村人
勇者の泣き声が耳の奥にこびり付いて離れない。
次の瞬間、まぶたの感触と指先の感覚が戻った。視力は落ち、聴力も本調子とは言えない状況。全身に力を入れるも、動くことは叶わなかった。
体の回復を待つと、ようやく真実に知ることが出来た。
我は赤子の姿になっていると。それも小さな村に住む何の能力も持たない両親の元に生まれた、何の能力も無い男児だ。勇者の願いを聞き入れたからだろうか。
ここは勇者と魔王の戦いから約1000年後の世界。勇者の人生はお伽噺のように聞かされ続けた。魔王を倒した勇者はどうやら第二王女と結婚したらしいが、その続きは無かった。
生まれ変わったことで両親という存在を知れた。魔王だった頃は親が存在していたかすら覚えていない。親なるものから生まれたのかすら定かではないのだ。
家族の在り方は片親、兄弟姉妹、祖父母、いとこやはとこなどの血縁関係が上げられるが、たとえ血の繋がりの無い友人や苦楽を共にした仲間でも家族と表現すると聞いたことがある。
「どうしたの、ベル?」
「ふむ……子が親を呼ぶ時の呼称を決めたいのだが」
「お、おう……?」
魔王時代の意識が抜けきれない、ベルと名付けられた男児。そんな我が子の様子を見て、たじろいでしまう両親。
勇者と勇者の妹は「お父さん、お母さん」、第二王女は「お父様、お母様」、護衛騎士は「父上、母上」、元料理人は「ダディ、マミィ」とそれぞれの両親を呼んでいた。
「どれが良いと思う? ……固有名詞で呼ぶことも出来るが」
「……あー、そうだな、無難にお父さんとお母さん呼びで良いぞ」 父が答える。
「ほう、そうか。承知した」
両親の呼称問題は解決した。
王者のような風格を醸し出す我が子を見つめ、「子供たちの間で流行ってるのか?」「そういう役に成りきってるのかも」と軽く流す両親であった。
村の同世代の子供たちと関わることも欠かさない。子供同士の接し方や対立を間近で見れる良い機会を得た。そのおかげで、魔王の頃の喋り方は今の姿には合っていないことを知れたのだ。取るに足らない者たちだと思っていたが、世界の縮図のような光景で意外と楽しめた。
「おいベルー、お前も来いよー」 村の子供たちが遊びに誘う。
「……我に声を掛けたのは良い心掛けだな。だが今は散歩の時間だ。また機会を設けよう」 ベルはそのまま遠ざかっていった。
「あいつたまにおかしいよな」
「最初からおかしかっただろ? 面白いけど」
村の子供たちと仲が悪いわけではないが、ベルが気紛れなため若干浮いている状態であった。子供たちのノリに合わせるのは苦手だと気付いてからは、別方向から攻めることで繋がりを絶たないようにしている。
「その気遣い感賞に値する。我から褒美を遣わそう」
「……?」
村の広場に集まって遊ぶ子供たちに、とある遊び道具を与えた。勇者から教えてもらった、「リバーシ」というものだ。勇者の元の世界ではオセロとも呼ばれていたとか。
2人用の対戦ボードゲーム。8×8の格子状の盤上で白と黒の石を交互に置いていき、相手の石を自分の石で挟むと自分の石にすることできる。最終的に石の多さで勝敗が決まる、簡単なようで奥深いゲームである。
手作りリバーシ2セットを用意し、遊び方を説明すると子供たちは興味本位で触り始める。じわじわとリバーシの虜になること間違いないだろう。我もその1人で、暇な時に勇者たちと嗜んでいたぐらいだ。
◇◇◇
リバーシが村の大人にも浸透してきた頃、元魔王のベルは7歳になっていた。
村人たちの関係も良好で、本当に何の変哲もない貧しくも平和な村──アラカラ村。しかし、平和なのは村の中だけの話だ。村の外に出れば魔物が蔓延り、来る日も来る日も魔物討伐に明け暮れる者たちがいた。
18歳を迎えた男性および第一子が7歳を迎えた男性は、徴兵令を下され強制的に兵役に就くことが決まっている。その事実が教えられるのは、成人する15歳の時。18歳で傭兵になるのを避けるため、多くは早くに結婚し子供を設けて時間稼ぎをしているという。
魔王の頃の力は一切持ってこれなかったが、無駄に耳が良いのは健在だった。ベルは自身の父が徴兵されることを知り、息を呑んだ。
「……魔物がいる、どういうことだ……? 魔物は魔獣が撒いたモノだぞ、つまり魔獣がいるということだ。その魔獣も、魔王復活と共に目覚める……なぜ、我はここに居るのに」
勇者が言っていた。この世界の元になったゲームは、勇者が魔王を倒し繰り返すことで様々な選択肢が増えていくのだと。この世界の本質は「ループ」──だが、1度きりの時間が過ぎている。実際1000年も経っているのに、未だ世界は本質に沿おうとしているのか。
今いる魔物が、別の存在だとすれば別問題だ。しかし魔王城に遺した魔王の力が、世界の強制力により暴走したのだとしたら。勇者の役割を与えられ、重責に苛まれる者が生まれてしまう。
「お父さん、魔王が復活したの?」 子供らしい喋り方を会得したベル。
「……っ!」
勇者も魔王もお伽噺。本当に存在にしていたなんて本気で信じているのは、関係者の子孫たちぐらいだった。人類が忘れかけていた頃、何の脈略も無く魔王は復活を遂げる。4体の眷属魔獣は目を覚まし、魔物がばら撒かれた。
「魔王は……存在していた、本当にいたんだ……お前もいずれ魔物狩りに徴兵されてしまう……」
「勇者はいないのか……?」
「……それがお伽噺のように上手くいかないみたいでな」 全てを諦めた顔で笑う父。
現魔王が復活したのは200年ほど前らしい。近年30年の間に魔物が凶暴化し始めたという。勇者はいまだ現れていない。
村の警備は手薄だが、何かしらの魔法で守られて外部の様子を極力知られないように工夫しているのだろう。今まで魔物が襲撃してくることは無かった。
そして父は、最後の挨拶を済ませると徴兵として連れていかれた。
村の外に出ることは許されない。出たとしても何の力も無ければ、簡単に殺される。それでは魔獣のもとに行くことも叶わず、現状確認の仕様がない。どうにか魔獣の住む遺跡に行く方法はないだろうか。
その願いは2年後に叶った。9歳になったベルは、母と2人で朝餉を取っていた時に家の外が騒がしいことに気付く。窓から確認してみると、街から来た兵士と一部村人が言い争っている様子が見えた。
「ま、まさか……またこの村が選ばれるなんて……! ベル、広場に集まることになるから早く食べておいて」
「どういうこと? お母さん、生贄って何のことだ? 隠さないで教えて欲しい」
「……っ聞こえたの!? ………………魔獣が、生贄を望んでいるのよ……」 母は震えている。
「魔獣が……!?」
10年に一度、眷属魔獣が生贄を所望するようになった。10年前もこの村から1人の生贄が選ばれている。アラカラ村以外の村も近くに点在しており、生贄はランダムで選ばれるが連続することは今までなかったらしい。
眷属魔獣が生贄を欲するなんて、我が魔王だった頃は無かった話だ。だがそれは我の知っている魔獣であればの話。現魔王の謎も含め、我の知識は過去の産物なのかもしれない。
「まぁ……好都合だ、魔獣の様子を見に行ける機会が目の前に現れたのだからな」
村中の戸を叩き、部屋を隈なく探し回った兵士によって村人は広場に集められた。子供を隠す行為は罰則を受けてしまうため、従うしかない。
生贄に選ばれるのは10歳以内の子供たちだ。ベルが生まれたディアス家には第二子はいなかったが、他の家庭には当たり前のように最大3人の兄弟姉妹がいた。これは第一子が7歳になるまでに第二子以降が生まれたら男児には100万、女児には40万の支援金が受け取れるためである。(金額に男女差があるのは徴兵云々が関係している)
つまり父親が徴兵された後の金銭面による問題を、まとまった金で解決できると錯覚させられているのだ。長い目で見れば一回きりの支援金は税金に流れていくため、根本的には解決できていない。
「10歳までの子供は順番にこの水晶玉に手をかざしてもらう」
兵士が持っている透明な水晶玉は魔力に反応する仕様で、強さに応じて内に渦巻く白いモヤが膨らんでいく代物のようだ。
説明を受けていない子供たちは、言われるがまま順番に手をかざしていく。そして生贄に選ばれたのは8歳の少女。我はモヤすら出てこない一般人だった。
「ではこの少女を連れていく。最後の挨拶を済ませよ」
「その少女を連れて魔獣の遺跡に向かうのだろう? 我も同行したいのだが」 ベルが立ち上がった。
「……何言ってるんだ、こいつは」 眉をしかめる兵士。
「2度も言わなければ理解できないのか? ……支配される側の心理を巧みに利用し、徴兵される男の確保と生贄候補の頭数確保の同時施行は称賛しよう。だが根本的な解決にはならない。魔獣が生贄を寄越すようにと言ってきたのであれば、対話が可能ということだ。対話した際の記録があるなら教えてもらえないか」
この世界の本質の縮図はここにあったというわけだ。
兵士たちは目を見合わせ、強張った顔でベルを見つめる。近くに待機している親御たちも不安と心配で落ち着きがなく、ベルの母に至っては絶句して固まっていた。
「なぜ黙っている? 言葉が喋れないわけでもなし……説明もないまま生贄を魔獣に受け渡すのが趣味なのか? 人間の所業も魔族と変わらぬな」
「俺たちだってこんなのことしたくないさ!」 兵士が怒鳴った。
「そうか、そちらも上下関係があるものな……で、最初の問いに答えてもらってないが?」
堂々とした9歳の圧に兵士たちがたじろぎながらも、当然ながら拒否してきた。もし同行できる流れになれば楽だったが、そう簡単にはいかないようだ。断られることも予想はしていた。
「(兵士たちとよろしくするつもりは無い……我はついて行くだけだ)」
ベルが黙ったことで、諦めたと思った兵士が村人に指示を開始した。
生贄に選ばれた少女は訳も分からぬまま母親と兄と別れの挨拶をすることになり、兵士に挟まれた状態で涙を流している。
その時間が設けられたおかげで、こちらも軽く準備が出来た。パニックになった母から叱られたが、今も大事にしたいから一縷の望みにかけるしかないのだ。子を持つ親の感覚を理解できないうちに。