それが甘寧ではなかったことが分かるだけだ。

なぜなら、甘寧はこの場にいた。

甘寧だけをその視界の中に捉えるならば、舞の最中に幾度も甘寧を見ただろう。

だが、凌統は一度も甘寧を見なかった。


甘寧だけではない。

その場にいた誰をも、凌統は見なかった。

凌統は自身の舞の前にだけ存在する幻のような者だけを見ていたのだ。

みなはその幻の如き者を見定めようとしたのだ。

それが見えた者は一人としてなかったが、確かにそれは存在していた。

凌統の心を、舞の最中、片時も放さなかった者が確かに存在したのだ。


甘寧は、その確かな存在に嫉妬した。


その感情が負のものであるにせよ、凌統に、誰よりも強く想われているのは自分だと、

甘寧は自負にも似たものをもっていた。

憎しみというもっとも手強い負の感情を、真っ直ぐに発して甘寧だけを見る凌統は、

ある意味、完全に甘寧だけを見、甘寧だけを感じているのだとも。

甘寧という無頼の存在を、誰よりも認め、誰よりも憎む凌統。

それは甘寧の存在をこの世で最も理解し、認証している証だと甘寧は思っていた。

だがそれは、たった一度の舞で、完全に否定された。



そして、甘寧が苛立たしく腹の中を焼いているその時に、

宴席を抜けて夜風に当たる凌統の元には陸遜の姿があった。

透き通るような夜気の中で、陸遜が朗らかに言う。

「お見事な舞でしたね」

「そうですか?」

「ええ。思わず見惚れましたが、誰と舞っておられました?」

「甘寧だったと思いますが?」

「いえ、その前に」

「ああ」

得心した様子で凌統が笑う。

陸遜も明るい笑みを零す。

「おれ自身ですよ」

「ああ、やっぱり。自分が一番手強いですからね」

「そうですよね」

「ええ」


にこやかに微笑み合う二人の会話を聞けなかったことが、

おそらくは、甘寧にとっての本日一番の不幸なことであっただろう。




おわり

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