9、平家星と源氏蛍
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仇級都市のある幼稚園で、二人は出逢った。
一人は頭脳明晰、大人顔負けの知識を有する少年。
一人は知恵も身体能力も平均で、これといって目立つ才能を持たない少年。
真逆の二人だが、同じ要素はあった。
二人とも、名家の出身であった。
仇級都市の二大勢力ーー平家と源氏。
かつて争い合い、今でも牽制し合っている関係にある。
本来、二人は出逢ってはいけなかった。
だが神のいたずらか、二人は出逢ってしまった。
まだ何も知らない子供の時期に。
「僕はキンダーガーデン・平家です」
「俺はアンダースクール・無名だ」
二人はーー出逢った。
二人は不思議と仲良くなるのが速かった。
三日もすれば一緒に外に遊びに出掛けるようになっていた。
十日もすれば友達のことを親に話すようになっていた。
だから、二人は後悔した。
自分の家のことについて、もっと理解していなかったことを。
「無名、お前は相変わらず我が一族の恥さらしだ」
父は無名に思いきり平手打ちをした。
無名は後ろから倒れ、頭を強く打った。
無名は頭を抑え、激痛を味わっていた。だが父は無名を心配することなく、吐き捨てるように言った。
「その平家の少年を殺せ。できなければ家から出ていけ」
父はナイフを無造作に投げ捨てた。
床に刺さったナイフを無名はしばらく眺めていた。
まだ幼い彼らだが、親から高等な教育を受けてきた。
一人は全てを吸収し、天才となった。
だがもう一人は違った。
無名はナイフを手にする。
キンダーガーデン・平家を殺せば、父から愛を受けられる。
父に自分を見ていてほしい。自分のことを大切にしてほしい。ただ、そばにいてほしい。
無名は覚悟を決めた。
幼稚園でキンダーガーデンと対面する無名。ナイフを袖に隠し持つ。
今にもナイフを握り、振るわなければ。
覚悟は彼を前にして飛散する。
「ねえ平、君の家ってすごかったんだね」
「ん?」
キンダーガーデンは一瞬何を言っているのかと戸惑いの視線を向けたが、無名の悲しそうな表情を見て彼の真意を理解した。
「僕の家は確かに名門だ。でも君の家も同じだろ」
「うん。でも今は、普通の家に生まれてきたかったって、そう思うよ」
「やはりか」
「……え?」
「君の家の噂はよく聞く。ただでさえいがみ合っている敵同士の家系。そこでこんな噂を耳にした。君の父親が君に僕の殺害を促していると」
無名は目を見張る。
「僕はそれを聞いて腹が立った。君の反応からして、多分それは本当なんだろう」
キンダーガーデンは気付いていた。
無名が袖に隠していたナイフを。
「僕はそれを知って見て見ぬふりできるほどお人好しじゃない」
キンダーガーデンは決めた。
「無名、僕が君のヒーローになるよ」
キンダーガーデンは無名に手を差し伸べた。
無名にとって、それは希望だった。
その手を掴む。
「さあ、変えよう。今から君の世界を」
無名は話した。
自分が源氏の中でどんな扱いを受けていたのか。どんな苦しみを味わっていたのか。
キンダーガーデンは全てを受け止めた。
「もうあの家にいたくない」
「分かった。全部僕に任せろ。僕はお前のヒーローだからな」
この日、キンダーガーデンと無名は二人で源氏の家へ向かった。
巨大な木製の門、ギギギという音を立てながら静かに開き、腰に刀を提げた数人の従者が迎える。
「無名様、隣のお方は誰でしょうか?」
「僕はキンダーガーデン・平家。無名の父に物申しにきた」
平家の人間と分かった途端、従者たちはひどく焦る。
しばらくすると、従者は恐る恐る二人を父のいる部屋へ案内した。
二人は部屋へ入る。
三面の壁に刀が飾られた部屋、床は畳、襖は一面、天井には提灯が提げられている。よく見ると一本だけ刀がなくなっているような空白があった。
部屋の中央では父が刀を抜き、無名へ向けている。
「覚悟を決めたわけか」
父は刀を無名に投げた。
「殺せ。お前の手で」
「あなたが無名の父ですか」
キンダーガーデンは物怖じせず、問いかける。
「ああ。お前はこれからあいつに殺される。さようなら」
父は笑っている。
無名は父が笑う姿を初めて見た。それは穏やかな笑いなどではない。
しかし、無名は錯覚した。
「そうだ。平を殺せば父は喜んでくれる」
無名は刀を手に取った。
だが、刀は重く、その重さに比例するように彼の心に暗い感情が渦巻く。
「俺は……」
「無名、殺せ。お前はその程度もできないのか」
「父上、俺は、俺はやります。やれます」
涙ながらに無名は叫ぶ。
いざ父を目の前にしてむめいは逆らえない。これまで受けた恐怖が無名を従順にさせる。
手足は震え、刀もまともに持てない。
「振り回されるな無名。君の手は汚させない」
キンダーガーデンは一歩一歩無名に近づく。
無名の刀の間合いにキンダーガーデンはいる。
だが無名は刀を震えず、そして静かに刀を置いた。
「父上、俺は……友達は殺せない」
「バカ野郎」
父は飾られていた刀を手に取り、無名に向かって走り出した。
「お前などいらない」
父は刀を突き刺した。
だが間一髪のところで刃先はキンダーガーデンによって変えられた。
無名の前に立ち塞がったキンダーガーデンは、刀を腹に受けた。
血が噴き出し、痛みが全身を駆ける。
「無名、ついでにお前も」
父は刀を振り上げた。
振り下ろされれば無名は死んでしまう。
「話を、僕は、あなたと話をするために来たんだ」
キンダーガーデンは父の足に絡みつき、叫ぶ。
「邪魔だ」
「無名は必要とされても良い人間だ。あいつを否定するなんて、それでもお前は親なのか」
「うるさい。俺はこいつの親などではない」
父は感情的に叫んだ。
無名はその瞬間、絶望した。
自分を取り巻く環境は何も変わらないんだと。
父からの愛は一生受けることはないんだと。
「糸の切れたマリオネットなどいなくなればいい」
無名は泣き叫んだ。
父は無慈悲に無名に刀を振り下ろす。
嫌だと叫んでも、愛してと泣いても、父は子を受け入れない。
その絶望がどれだけのものか、まして子供にとって、父はどれだけの存在か。
無名は思った。
自分は存在しなくて良い人間だと。
最後はせめて、愛してほしかった者の手で終わらせてほしい。
だから刀は振り下ろされた。
それでも刃は届かなかった。
「死なせない」
無名の眼前に広がった光景は、幼い彼にしてみれば衝撃的なものだった。
目は涙で滲み、鮮明な視界ではなかった。
朧気な瞳で、確かに見た。
父の心臓に刃が突き刺さっているのを。
父は正面から倒れ、背中から深々と刺さった刀の柄がピンと立つ。
すぐ側にいたキンダーガーデンは血に染まる。
「無名、僕は……」
キンダーガーデンの脳裏を駆ける。
自分は正しかったのか。
だが彼はどれだけ知恵はあっても、か弱い少年だった。
彼の心は自分を正当化するためだけに動いた。
幼い子供の防衛本能。
僕はヒーローとして当然のことをした。
無名もこの行動を受け入れるはずだ。
「無名、僕は君のヒーローだ」
キンダーガーデンは自分を憧れの眼差しで見ていてほしかった。
自分はヒーローなんだって、自分に言い聞かせたいから。
だが無名の目に憧れはなかった。
目の前にいるのは、父を殺した罪人だ。
無名は自分がどうするべきか、分からなくなっていた。
無名もキンダーガーデンのように、自分を正当化したかった。
父に愛されていないわけじゃない。
今日この日を忘れることで、父からの浴びせられた言葉をなかったことにしたかった。
だから彼はこの記憶を忘れることにした。
無名は父の刀を拾い、天井の提灯に向かって投げた。
「父は火事で死んだ。そこに俺は関わっていない。全ての記憶はもう存在しなくて良いから」
提灯の火は瞬く間に燃え広がる。
木製の家は火にとっては大好物、一瞬で全ては灰になる。
なぜか空いていた襖から飛び出す。
僕は家から逃げた。
何故家が燃えたのかも忘れ。
何故逃げているのかも忘れ。
そして出会った。
「汚いガキだ。昔の俺を思い出しているみたいだな。走馬灯ってやつか」
《エンドローガー》に拾われ、過去の記憶を微妙に歪められた。
その選択の果てに俺は罪を重ねるために未来を進む。
キンダーガーデンは病院に運ばれ、意識不明に。
目覚めた時、彼の側に無名はいなかった。
「ヒーローの憂鬱かな」
キンダーガーデンは無名に謝るため、探偵として歩み始める。
二人の関係は燃え盛る炎とともに消えていった。
キンダーガーデン・平家は自分を恨み、
アンダースクール・無名は愛を羨んだ。
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「以上が二人の話だ」
神無ちゃんは話を終えた。
二人の幼い頃の話を。
「今回の『XYZ殺人事件』はアンダースクール・無名によるものである。我々が彼を止めなければ、仇級都市は滅び、やがて世界に伝播する」
無名を止めることが、世界の救いになる。
「そして今、キンダーガーデン・平家は一人で無名のもとに向かっているだろう」
メンヘラガールははっと顔を上げた。
「だがこのままではキンダーガーデンは殺される。キンダーガーデン自身がそう言った。だから我々の手でキンダーガーデンを救うのだ。今こそ世界に革命を」