邂逅
──魔王城。1000年前に最初の勇者が生まれるより前から存在する魔王の居城だ。いつの時代から現れたか定かでなく、いつ魔王が生まれたのかすらも知られていない。
いつの日からか、最低限の灯りに照らされた一室で当たり前のように玉座に座り続けていた。自身の現状も過去も分からず、感情も失っていた日々はある日突然終わりを告げた。
幾億もの死が頭の中を駆け巡り、歩み進める機会を与えられた。不思議な感覚と記憶の差異に翻弄されながらも、自我を受け入れた。そして出会ったのは、記憶情報の範囲外にいた異世界から転生し、勇者という役目を与えられた男。
正体を隠した魔王に様々な体験をする機会を設けた勇者は、一風変わっていた。物腰柔らかで情に流されやすい男だったが、心の奥には誰にも打ち明けることが出来ない想いを秘めていた。
4体の魔獣と魔王ベウルエウルを討ち倒した後は、共に旅をした当時の第二王女と結婚。もぬけの殻となった魔王城に毎年花を手向けながら、着実に歳を重ねていった。
『生まれ変わったら、友達になろう』
そんな口約束を置いて。
当初の目論見とはだいぶ違った結果となった。勇者が魔王を討てば物語が終わる、勇者は開放される、つまり元の世界に帰れると踏んだのだが、この有様だ。
せっかく殺されてやったというのに、遺された魔王の力に取り込まれているとは。どうにかして抑制しようとした痕跡も見られたが、無駄に終わったようだ。
「…………もう、息してない」
新勇者が確認していたのは、座り込み背中を丸めた状態で固まった老人の生死。骨が浮き出た角張った手足に皺だらけの皮膚、まるで微睡んでいるような安らかな死に顔。
「元々死にかけの老いぼれだった、罪に耐えれるはずもない。それに循環もまともに行えていない、魔獣達に悪影響を及ぼしてた理由が解ったな」
「…………言い方ってものがあるだろ」
「本当の事だ、お前が傷つく道理があるか? ──たった今、我は魔王に返り咲いた。地上に放たれていた歪な魔物は回収し、平穏をもたらしてやったぞ」
勇者ミシェルを取り込んだ魔王の力は、本来の主人を見つけた瞬間にミシェルから剥がれた。言葉も交わせぬまま、ミシェルは老いた姿に戻り静かに息を引き取ったのだ。
ベルは正真正銘の魔王として、新勇者の前に立ちはだかった。
「立つがいい、最後に相応しい戦いを始めよう」
「……お前は一般人だったろ、村人として生きてきたんだろ。なら違う解決方法があるはずだろッ! わざわざ戦う意味なんて」
「──お前が帰る条件は何だった?」
新勇者は人類と魔王が手を取り合える未来もあるはずだと、説こうとした。しかし異世界から元の世界に帰る条件とされていたのは「魔王討伐」だ。それを思い出した新勇者は俯いて口籠る。
「お前は帰るんだ、魔王を倒せばお前の役目は終わる。そうであろう?」
「…………本当にそれで良いのか。奥さんも生まれてくる子供もいるのに……お前には未練ってものが無いのか」
「なぜそんなくだらないことを聞く? 未練を持つほど中途半端な関係ではない。御託は良い、死に損なった我を解放してくれ」
新勇者は鋭い眼差しで魔王を見据えた。この世界はゲームとは違う終わらせ方が出来るのではないかと、必死に考えていたが終ぞ思い浮かぶことはない。
ゲームのエンディング──それすなわち、繰り返しが終わりを告げるということ。勇者の前世と魔王の過去がトリガーであり、「勇者が前世を知り、魔王が過去を思い出す」ことで最後の戦いは違った展開となり、魔王を倒し切るとトゥルーエンドという形でエンディングを迎えるのだ。(魔王討伐後は任意のタイミングでループすることができ魔王と再戦することは可能、特にメリット無し)
「……おかしいよな、そもそもトゥルーを迎える準備段階から狂ってる。異世界から来た勇者が魔王を倒したって、意味が無いだろ。こっちが本当の勇者……」 新勇者はハッと顔を上げる。
「ぷれいやーは幾人もいる。代わりは幾らでもいる、お前は紛うことなき選ばれし勇者ということだ」
「誰でも良かったってわけかよ、最悪だな……あの野郎……」
こちらの世界に連れてきた存在に対して、怒りに打ち震えている新勇者の顔面すれすれに圧縮された空気の刃が通り過ぎた。軽く頬を切り、血が滴る。確実に敵意が込められた攻撃だ。
「テメェ!? お前の負けは決まってんだから降参しろよ!!」
「我が抵抗せずに降伏するとでも? ──お前は勇者の役割を与えられた何者だ?」
「くそが……俺はただの日本人で、ただの高校生で、勇者になんて向いてない反抗期真っ只中の一般人だ!」
短気で乗せられやすい性格の新勇者は、敵意が向けられたとなるとすぐさま臨戦態勢に移行した。そして、魔王からの問いに答えると剣を構えて駆け出す。
本当にこの戦いで終わるかどうかすら分からない状況で、魔王自ら負けを望み既に決着がついているにも関わらず、最後の戦いの幕が切って落とされた。
以前の勇者であれば、2度目であっても躊躇いを見せて話が進まなかっただろう。その点、新勇者が好戦的な性格で良かった、と魔王は喜んでいた。
「──うわっ! 悪趣味な攻撃やめろ!」
「段階的に攻撃方法を変えていくのは基本だろう」
「……魔王のメタ発言ほど冷めるものは無ぇよな」
攻撃のレパートリーは多ければ多いほど、戦いに彩りが増す。魔王が仕向けたのは、右腕、左腕、右脚、左脚。胴の無いそれぞれの部位は、各々別の人物から切り離されたものだ。なぜか大切に保管されていたので使うことにした。
部位に残る記憶を呼び起こし、魔王の力で本人同様の人形を作り出す。徐々に形付いていく虚像に、新勇者は顔をしかめた。それは新勇者も画面越しに見たことがあるキャラ、1000年前に生きていた当時の第二王女、護衛騎士、勇者の妹、元料理人の4人だった。4人の虚像は改めて魔獣の力を与えられ、新勇者の前に立ちはだかった。
「卑怯じゃねぇか……? 俺一人なんだが?」
「畢竟、良い余興だろう」
魔王は不敵に嗤い、新勇者は口元をヒクつかせる。虚像は1人ずつ動くようになっていたため、文句を言いつつも新勇者は確実に倒し進めていた。
その様子を玉座に座り、眺めていた魔王は自身の過去について考えていた。思い出せるのは幾億の死だけだと思っていたが、魔王の力を取り戻した瞬間──唐突に蘇って来たのだ。あまりにも突然で、自分自身の記憶として受け入れきれないのが正直な感想である。
『────植物は燃焼、魚は腐蝕、鳥は毒、獣は溺没―──太古から必要とされてきた────儀によって尊き命に縋る我々は────循環を────』
『片や罪の器、片や穢れを討つ者とし──成せば赦される────意識──我々の罪を────』
『────兄ちゃん! 逃げよう!』
思えば、大人しく儀式を終わらせ殺されていれば、魔王として生き続ける必要は無かった。間違いだったのだ、あの手を取ること自体────罪の器と討つ者が相容れる道など────端から用意されていなかったのだから。
魔王と勇者の前世は双子の関係だった。生きるために命を殺す人類は罪を背負い、定期的に赦されるための儀式を行う。双子が生まれたら儀式を行う合図であり、兄姉を罪の器とし、弟妹を討つ者として進められた。人類の罪を器が背負い、罪を討つ──そのはずだったのに。
『罪は確実に募っていく、お前が先に死んでは永遠に赦されることはない……』
当時は儀式などバカげた話だと考えていたが、我は死ぬことなく生き続けている。逃げ出した後、弟は心臓発作により死亡し、器には罪が蓄積されていく。溢れ出した罪は魔物となり、人々を襲い始めた。
植物への罪は闇華の魔獣ラバルラバス、水族への罪は闇雪の魔獣ウルタギルス、鳥類への罪は闇嵐の魔獣ルガルアポル、獣類への罪は闇焔の魔獣アルラカルラとなった。
そして魔王となった罪の器は、循環を促すべく手を回し始めた。魔物は人間が必要な魔力を奪取する習性があるため、魔力を収集しつつ、人類に倒させ魔物を摂取させることで疑似的な討つ者として仕上げる。罪が消え去ることはないが、新たな討つ者が生まれるまでの辛抱だ。もし生まれなければ、この世界は罪に塗れ滅ぶ未来を辿る。
「……はぁ、はぁ、高みの見物ふざけんなよ……」
「感慨に耽っていたのだがな。全く忙しない男だ」
「うるせぇ! 回りくどいことさせやがって……大人しく死にさらせ!」
4人の虚像を倒し切った新勇者が肩で息をしながら、玉座前に歩み寄る。死にたいなら死ね、と苛立ちを露わにして叫ぶ。
魔王は立ち上がり、新勇者を見下ろす。横目で部屋の隅で体を丸めた姿で息絶えた老いぼれた男を見た。「友達になろう」と言ったのは異世界から転生してきた男だ、恐らく弟は記憶の中だけの存在なのだろう。
誰かしらに組み立てられた世界は、何かしらの拍子で同等の並行世界に組み立て直された。そして魔王は自我を持ち、不特定多数の勇者はプレイヤーの中から1人が選ばれ、なんとも不思議な邂逅を果たした。用意されたシナリオから切り離された瞬間を誕生と捉え、過去の記憶は自身のものでは無いと考えるようにした。
ようやく魔王としての役割を終えることが出来るのなら、最後まで全うしてみせよう。
勇者の柔らかな雰囲気に当てられて、魔王たる威厳を失ったとしても。
世界の方が望んだ循環を目指しているのなら、後は倒されるのみ。これまで充分に楽しめた。
「………………これで、終わる──大義であったな……」
「……」
両者とも気息奄々な状態になるまで互いを追い詰め合った。
鳩尾に突き刺さった剣を抜かぬまま、魔王は老いた勇者の元へゆっくりと歩み寄った。自我というものは非常に厄介だ。死には慣れていたはずなのに、命の危機を感じるたびに「死にたくない」と体がいうことを聞かなくなる。
「……お前は……生まれ変わっていない、からな……名前呼びはおあずけだ…………バカめ……」
そう独り言を遺体に話しかけながら、魔王は自我を持つ魔王として2度目の死を迎えた。
◇◇◇
その場に取り残された新勇者は、息を整えながら目を伏せる。これで終わった、今度こそ終わってしまった。普通に生きていれば経験できないようなことを嫌というほど味わった。
「疲れた……帰りたい……」
共に過ごして来た仲間たちの事も、今しがた自身の手で葬った魔王のことも遠い昔のように感じた。
このまま帰れるのかと思ったらそうでもないようで、2人の遺体を浮かせた。魔王城から地上に帰ると、待っていた兵士達が盛大に迎え入れ、労いと感謝の言葉を次々に投げかけてくる。その中に紛れていた、ベルの父にベルの遺体を渡した。息子の成れの果てを見て絶望する姿にかける言葉も無く、新勇者は俯いたままその場を去った。
かつての勇者の遺体は、王都の城へ運び込まれ、慎重に調べ上げられた後に埋葬された。
魔王討伐に世界は祝福モードだったが、裏の立役者達の存在と真相を知る者達は喜べずにいることを知っている。新勇者も素直に喜べなかった。帰れることは喜ばしいことだが、一生胸のモヤは晴れないだろう。
パーティー会場を素通りして、自室のベッドに倒れ込む。目を閉じた瞬間、泥のように眠りに落ちた。




