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ヘリオポリス   作者: soltydog 369
第3話
4/9

出会い

「ホルス…おい。大丈夫か」


また誰かが自分を呼んでいる。

体をゆすられ徐々に意識を取り戻す。

ホルスがうっすらと目を開けると、誰かが顔を覗き込んでいるのがわかった。


「…ひ、羊?」

思わず気の抜けた声が出た。

視界一杯に広がった羊の顔は思いのほか迫力がありホルスはギョッとした。


「俺は羊じゃねぇ。クヌムだ。」

不機嫌そうな声で羊が喋る。

その何とも不思議な光景にホルスは思わず目を擦り凝視した。

すると実際は羊の頭を模した被り物であることに気づく。

「ここは…?」

ホルスはのそのそと体を起こし、独り言のように呟いた。


「んー。ナイル川の下流辺りか。川の見回りをしようと思って来てみりゃ、やけにでけぇ動物がいるじゃねえか。結局それがお前だった訳だが…何も覚えてねえのか。」


下流…

ホルスは未だ醒めきっていない頭でぼんやりと考えた。

自分が溺れたのは確か上流の方だったから、随分流れてきてしまったのが分かる。


羊の頭を被った男の皮膚は浅黒く、新緑の若葉を思わせる緑髪は無造作に伸びているのに、何故か横髪だけ丁寧に編み込まれていた。

燃えるような緋色の瞳が真っ直ぐとこちらを見つめている。


しかしその男の格好といえば着ている服はあちこち破れているし、体はまるでどこかで泥浴びをしたかのように汚れている。

しかし身なりこそ草臥れているものの、精悍な顔立ちと独特な風格が神聖ささえ醸し出している。


…何なんだこの人は

ホルスはこの男が醸し出す不思議な雰囲気に釘付けになった。


それが顔に出ていたのかクヌムは怪訝そうな顔をする。


「…おい、まだ寝ぼけてんのか?」

そう問われて我に返る。

「あ、いや…つい見惚れて…。」

しまった、とホルスは言いかけた言葉を飲み込んだ。

思った事をすぐ口にしてしまう癖が災いした。


それを聞いたクヌムがぷっと吹き出した。


「お前に言われてもなぁ…。そういうのは女を口説く時に取っときな。」

「い、いや別に変な意味じゃなくて!ただ俺は…」

慌てて弁明しようとするとクヌムはわかってるよ言ったが、笑いを止める事はできないようだ。

くつくつと声を押し殺しながらずっと笑っている。

そんなに可笑しかったか?

クヌムがあまりにも笑っているので少しむっとしながらホルスは浮かんできた疑問を口にした。


「ていうか何で俺の名前知ってるんだ?」

自分が知らないだけで、どこかで会っているんだろうか?

クヌムはああ、と呟くと続けて言った。


「子供の名前を忘れる親がいるかよ」


言葉の意味がわからずホルスは答えを求めるようにクヌムを見た。


「ここにいる神は皆、俺達から生まれたからだ。」


…は?


ホルスはもう一度クヌムの方を見た。

しかしその顔を見る限りこれ以上説明はないようだ。


クヌムの話が本当なら途方もない話になる。

しかし今目の前にいるこの男がとんでもなく偉大な神である事は理解できた。


「つまり…クヌムは神々の創造神で、俺たちの始祖ってことか?」

「そういう事になるな。正確には俺とアトゥムの二柱で、だが。」


アトゥム・ラー

ホルスの高祖父にあたり、エジプトに最初に生まれた神である。

一応遠い親族であるが、顔を合わせたことは一度もない。


「クヌムは何故ここに?」

ホルスは純粋に湧き出た質問を投げかける。

ホルスのイメージでは、創造神ともなるとラー同様自分達の手の届かない場所にいて、顔を合わせる事すらないと思っていた。


「俺がナイル川の番人だからだ。この川は全ての生命の源。全ての始まりとされたヌンもこの川の源流から生まれている。」


この川がそんな神聖な川だったとは…

ホルスは改めて流々と流れるナイル川に目を向けた。


普段何気なく訪れていた場所。

この川で無数の生命(いのち)が誕生し、営みを繰り返してきたのだ。


「俺も質問があるんだがお前、何でこんな所に倒れてた?まさか一端の神が溺れたとか言うんじゃねぇだろうな?」


そのまさかだ。

口にする前に顔に出ていたらしく彼は軽くため息をついた。


でも、とホルスは弁明した。

そして川の中での出来事を全て打ち明ける。

突然妙な風に襲われて川に落ちたこと。

恐らくそれがセトの仕業であること。

そしてその川の中で父に会い、事実を聞かされたこと。


「会ったばっかのあんたに話すのは変だと思うけど俺…後悔したんだ。何でちゃんと向き合って来なかったんだって。過去に本当は何があったのか、知る機会は何度もあったのに。父親が殺されたことすら知らねえなんて…。」


ホルスが話している間、相槌を打つでもなくただ黙って聞いていたクヌムは静かに口を開いた。


「…で、どうすんだ。」


クヌムの唐突な問いにホルスは目を丸くする。


「これからだよ。後悔してそれで終わりか?」

クヌムは肩肘をつきながらこちらをじっと見つめている。


「俺は…。」

脳裏に父の顔が浮かび、ホルスは意を決して胸の内にある思いを吐露した。



「俺は先代の王オシリスの息子として叔父(セト)からその座を取り戻す。」



それを聞いたクヌムは面白がるように口元に僅かな笑みを浮かべた。


「…ついて来い。」

そう言って立ち上がり、そのまま森の方へ歩き出すクヌムを慌てて追いかける。


「…どこへ行くんだ?」

ホルスの問いにクヌムは歩きながら答えた。


「会わせたい奴がいる。」


ホルスはクヌムに言われるがままその後を追った。

辺りには鬱蒼とした森が広がっている。

ただでさえ歩きにくい獣道をクヌムが足早に歩くので、ホルスはついて行くのに必死だった。


国土の90%以上が砂漠地帯と言われるこの国で豊かな自然を保っているのは、ナイル川周辺のこの地域以外にない。

砂漠地帯に住むことは難しく、人々の住まいも必然的にこの地域に密集している。

エジプトにはほとんど雨が降らないが、川の源流があるエチオピア高原はその限りではない。

毎年雨季になるとモンスーンが発生し、大量の雨を降らせる。

結果的にその雨がナイル川主流を増水させ、毎年のように氾濫を起こすのだ。

そのおかげで周辺の緑が保たれ、人々は雨が降らずとも水源を確保する事ができる。


クヌムの歩くペースにも慣れ始めた頃、ホルスは周りの異様な静けさに気づく。

これだけの自然の中にいるというのに鳥の鳴き声一つしない。


「…やけに静かじゃないか?」

ホルスは胸の内にある不安を吐露するように話しかけた。

徐々に日も落ち始め、その不気味さに拍車をかけている。


「まぁその辺にいるような平凡な生物が入れねぇような領域に近づいてるからな。」

軽い口ぶりに騙されそうになるが、ホルスにはそれが不穏なものに聞こえてならない。


神域か或いはその逆かもしれない。

とホルスは思った。

そして幼い頃に母から聞いた話が頭をよぎる。

森の奥深くには神々の手が届かない領域があり、魑魅魍魎が渦巻いている、と。

そこまで考えて、まさかなとホルスは苦笑する。

言うことを聞かない子供に親がよくやる手だとホルスは自分に言い聞かせた。


「何だ怖いのか?」

にやにやと笑ってクヌムがこちらを見た。

「そんな訳ないだろ。」

茶化すような言葉をホルスは食い気味に否定した。


「いや、別に悪いって言ってんじゃねぇ。本来恐怖心ってのは、危険を察知して生き延びる本能として生物全般に備わってるもんだ。」

それに、とクヌムは続けた。


「お前の恐怖心は今まさに正しく機能したって訳だ。」


どういう意味だ、と問いかけようとしたホルスの声は突如響いた爆音にかき消された。


「な、何だ…!?」


耳をつんざくような地響きと舞い上がる砂塵で全ての感覚が遮られ状況が理解できない。


地震か…?

いや、それにしては揺れが不規則だ。

では一体この揺れは何だ?


「お前戦闘経験はあるか?」

前方から聞こえるクヌムの冷静な声がホルスを現実へ引き戻した。


「え?…えっと、狩りか護身術くらいしか。」

「…狩りね。上手く立ち回らねぇと狩られる側になるかもな。」

「…笑えない冗談やめてくれよ。」

「冗談になるかどうかはお前にかかってるぞホルス。」

冗談か本気かわからない(たち)の悪い言葉がホルスの不安を一層煽った。


次の瞬間

ヒュッと風を切る音と共に砂塵の中から何かがこちらに向かって飛んでくるのが見えた。


速い…!


目で追うより先に体が動く。

ホルスは翼を広げて飛び上がり、すんでの所でその《何か》を避ける事に成功した。


…危なかった。

獲物を逃したそれは凄まじい音を立てて地面を抉る。


ホルスはゾッとした。

あれに潰されていたらただでは済まなかっただろう。


「ああ。そういやお前、#ハヤブサ__・__#だったな。動きは悪くねぇ。」

クヌムは特に焦る訳でも助けに入る訳でもなく、呑気にその様子を観察している。

ホルスにはそれが何か試されているようで気味が悪かった。


砂塵が収まり、ようやく視界が開けてくると目の前の光景に目を疑った。


姿を現したのは見たことのない程巨大なワニだった。

先程ホルスを襲ったのはこのワニの尻尾だったのだ。


「何だこいつ…!」

川から上がってきたのか?

しかしその体は通常のナイルワニを遥かに凌駕する程の大きさだった。

ワニは10m以上あろうかという巨体を揺らしながらこちらを威嚇する。

かなり気が立っている様だ。


「そんな怒んなって。別に縄張りを荒らしに来た訳じゃねぇよ。」

クヌムはワニを宥めるように話しかけたが、そんな言葉が届くような相手ではない。

怒りが収まらない様子のワニがひとたび尻尾をしならせると周囲の木が薙ぎ倒され、ミシミシと音を立てて倒れていく。


「あーあ。派手にやってくれんじゃねぇの。貴重な緑は大切にして欲しいね。」


全く会話にならない相手を前に悠長に話し続けているクヌムにホルスは苛立ちを覚える。

大きな口を開けて再び襲いかかってきた。

今度の標的はクヌムだ。

しかし当の本人は涼しい顔でそこから一歩も動かない。 


「クヌム!!」


気がつくとホルスはクヌムの前に飛び出した。

「おまっ…!何やって…!?」

クヌムに一瞬焦りの色が浮かぶ。


飛び出したはいいものの、恐怖で体が硬直したように動かない。


食われる…!

ホルスは逃げることもできずただぎゅっと目を閉じた。


「ペトスコス、やめなさい。」


突如凛とした声が闇夜に響き渡る。


鼻の先に感じていたワニの気配が消え、辺りは一瞬にして静寂に包まれた。


何が起こったんだ…?


ホルスが固まったままそっと目を開けると、目の前に見知らぬ男が立っていた。


「随分遅い登場じゃねぇかセベク。お陰でこいつが食われるとこだったぞ。」


「申し訳ありません。野暮用が事の他手間取ってしまいまして。」


セベクと呼ばれた男は申し訳なさそうに頭を下げた。

月に照らされた顔は心配になるほどに青白い。

切長の目と薄い唇。

中性的とはまさにこういう男の事をを言うのだろう。


「…どういう事だよ?」

状況が理解できないホルスはクヌムとセベクを交互に見た。

まるで狐につままれた気分だ。


「私はセベク。ナイル川を守る水神です。そしてこの子はペトスコス。私の眷属です。」 


ペトスコスはセベクの側ですっかり大人しくなり、頭を撫でられるとまるで懐いたペットのように頭を主人の体に擦り付けた。


どうやら森に住む魔物ではなかったようだ。

ホルスはそっと胸を撫で下ろす。

同時に母に吹き込まれた迷信を一瞬でも信じてしまった自分を恥ずかしく思った。


しかしこの巨大で凶暴なワニを眷属として手懐けているとは。

只者ではなさそうだ。


それにしても…

ホルスはクヌムの方を振り返った。

「全部知ってたな。俺を試してたのか?」

「まぁな。なかなかの演技力だったろ?」

クヌムは悪びれるどころか得意げに言った。

道理で冷静な訳だ。

お陰で寿命が縮む思いがした。


「まぁ、何事も経験だ。」

そう言ってホルスの肩を軽く叩いた。

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