聖女
魔獣アルラカルラに村を乗っ取られたと恐怖した村人達は、ベルの思惑通り息を潜めて暮らし始めた。昔から生贄問題で畏怖の対象だった存在だ。子供達も全てを理解できてなくとも、大人達の意気消沈具合から何かを感じ取っているだろう。
「現魔王を討伐するにしても、魔獣がいるということは魔王城への扉は封印されたままということだな」
「そうですね……闇廟に近い闇雪の遺跡から侍者達が調査しているようですけど、1000年前と同様に魔獣と封印は連動してます」
ベルの自宅、ディアス家にて作戦会議が行われていた。
その場にはベルとアルル以外に、ラネッタとベルの母もいる。ベルの母もアルルの正体を知り怯えてはいたものの、村人の中では接する時間が多かったことが幸いし、その恐怖が間違いであることに気付いたのだ。アルルが正体を明かした後も普通に家事の手伝いをしていた事も母の恐怖心を和らげた要因だろう。
「勇者が現れないなら、誰かが魔獣達を殺す必要があるか……試しに魔力持ちが」 ベルがラネッタを見やる。
「待って! なんで……なんでそんな話になるの!? どうして魔獣さん殺す必要があるの!?」
「…………殺されなければ、世界が進まないからだ」
歪であれ魔王が復活し、魔獣が目を覚まし、魔王城への道が閉ざされた。魔王を倒さなければいずれ世界は滅びてしまう。魔王城への道を再び開けるには、魔獣が死ななければならない。自死では意味が無い。
ラネッタは命を軽く扱う2人の会話に我慢ならなかった。魔獣だから死ななければならないなんて、おかしいと。
「失礼ながらベル様。それはもう試しましたわ。魔獣たちと話し合った際にその案が出まして、闇嵐の遺跡の方で試したところ、侍者が闇嵐の魔獣を殺してもすぐに目を覚ましたとか」
「ふむ、そうだったか……後は勇者の血縁者か」
「それも残念ながら、3代前の血縁者が闇華の魔獣を討伐しに動いたようですが、結果は同じでしたね」
「はは、それでは八方塞がりか。打開策は現れない勇者だけ……この拵物に相応しい終焉だな」
ベルは乾いた嗤いを零すと、おもむろに立ち上がった。
誰かの手で組み上げられた世界は、いずれ朽ち果てて消える。人生とは世界の縮図だ。
「ベルくん……?」
「今の時点では何も出来ることは無い。しばし村人として静かに生きていよう……アルル、魔物の死骸を骨だけにしておけ」
「かしこまりました」 命令を受けたアルルが家を出た。
ラネッタは、自分だけが取り残されていることに気付いた。死に怯え、世界の危機に震えることが「生きている」ことだと思っていたが、立ち向かう意志を知って考えを改めた。今までは「死んでいた」のだ、と。
ベルは八方塞がりと言ったが、どう見ても諦めた表情はしていなかった。むしろ生き生きとしていて、地獄のような世界でも楽しもうという気概が窺い知れる。
「次は遺跡の周辺に生えていたラウルア草を骨の2倍分採ってこい」
「ひぇ! そんなにですか?! 侍者達にも手伝ってもらわないと」
次の指示に驚きながらも、アルルは遺跡に向かっていった。
家の外に出たベルは、以前村を襲った魔物の死骸が骨の状態になっているのを見やった。大小疎らの骨が山のように積み重なっている。
しばらくして戻って来たアルルは、骨の横に草の山を置いた。
「そしたら骨を砕いて骨粉にし、練った草と混ぜ合わせる」
「はい、骨粉にするのはお任せください」
ベルの指示にアルルは何の疑問も無く従っているが、近くで見ていたラネッタは首を傾げていた。いったい何が行われているのだろう。
ベルはすり鉢を使って草をすり潰す。激しい打撃音と共に粉々になっていく骨。その轟音は村中に響き、村人は何事かと原因を探すが、原因がアルルだと知るとそそくさと去っていく。触らぬ神に祟りなしである。
「ベルくん、何してるの……?」
「魔物の骨とラウルア草を合わせると、良い肥料になる。骨粉と練ったラウルア草を混ぜ数日置くと発酵して綿のような感触になるんだ。これを土に混ぜてやれば品質の高い作物が出来る」
「え……そうなの?」
「条件が揃わなければ作れなかっただろう。これで生産が向上する」
肥料の話は1000年前に勇者から教わった。ラウルア草は遺跡周辺だけでなく、世界中の村周辺にも少なからず自生していたが現在は確認出来ない。
昔は当たり前の知識だったが、1度全魔獣が倒されたことで魔物がいなくなり別の方法に変わっていった。その別の方法すらも後世にうまく伝承されなかったのだろう。
「わ、私も手伝う……これ、みんなに教えた方が早いんじゃないかなぁ……」
「魔物に忌避感を抱いてる今は何を言っても無駄だ。向こうが教えを乞うて来たらで構わない」
例え教えたとしても、魔物の骨を使う神経を疑われてしまう。それなら肥料で実際に豊作になったところを見せた方が信用を得やすい。見捨てる気はないが、甲斐甲斐しく世話を焼く気も無いというのが本音だが。
ベルとラネッタ、アルルの3人で肥料を作る。発酵後のふかふか肥料を、ディアス家の畑に混ぜた。魔物の骨が使用されているという時点で村人は不快感を顔で表していたが、発言する勇気は無かったようだ。
「……村のみんなとの溝を縮めるのは時間かかるのかな……ふふ、それにしても元魔王さまが畑仕事なんて変だね」
「我が元魔王であると知っても、態度を変えぬお前は神経が図太いな」
「だって、ベルくん悪い人じゃないもの」
ラネッタは屈託ない笑顔を向ける。どこか居心地が良く、ベルは微かに口角を上げた。
◇◇◇
王都には「聖女」と呼ばれ、崇められる人物がいた。
かつて世界を救ったとされる勇者と、当時の第二王女の子孫。聖女と呼ばれるのは単に勇者の血縁者だからというわけではない。
生まれた当初から莫大な魔力量を保持していた聖女は、幼い頃から戦場となった各地の浄化に駆り出された。聖女の聖女たる所以は自ら積み上げてきたのだ。
聖女様聖女様、我らを救いたまえ聖女様。各地へ赴けば崇められ、延々と祈りを捧げられる。それに応えることが自身が生まれた理由なのだと、信じて疑わなかった。
だから魔物襲撃で穢れた土地を浄化し、傷付いた人々を癒し、励ましの言葉をかけ続けた。それでも世界は一向に良くならない。聖女以外の魔力持ちが手伝ってくれるものの、全く手が回らない状態だった。
「リーシェ様、闇焔の魔獣の件はどうされるのですか」
「…………星渡りの儀」
「え?」
議題に上がっていたのは、数日前に「遺跡を離れた闇焔の魔獣の奇行について」である。メイドに声を掛けられた聖女リーシェは、心ここに在らずのままとある言葉を呟いた。
闇焔の魔獣について調査班が報告したのは、魔獣が遺跡を離れたということだけ。その後の動向や遺跡内の情報は一切分からない状況。
今も続く各地の浄化のせいで魔力のほとんどを使い切り、魔獣の監視を続けるのは難しい。しかし魔王が復活を遂げてから、魔獣は生贄要求以外は大人しくしていた。なのに、ここに来て予期せぬ行動をし始めたのだ。
それを知った時、自身を形作っていた常識が打ち砕かれた。同時に擦り減っていた精神が、あらぬ方向に曲がってしまったのだ。
魔獣も好きに動く、私もこんな役目放り出して逃げ出したい。好きな場所に行きたい、もう聖女だと呼ばれたくない、祈りなんていらない、早く解放されたい。
もうこんな世界、終わってしまえばいい。
そう考えては、民衆に笑顔を送り、こんな考えは間違っているのだと軌道修正を試みる。だが、人々の眼差しが、期待が、突き刺さるたびに現実逃避と軌道修正を繰り返す。もう以前のように聖女として振る舞うことはできないだろう。
「星渡りの儀よ……神からのお告げがあったわ、勇者に近しい者を外から呼ぶの」
聖女は夢で告げられた、「星渡りの儀」を以って勇者の召喚行うと決めた。神からの啓示があるほどにこの世界は追い込まれているのだ。
それなら神が世界を救えばいいのに、と考えてしまうのは性格が捻くれてしまったせいか。
「星渡り……ですか?」
「私共は何を準備したら良いでしょう?」
聖女リーシェ直属のメイドと執事は、同時に尋ねる。気が急って今にも儀式を始めようとしていたリーシェは、2人の言葉で冷静になった。
かつて勇者と共に旅をしたという、護衛騎士の子孫が執事で、元料理人の子孫がメイドだ。幼馴染でもあり、勇者の関係者としての繋がりもある。
「準備は私がいれば充分よ……でも時間が必要ね、最低でも4年……魔力を蓄える必要がある」
「4年もですか!?」 メイドは焦る。
「他の魔力持ちの方と協力することは出来ないのですか?!」 執事は取り乱す。
リーシェは、2人の慌てふためく様子を見て、自身に縋って群がる民衆の光景を思い浮かべてしまった。救けたい気持ちと、いっそのとこ私が殺して楽にしてやりたい気持ちがせめぎ合っている。
こんなことではダメだ。仮にも勇者の血が流れている身で、こんな穢れた考えは先祖様に失礼だ。心底自分が嫌になる。私の方こそ早く楽になりたい。
「いいえ、他の魔力持ちには眠りについた私の代わりをしてもらうわ。手が回らなくなるだろうけど、それまでの辛抱よ……」
そう伝えると、リーシェは自室へ向かった。
「星渡りの儀」──それは神の啓示より賜った方法。別世界は数多存在し、枝分かれした平行世界が存在している。それらを異世界と称し、星渡りの儀で異世界に干渉するのだ。
神によれば「勇者と同程度の力を持つ者がいる」との事だったので、その者に力を貸してもらう。
だが、その前にリーシェはベッドへ寝転ぶ。
「……疲れた…………」
星渡りの儀は、行おうと思えばすぐに行なえた。魔力の蓄えなど必要無かった。しかし、民衆からの期待と自身の愚考に嫌気がさしたため、頭を冷やす時間が欲しかったのだ。
それでも、ただ眠るわけでは無い。勇者が現れた後、旅に同行して戦う必要があるだろう。今の擦り切れた魔力量では心許無い。万全の体制で望まなければ。
「これまでの愚考をお許しください……御先祖様……」
リーシェはそのまま、自身に術を施して眠りについてしまった。