魔獣
母の目を盗み村を出た。付かず離れずの距離を保ち、少女を連れる兵士の後を付ける。兵士は魔物避けを持っており、魔物避けが作用している範囲内であれば魔物に目を付けられることなく、安全に遺跡に辿り着けた。
訪れたのは、闇焔の魔獣アルラカルラが巣食う「闇焔の遺跡」。辺りは鬱蒼とした森で、遺跡には蔦、周りには背丈の高い草が生い茂っていた。
有無も言わさず少女が遺跡の入り口に押し込められた後、入り口は塞がれてしまった。
◇◇◇
謎の遺跡に連れてこられ、遺跡の中に取り残された少女は通路を恐る恐る進む。その突き当りには大きな空間が広がっていた。上座に祭壇、真ん中に大きな舞台があり、舞台の上に神秘的な雰囲気を持つ魔獣が鎮座している。四足歩行の獣だが、少女の100倍はありそうなほどの巨体。
「……っぅ!?」
明かりは最低限、遺跡内部の暗さに目が慣れた頃に魔獣の目と視線がかち合い、少女は腰が抜けてしまった。幼いながらも、すぐさま自分は食べられてしまうと察する。
赤黒い胴に艶やかな赤い炎を纏い、火花がパチパチと辺りに弾けている魔獣は、身を屈め少女を凝視。
「……魔力持ち、良い良い」
「だっ……だれか……! たす……っ」
「ぐ……狭いな……」
その時新たな訪問者が、助けを求める少女の声を遮った。遺跡の大広間の崩れかけた壁の隙間から這い出てきたのは、後を付けていたベル。
1000年前同様、入り口からではなく勇者一行と探し当てた隠し扉から侵入してきたのだ。
「ふぅ……遺跡自体は昔のままのようだが朽ちかけているではないか。修繕も出来なかったのか、これでは威厳を保てぬぞ」
「なんだ……少女を救けに来たヒーローと言ったところか?」 魔獣が鼻で嗤う。
遺跡は1000年前と変わらないが、入り口付近の景観だけが綺麗なだけで側面は荒れ放題だった。若干の体裁は整えているだけマシか。
ベルは土埃で汚れた服を軽く叩きながら、魔獣と少女の間に立った。闇焔の魔獣アルラカルラとは、勇者一行と共に戦い看取ってからの再会となるため、体感10年ぶりである。
「ベルくん……」 少女は唖然と呟く。
「救けは必要ないだろう、今までの生贄侍らせているくせに何を言うアルラカルラ」
「……見られたか。どうやら魔力持ちではないようだから遺跡に留まらせることは出来ない。記憶を操作して帰す」
ベルは大広間に辿り着く前に、人間の男女が集まっているところを目撃していた。世話をさせるためか理由は定かではないが、遺跡内部は魔力持ちでないと長期間滞在出来ないため、生贄は魔力持ちを所望したというところだろう。
だがその様子を見て疑いは晴れた。眷属魔獣は以前のまま、理性を保っている。それに記憶に触れるのであれば僥倖。
「いやあベルくんっ!!」
「────どうだ? アルラカルラ」
魔獣がベルに向かって腕を振り上げた。咄嗟に目を覆った少女とは逆に、ベルは軽く微笑み記憶への侵入を許した。
ベルの記憶に触れた魔獣は、見る見るうちに巨体を縮めていく。縦に割れた瞳孔を持つ目からは大量の涙が零れ落ちていた。
「……昔も今も、お戯れが過ぎますベウルエウル様……っ! 勇者と共に貴方様が現れた時の衝撃たるや……っ」
「ああ、その時以来だな」
全く悪びれる様子も無く、互いを認識し合えたことに満足気なベル。萎縮し過ぎて仔猫の大きさまで縮んだアルラカルラの頭を撫でた。
「お会い出来て嬉しい限りでございます」
「お前が悪食になっていなくて安心した。だがなぜ生贄を望んだ? ──それと魔王城にいるモノはなんだ?」
「……結論から言えば魔王城に巣食っているモノについては存じ上げません」
アルラカルラの説明によると、謎めいた現魔王の正体は分からないが、力自体は我の力で間違いない。魔獣たちは目覚めたが現魔王の状態がおかしいため、接続を断ち、魔力持ち達を安定剤にし無理やり生き永らえてきたという。
絶やさないよう魔力持ちを10年に1度望んだが、ギリギリだったようで遺跡の修繕もままならない状態。他の魔獣も似たような状況らしい。現魔王の情報は期待できないだろう。
「そうか……とりあえず村で話をまとめる。お前も来い」
「ですが、魔力持ちがいないと不安定になってしまって……」
「……魔力持ちが近くに居ればどこにいても変わらん。安定剤はこの娘で良いだろう……他の魔力持ち達も順次帰せ」
我が主に二言は無い。アルラカルラは諦めの涙を流しながら、頷いた。
ベルが少女に目を向けると、ビクッと肩を震わせる。少女から一切の承諾を得ないまま決定したが、魔獣の安定剤役に宛てられたことを理解しているのだろうか。
「あ、あのぅ……ベルくん、助けてくれてありがとう……」
「……? 我はこの獣に用があって来ただけだ。それに、お前の固有名詞は何だったか……」
「こ、こゆうめいし……?」
未だめそめそしている魔獣が横から「名前の事だ」と説明を挟むと、少女はまた肩を震わせた。そう、ベルは両親以外の村人たちの名前を覚えていなかったのだ。少女は一緒に遊ぶ機会が無かったため自己紹介し合う機会も無かったと思い出す。
「……私の名前はラネッタだよ、よろしくね」
「ふむ、これからアルラカルラが世話になる。我は固有名詞を覚えるのが苦手でな。一度だけだと忘れている可能性があるから、その都度名乗ってくれ」
「え……わ、分かった!」
ベルが名前を覚えるのが苦手ということだけは理解できたラネッタは強く頷く。見知った少年が堂々としているため、魔獣が目の前にいても平静を保てるようになっていた。
祭壇奥の部屋から以前生贄として連れてこられた男女数人が現れ、魔獣アルラカルラに一礼する。ベルとラネッタの方を見やると、「君たちはどこの村で生まれたの?」と聞いていた。
「アラカラ村だよ」 ラネッタが答える。
「アラカラなのね。まさか連続して選ばれるなんて村の人も気が気でなかったと思うわ」 1人の年配女性が眉尻を下げた。
「……アルラカルラ様よりお話は伺っております、ベウルエウル様。私は10年前にアラカラ村から生贄として遺跡に来たモニカと申します」
中でも一番若い女性が代表として、ベルの前で跪く。それと同時に背後に待機している年齢がバラバラな男女も頭を垂れた。
10年前、9歳だったモニカは現在は19歳になっている。他の男女は別の村の出身だという。
「私共はこの遺跡に留まり、現魔王の動向の確認と村を守護する役目を担い続けたいと思います」
「それは総意か?」
「はい、その通りです。村に帰りたい気持ちもありましたが、世界中の混乱を目の当たりにしてはこの場を離れられません……魔力持ちとして生まれた運命を全うします」
モニカ達は強い眼差しを向けた。それがお前たちの選んだ選択肢なら、とベルは「心して励め」と激励を送った。
生贄もといアルラカルラの侍者達は一礼して、解散。その後モニカはラネッタに話しかけ、アルラカルラの安定剤としての役目を簡単に説明をする。
「アルラカルラ、お前は女の姿になれ」
「……失礼ながら、もしやベウルエウル様にもそのようなご趣味が」 アルラカルラは早口で呟く。
「男の姿だと徴兵されるからな……我の趣味はリバーシだが、なんだ? 早くしろ。名前も変えるようにな」
「申し訳ありません! ────女性の姿なら口調も寄せてみますわ。名前はアルルに致します」
素早く簡潔に、ベルが不機嫌になる前に支度を整えなれけばならない。アルラカルラはアルルと名乗ることに決め、若い女性に姿を変えた。黒みがかった赤い髪を靡かせている。
呼び方の確認もし合い、ラネッタも重要任務を任されたことで若干興奮気味になっていたが村へ帰る準備が整った。
「では参りましょう、ベルさ……まーーーっ!?」
「きゃあっベルくんっ!!」
侍者達に見送られながら、村に向けて出発というところでベルが床に倒れ込んでしまった。早く帰りたそうにしていたが、アルルと侍者達が挨拶を交わしているのを大人しく待っていたのだ。
遺跡内は魔力持ち以外は長く留まることが出来ない。それは遺跡内部に充満している魔力に耐性を持っていないためだ。元魔王の風格を保っていたベルでも耐えきれなかった。
「魔力酔いね、おいたわしや……」
「大丈夫? ベルくん大丈夫なの?!」 ラネッタが取り乱す。
「静かになさい、外の空気を吸わせれば大丈夫よ」
とはいえ気絶まで追い込まれてしまえば、目覚めるまで時間がかかる。アルルはベルを左腕に抱きかかえ、右手でラネッタと手を繋いだ。
ラネッタは既に恐ろしいという感情が消え去っており、当たり前のようにアルルの手を握る。
村に着くと、パニック状態のベルの母親が他の村人に宥められていた。見知らぬ女性が現れ、腕に抱かれている我が子を確認した瞬間、目にも止まらぬ早さで抱き取る。
未だ眠っているベルを、良かった良かったと抱きしめる母。アルルは我が主を奪い取られた衝撃で殺気を向けてしまう。しかし、ラネッタがそんなアルルの手を揺らして気を引いた。
「その人はベルくんのお母さんだよ」 ラネッタが微笑む。
「…………あら。ベル様の母君でしたのね」
「え? え……? ベル様??」 訝し気に顔を上げたベルの母。
もう一方で、見知らぬ女性と手を繋いでいた少女が生贄として連れていかれたラネッタであることが分かると村中が大騒ぎする事態となった。
「ベルが戻ってきたぞー!」
「ラネッタ!? ラネッタだ!? 遺跡に連れてかれたはずじゃ……おーい!! ラネッタもいるぞぉ!!」
呼び声を聞いて飛び出してきたのは、ラネッタの母親と兄。こちらもラネッタを見つけると何か叫びながらラネッタを抱きしめた。家族が生贄に選ばれた直後、絶望で塞ぎ込んでいた所だったため感極まって涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃだった。
村人総出で出迎えてお祭り騒ぎだったものの、1人が冷静になると「魔獣は?」「兵士は?」「どうして帰って来れたんだ?」と次々疑問を口にし出す。
「ん……ん? 母さんか……村に帰っているようだな」 目を覚ましたベルが周りを見渡す。
「ベルっ! あなた一体なにをしてたの!! 本当に心配したんだから!!」
半日姿が見えなくなり、探せど捜せど見つからず。今朝の生贄精選騒動の時に、息子が「同行したい」なんて発言した直後に行方不明になったら、半狂乱にもなる。気が気ではなく、ベルの母は半日で急激に老いた顔になっていた。
この世界の小さな村は、男性比率が低い。そのほとんどが徴兵され、24歳以下もっと言えば17歳以下が大半を占めている。あとは早々に重病を患ったか重傷を負ったことで退役した者、満了退役した60歳以上の者達だ。
自分の父親も夫も徴兵され、我が子が男であれば息子も徴兵される運命を辿る。徴兵された男性達も、残された女性達も、心にゆとりを持てる時代ではなかった。
「……あの、あなたはどちら様?」 ベルの母が訪ねる。
「私はベル様に忠誠を誓う者、アルルです。以後お見知りおきを」
絶望の1つを作り上げていた元凶である存在が、村人たちの当惑を完全無視して優雅に挨拶した。
アルルは魔物に襲われ逃げていたところ、ラネッタを連れていく兵士達と鉢合わせ。後をつけていたベルが機転を利かせて魔物を撃退。兵士達は生贄を放置して逃亡した──というテキトーな説明をした後、「ベル様の勇気ある行動にいたく感激したのでお傍に居たい」とかなり無理のある話で村人に取り入ろうとしていた。
「一体何の話をしてるんだ? お前は魔じゅ──むぐ」
「あああ! そう! ベルくん凄くかっこ良かったのー!!」
察したラネッタがベルの口を塞いで、アルルの話に合わせる。
アルルは絶句した。ベルが人間の女性になるように言ってきたのは、村人を混乱させないようにという配慮からだと思っていたのに。徴兵されなければ良いだけで、後の事は気にしていなかったようだ。
「……どうやら、我は気づかぬうちに凄い事をしたようだな?」
「うん、うん!」 ラネッタが焦りながら強く頷く。
生贄についても、遺跡手前まで足を運んだが「今後生贄必要無し」と書かれた看板があったので、引き返して来たと説明。すると村人は大いに盛り上がる。
アルルは「良かったですねー!」と素知らぬ顔で拍手をしていた。
アルルはディアス家に居候することに決定。アルルとラネッタは苦労を分かち合う関係になったことで、陰で手を取り合い仲良くなっていた。