リトルウィッチ述べた
人間にとって名前とは親から与えられる最初の呪いの一つである。名を与えられた者は存在を縛られ、人生を縛られる。愛とは呪いの一種であり、親から授けられる名前には大抵『幸せになってほしい』という願いが込められているのだ。
しかし、仮にその名前が無くなった場合どうなるのか。
記憶を奪い、自分の名前を調べようもない程に世界から情報を抹消された場合、人間はどうなってしまうのか。
ある呪術師は言った。
「名を失った存在は呪術的に非常に脆くなります。名前が無い状態は例えるなら真水と同じです。他者からのちょっとした悪意でモロに精神に影響を受けますし、その魂は何もしなくても勝手に淀んでいきます。だから初めに親の愛で存在を塗りつぶす必要があるんですね」
元天才魔導術式学者、マロニー・フリーディア・バースデイロッドはこう語った。
「呪術だの魂だのはよく分からんが······事実として、名前のない存在は魔法抵抗力が落ちる。理由は分からないが、名前が与えられてない人間は魔法の影響を強く受けるようだ。わざわざ名前だけを奪うということは、下手人はまあさぞかしロクでもないことを考えてるに違いあるまいさ」
ある少女剣士は言った。
「······とりあえず名前無いと不便なんじゃない?」
「というわけで名前の無い俺に仮の名前をくれたりーさんには暫定俺のママの称号を授けたいと思います」
「要っっッらな、なんだその不名誉な称号、秒で叩き返すわ」
「ママー(裏声)······グゥッ!」
少女剣士はカス魔道士の細い首を片腕で締め上げる。しばらくしてきゅ〜、とか細い声が鳴ったところで解放した。
モカードに到着した二人は、もう日が暮れる時間ということもあって、新しい街の散策をせずに、宿屋の一階で食事を取ろうとしていた。
少しして従業員が料理を載せた皿をマキの目の前に置いた。
マキが注文したのは『メコヌール風ノムール貝の踊り食いホワイトソース寄せ季節のナナコ茸とヌメり藻を添えて』だ。
皿の上で、大きな二枚貝がクパァと殻を開いている姿は大変もの珍しかった。下側の殻がお椀のようになっており、中に熱々のソースが注がれたそれはキノコやら葉野菜やらが浮いていてまるでスープの様相をしていた。
しかし、マキは野菜を食べに来たのではない。貝を食べに来たのだ。野菜をかき分けながら白いスープの底を掬うと、すぐにブニブニとした物を見つけた。間違いなく貝の身の部分である。
すぐさまスプーンを突き立てて身を千切ろうとしたその時、大開脚していた貝の殻がカパッと閉まった。
キーンッ! という金属音も響く。手に持っていたスプーンがはさみ取られたのだ。
そのまま煽るようにカパカパと開閉を続け、スプーンを中に取り込むと、やがて殻が完全に閉じたまま沈黙した。
「あちゃー······」
「え? なにこれ?」
「ノムール貝の踊り食いは、食べる時貝の神経を刺激しないようにしなきゃいけないのよ······知らないのに頼んだの?」
「純粋に貝食べたかったから頼んだだけだし······え? なにこれ、どうすればいいの?」
「もうその貝が開くことは無いわ。諦めなさい」
「ええぇええぇええ!?!?」
呆然とするマキをよそに、リィナは自分の注文した料理をパクパクと食べる。『サノタリアブラックマンボーとサラダマンゴー初夏の味わいトマト和え』である。味は想像できない。
「······ちょっと食べる?」
「いいよ······俺がんばって貝開けるから······」
ガッチリ閉じた殻の僅かな凹凸に指を挿し込んで無理やりこじ開けようとするが、ビクともしない。ナイフを挿し込みテコの原理で開かせようとしても
結果は同じだった。
「固すぎなんだけどマジでぇ!」
マキが貝に弄ばれてる横で、リィナはゆっくりとフォークを置いた。
「ねぇ」
「なに?」
「馬車の中で聞こうと思ってたんだけど、あなたはプレイシアに何しにいくのかしら?」
「故郷に帰るためだな。言わなかったっけ?」
マキはナイフを貝にグリグリと押し付けながら、そう答えた。
「言ってたわ。それは聞いた。でもあそこの転移門は大昔に破壊されてるわ」
「らしいな」
マキは貝に電流を流しながら答えた。
マキの目的はプレイシアにあった転移門である。マキのゲーム知識が確かなら、あそこにあった転移門は次元の壁を超越して異界への移動を可能にする機能があったはずだ。
ちなみにゲームだとマルチプレイをするための設備だった。他のプレイヤーの手伝いをするために召喚されたり、或いは自分の世界に他のプレイヤーを召喚したりすることができた。……残念ながら過疎りすぎて、誰ともマッチングしなかったが。
最もリィナの言う通り、この世界の転移門はずっと前に破壊されている。それでもマキには行く理由が十分あった。
「あそこはな、昔から転移技術の研究が行われてたんだよ」
転移門があったから空間転移の研究がされてたのか、転移の研究の末に転移門が実現したのかは知らない。それでも、今も尚空間転移、次元移動の研究が続けられているのは確かだった。
「あそこは街全体が一つの研究機関みたいなもんらしいし、転移門の記録だって詳細に残されてるはずだ」
「ふーん。······つまり観光?」
「お土産買っていかねぇとな······じゃなくてだな」
マキは貝を魔法で炙りながら頭の中で答えを探した。
「まあ、一言で言うなら次元渡航の方法を知るため、だなぁ」
「壮大ね」
「おうよ。めっちゃ壮大。故郷までの距離は物理的な距離として計算するとグーゴルプレックスメートルが最低単位だから、まともな方法じゃ絶対無理だ。転移によるショートカットが前提になる。······あっ、俺もそのシュワシュワしたヤツ欲しい」
「ソーダね」
リィナが手を上げてソーダを注文する。マキは貝を凍結させるのに忙しい。
「まあ、修学旅行って言われたらそれまでだな。ところでりーさんの目的詳しく聞いてないんだけど、聞いてもいいやつか?」
今度はマキが旅の目的を聞き出そうとした。口調をあえて軽薄なものにして、この空気を壊したくないという内心の恐怖をひた隠した。失敗してもすぐにごまかして有耶無耶にできるという打算もあった。
「ん、別にいいけど」
が、しかしそんなマキの緊張とは裏腹にリィナの返答は軽いものだった。
「え、いいの?」
「自分から聞いたくせに何驚いてんの?」
「い、いや驚いてねーですし!?」
「まあいいわ」
マキは指先に光を集束させた摂氏1万度の極小光学レイザーで貝の殻を削る手を止め、リィナの話に耳を傾けることにした。
雑切りで申し訳ない