7、言葉足らずでは伝わらない
♤♤♤♤
キンダーガーデン・平家は一人で仇級都市のある場所へ向かった。そこは今もかつての焼け跡が残っている廃屋。
もうしないはずの血のにおいまで嗅ぎとれるほど、忘れられるのなら忘れたい記憶が蘇ってくる場所だ。
あの事件の真実を知る者は、キンダーガーデンと彼を拾った探偵一人。
「もうあれから六年か」
過去は消えない。
その残骸を、目の前にして……
「平、久しぶり」
一瞬、キンダーガーデンの脳裏にはある人物のことが思い浮かんだ。
その人物は自分と同じ身長で、自分と同じ年齢で、自分と同じ体格で、自分と同じ……
振り返ると、自分とは似ても似つかない体格の男がいた。
声だけは知っている。だがそこにいたのは二十歳ほどの男。
黒ローブで顔と体型を隠してはっきりとは見えないが、声から男であると分かる。
「お前……誰だ?」
「俺のことを忘れたのか。残念だな。せっかく前と同じ場所で、お前に会いに来てあげたのに」
キンダーガーデンは幾つかの説を想像した。その中で最も可能性のある選択を口にする。
「身体の細胞に刺激を与えて成長を促し、無理矢理大人の姿になった……ってことか」
「知らねえよ。そんなことはどうでもいいだろ、平」
自分のことを「平」と呼ぶ人間はこの世でただ一人。
幼稚園の終わり、彼と少年は出会うことはなかった。
彼がある事件を起こし、少年がある事件に巻き込まれたから。
「俺は復讐のためにお前に会いに来たんだ。分かっているだろ」
キンダーガーデンは心底震えていた。内心崖っぷちに立っているような恐怖心で足が震えてもおかしくない。
気丈な彼は恐怖を包み隠し、冷静さを保っているように振る舞っている。
「お前が今調査している三つの事件、確か『XYZ殺人事件』とかいう変な名前がつけられていたっけ。まあ名称はものを縛る。だがそのせいで俺たちがどの都市から潰すのかがバレちゃったじゃん」
「都市を潰すって……」
キンダーガーデンは自分でも恐ろしい考えをひらめいた。
優秀だからこそ、正体に気付いてしまった。
「今回の『XYZ殺人事件』、犯人は俺だ」
「知っていたさ」
「嘘をつくなよ」
「いや、本当に分かっていた。僕にはある探偵仲間がいてね、彼女が言っていたんだ。第一の事件、『X』の彼女が殺されかけた事件の犯人は身内である可能性が高いと」
「だから?」
「彼女ーークローム・凛の血族を片っ端から調べた。だが彼女には兄弟姉妹はおらず、また両親は既に死去し、知り合いもそれほど多くはなかった。唯一いたのは、お前だよーークローム・カスト」
「あーあ、バレちゃった」
黒ローブを脱いで露になったのは、クローム・凛のことを心配していたはずのクローム・カストだった。声も一瞬だけクローム・カストで喋った。
彼は気付かれないと思っていたのか、キンダーガーデンの推理力に驚いていた。
「でもそれだけじゃ普通当てられない」
「いや、彼女の身元調査は完璧にこなしたんだよ。その結果、彼女は探偵をしていることが分かった」
「それがどうかしたか?」
「クローム・カストは言った。妻は主婦をしていると。お前は自ら墓穴を掘った。お前から来なかったら、お前を捕まえに行くつもりだったよ」
「優秀だ。さすがはヒーロー」
キンダーガーデンの賢さは、昔に劣らず成長している。支柱を得た植物のように、前よりも確実に大きな根を生やし、成長している。
彼の成長は羨ましく、妬ましいものだった。
だから彼は凶器を握り締め、狂喜を抱き締め、殺意と向かい合った。
「ヒーロー、お前は凛の調査をしたって言ったよな。ならクローム・カストという人物の調査もしたのか?」
「ああ。その結果、分かったことがある。名を変え、顔を変え、年齢を変え、全てを変えた」
目の前にいる男がかつての親友だったのか、それまで疑わしく感じられた。
ドッペルゲンガー、記憶喪失、多重人格、あらゆる可能性を想定し、話をして思ったことはーー
「ーーお前は一体、誰なんだ?」
♡♡♡♡
キンダーガーデンから告げられた真実に、メンヘラガールはゴルゴーンと目が合った乙女のように身体を硬直させていた。
時刻は昼の十二時を回り、真実が告げられてから一時間以上が経つ。
メンヘラガールはキンダーガーデンに依存している。
メンヘラガールにはキンダーガーデンが必要だった。
カッコ良くて頭が良い、気が回って誰にでも優しくて、些細なことに気付くほど他人のことをよく見ているーーヒーロー。
「平家星は人を殺していた……。ねえ、いつか私も殺しちゃうの?」
自分が殺されてしまうのではないか、そんな恐怖心が自分の脳を圧迫して思考を停止させた。
まるで逆麻薬のような、一時的に恐怖心が自分を埋め尽くす絶望があった。
ーーごめん
時間が経って落ち着いたこともあり、メンヘラガールは自分がしたことの大罪に気付いた。
キンダーガーデンが告げた事実に対し、どのような表情を向けてしまっていたのか、自分でも想像がつかないほど恐ろしい。
メンヘラガールはキンダーガーデンに依存していた。だがそれは表面上だけの関係であって、心は繋がれていなかった。
その証拠に、実際メンヘラガールはキンダーガーデンを恐れた。本当にメンヘラガールが溺れるように依存していたなら、今でもキンダーガーデンにすがりついていた。
「私は、メンヘラガールを演じきれなかった……」
後悔がため息とともに吐き出されても、後悔はより一層積もっていく。ため息一息につき襲いかかる後悔の質量は底を知れない。
いっそ数学者にでもなってその総量でも求めようか、ため息一息×年齢=後悔の総量になるだろうか、変な思案をして途中でやめた。
今何をすべきか、自分ではっきりと分かっていた。
でも、行動しようにもキンダーガーデンがどこへ向かったのかが分からない。
「私は平家星に……謝らないと」
どこへ行ったのかも分からない彼を、メンヘラガールは千鳥足でさ迷いながら探した。
まるで武器を失っても尚戦おうと抗う剣闘士のように、うるうると見えにくくなる瞳でキンダーガーデンを探す。
「あれ、何でかな。目から、涙が……」
涙が溢れた。
メンヘラガールは何の涙か分からない。
キンダーガーデンへの贖罪からなのか、自分への哀れみからなのか。
焦りに駆られたメンヘラガールは周りが見えなくなっていた。
彼女の世界では、エンジン音を上げながら近づいてくる車でさえも、息を殺して忍び寄る暗殺者に変わっていた。
クラクションが鳴る。
だがメンヘラガールの耳には届かない。
「平家星、平家星、私はあなたに謝らないと」
車がぶつかる。
ーー寸前で、何かがメンヘラガールを押し倒したおかげで車との衝突を避けられた。
「危ないところだったぞ……って、何で泣いている?」
涙で顔がくしゃくしゃになっているメンヘラガールを見て、プリンセスは冷静さを実家に置き忘れたようにおどおどしていた。
「ちょちょ、え、え……、な……」
動揺のあまり踊っているのかと思える姿を後ろから見ていた神楽は、三段アイスを片手に不思議そうに歩み寄る。
「先輩、何してるんですか?」
泣いているメンヘラガールを、プリンセスが押し倒している。
神楽は誤解した。
「先輩、まさかそういう趣味が……」
「一概にないとは言えないが、ま、待て、違うんだ」
「全否定してくださいよ。何で半肯定なんですか」
「違うんだ。これはーー」
二人の会話を切り裂くように、メンヘラガールは泣きながら叫んだ。
「平家星を助けて」