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三国志前論   作者: ラーメン大魔王
3/3

三国志前論 何で宦官が政治を腐らせたの?

宦官が政治を腐らせる為には、ます宦官が政治の実権を握らねばなりません

では何故宦官は政権を取り、腐らせたのでしょうか?

盧植:では始まりました三国志前論

   先生役は劉備と公孫賛の師匠していた以外影の薄い盧植(ろしょく)

劉備:中山晴王劉勝ちゅうざんせいおうりゅうしょうの子孫にして三国志が誇る異能生存体

   後の蜀漢初代皇帝の劉備玄徳様が生徒役で送るぜ~!


盧植:さて、今まさに乱れつつあるこの世の中で

   悪ガキ筆頭の劉備君が一体なにを聞きたいと?

劉備:おう!それなんだが盧植先生!

   三国志の始まりって言ったらよう、

   判で押したように宦官かんがんのせいで政治が腐敗したって書いてあるじゃねえか。

   でも世の中宦官よりもあくどい連中は沢山いるぜ?

   何で宦官は目の敵にされてんだい?

盧植:ふむ、では劉備君はそもそも何故、宦官が必要とされているか分かりますか

劉備:え?ええと、皇帝に他人の悪口を言うこと?

盧植:間違いではありませんね。

   端的に言えば皇帝の秘書です。

劉備:秘書?皇帝の使いっ走りでしょ。なんでそんなのが政治権力持つんだ?

盧植:理由は単純で、皇帝が行う全ての事柄に関して

   宦官が関わらない事は無いからですよ

劉備:へ?何で??

   秘書なんて無視して皇帝に直談判じかだんぱんすれば良いじゃねえか。

盧植:それが不可能なのですよ

   皇帝の住まう後宮と政治を行う朝廷は完全に分離しているので

   後宮に入る事の出来る人間は本当に一握りで、丞相であっても無理です


劉備:え!なんでそんな事になってんだ!?

盧植:それはシナ人の伝統的な建築事情によります。 

   ところで劉備君は日本について詳しいですか?

劉備:おう、詳しいぜ!じゃねえと話が進まねえからな!

盧植:結構、話を進める為にそうしておきましょう。

   日本の昔の住居では、どのように部屋が区切られていましたか?

劉備:いや、区切られちゃあいねえぜ、盧植先生。

   ふすまを全部開けりゃあ、一繋がりになって風通しが完璧だぜ!

盧植:日本では皇居も江戸城も似たような造りですね

   もちろん壁も有りますが、基本はふすまを閉めるだけです。

   対してシナ人は昔から部屋の区切りをきっちり分けていました。

   劉備君、どうしつの区別は判りますか?

劉備:え、ええと、確か寺の本尊が置かれているトコをお堂って言うよな。

   そんで、奥さんの事を正室とか側室って言うから・・・

   あ、そうか!表と裏だ!

盧植:正解です。

   シナ人は昔から表玄関を「堂」

   裏側を「室」と呼んで区別していました。

劉備:俺んチ貧乏だからさ、そんな区別ねえんだよな

盧植:この区別は中流層から士大夫まで一般的だったようで

   当然皇帝の住居も裏と表で厳密に区切られています。

   大臣達が入れるのは表の堂(朝廷)までで

   そこから先の室(後宮)にはまず入れませんでした。 

劉備:ははーん読めたぞ、宦官達は皇帝を甘やかして後宮から出さなかったな?

盧植:正解、鋭いですね、劉備君。

   宦官達は甘言かんげん讒言ざんげんを一体にして行いました。

   そして皇帝が出仕しないので、朝廷と後宮の文書のやりとりも宦官が

   行いました。こうなるともう思いのままです。

劉備:近所のクソガキをぶん殴ると

   オレの父ちゃんは偉いんだぞとか言う時が有るが

   宦官はそのまんまだな。

盧植:その通り、冴えてますね、劉備君。宦官の悪辣あくらつさとは公私混同にあります。

   つまり気に食わない者が居ると、自分では手を下さず

   皇帝の名で断罪と言う形を取るのです。

   その大規模なものが党錮とうこの禁です。

   今(176年)から10年前と7年前に起きました。

劉備:言っちゃあ何だけどさ、威名とか面子ってのは、

   使えば使うほど目減りするもんだぜ?

   特にそんな横車押してるとさあ。

盧植:宦官にそんな発想はありませんよ。

   彼らの世界観は後宮の箱庭から決して出ることは有りません。


劉備:もうそんな連中ぶっ潰したらどうだい?

盧植:所がそうはいきません

劉備:何でよ?

盧植:外戚の問題が有るんですよ

劉備:外戚?てのは確か奥さんの一族の事だよな。

盧植:その通り。これは宮城谷昌光先生が言っていましたが

   ある日いきなり社員数10万人の大企業の社長になったら

   結局頼れるのは身近な秘書か奥さんの派閥だけなんですよね。

劉備:ああ、そっか。顔も知らねえ部下がいっぺんに出来るとそうなるのか。

盧植:その通り。

   それでいてこの顔も知らない部下達は

   社長に向かって好き勝手言いますからね。

   後漢朝の悲劇、宦官の専横とは

   外戚と臣下を皇帝が信じられなかった事から、端を発しているのです。

劉備:何で皇帝は部下も奥さんも信じられなくなったんだ?

盧植:高祖劉邦無き後の呂氏の乱で、劉氏の人間が何人も死んでいます。

   また王莽が天下を乗っとったのは

   臣下を完全に皇帝から引き離したからです。

   ですが、これだけでは有りません

   もっと身近で、おぞましい事件が有りました。


劉備:な、なんだよ、盧植先生。そんな怖い顔して。

盧植:思えばこの後漢朝の歴史を歪めたのは、あの事件からでしょう。

劉備:だから、なんだよ?その事件ってのは?

盧植:今から丁度30年前(146年)に起きた

   外戚であった大将軍・梁冀りょうきによる質帝(十代目)の暗殺事件です。

劉備:げえっ!こ、皇帝暗殺!

盧植:その通り。この時梁冀は三十過ぎ、質帝は八歳でした。

劉備:大人気無いとかって話じゃねえぞ・・・

盧植:梁冀について少し述べましょう。

   成年は不明ですが、132年に妹が順帝(八代目)の妃になっているので

   この時二十歳前後と考えられます。

劉備:そもそも、その梁冀の先祖はどんな奴なんだ?盧植先生。

盧植:どんな奴、ではありませんよ劉備君。

   先祖は光武帝劉秀様に仕えた梁統りょうとうという方で後漢創成期の功臣ですよ。

劉備:いやあ知らねえよ先生。雲台二十八将なら知ってるけどよう。

盧植:梁冀の字(成人名)を伯卓はくたくと言い、父親の名は梁商りょうしょうです

劉備:伯って事は長男か、親父の梁商ってどんな奴?

盧植:よくできた方でしたよ。

   皇帝の義父になっても奢ることなく貞淑で

   何しろ順帝が遺言を訊ねると

   従事中郎の周挙しゅうきょ清高忠信せいこうちゅうしんの臣だと言って推薦した程でしたから。

劉備:いい人だなあ。その周挙ってのは梁商の部下だったの?

盧植:中郎とは近衛兵のようなものですから、恐らく違いますね

劉備:すごいなソレ。よく見てるし思いやりが有る。

盧植:本当によくできた方です。

   娘の梁皇后が順帝亡き後に太后になられた時も

   その働きぶりは「夙夜勤労しゅくやきんろう」と評された程です。

   それだけに、梁冀とその弟の不疑ふぎの横暴のせいで

   梁一族の名声が地に落ちたのが

   あまりにかわいそうで、かわいそうで。

劉備:うっへえ、オレも子供が出来たら気を付けねえとな


盧植:梁冀の話に戻りましょう。

   梁冀の容貌は鳶肩豺目えんけんさいもく

   これはとんびのようないかり肩とやまいぬのような険悪な目と言う意味です。

劉備:鳶っての事だろ、夜に他の鳥の雛を食うから悪人の代名詞じゃん。

盧植:酒好きで、腕力が強く、剛弓を引きますが

   遊び好きで、弾棊だんき(棋)、格五かくご六博ろくはく蹴鞠しゅうきく、意銭

   鷹狩りに走狗、競馬や闘鶏なども好んだようです。

劉備:おはじき、すごろくと銭の数当てかよ・・・

   ガキか此奴は。

盧植:そうですね、最悪のクソガキが大人になって権力を持ったのです

劉備:汚くて暴力的なジャイアンか、最悪だな

盧植:父親の梁商が存命の内は、まだ抑えられていましたが

   死後に大将軍の位を引き継いでから、暴走を始めました。

劉備:盧植先生、大将軍って何?

盧植:外戚に与えられる名誉職ですね。

   前漢の武帝(七代目)の時の大将軍、衛青えいせいが外戚だったので。

劉備:順帝が生きている間はどうしてたの?梁冀は。

盧植:まだ抑えられたほうですね。

   順帝は宦官の養子縁組を認めて、宦官勢力の増長を行いましたが

   本人は臣下の云う事によく耳を傾けておいででした。

   当然大多数の臣下は梁冀を嫌い抜いていたので

   大将軍の権勢はそこそこでした。

劉備:って事は順帝と親父が死ぬと

盧植:ええ、後継の沖帝ちゅうてい(九代目)が2歳児だったので

   やりたい放題でした。

   しかし幼児死亡率の高さは皇帝でも変わりません。

   しかも皇帝としての最低限の責務でも負担が大きすぎたせいか

   沖帝も一年後に亡くなります。


劉備:それで即位したのが質帝か

盧植:その通り。梁冀としては幼児を皇帝に就ければ一安心したのでしょう。

   そして一難、では無く一年が経つ頃、質帝は梁冀に向かってこう言いました

   「跋扈将軍ばっこしょうぐん」と

劉備:ええと、たしか跳梁跋扈って言うよな

盧植:そうですね、跋扈とは大魚が水中の竹かご(扈)をえる事を言います。

   当時の梁冀は弟と共に「縦恣無底しゅうしむてい」と言われた権勢ぶりでしたから

   これは手に負えない将軍だと言ったのでしょう。

   しかし梁冀は之に憤激します。

劉備:いい大人が八歳児にマジギレすんなよ・・・

盧植:そして梁冀は質帝を毒殺したのです

劉備:殺し方も陰険な奴だなあ

   沸点低すぎないか?

盧植:どうも梁冀は知恵遅れの気があったようです。

   言葉もうまくしゃべれなかったようですね。

   とは言えこの暴力性は恐らく梁冀個人のものでしょう。

劉備:あ、何となく解った

   多分梁冀にとっての「跋扈」は「手に負えない」じゃないんじゃないかな?

盧植:ほう、ではなんでしょう劉備君?

劉備:多分だけど、梁冀は

   「随分はしゃいでるようだが、チョーシ乗ってんじゃねえぞコラ?」

   って言われたと思ったんじゃないか?

盧植:陰謀の稚拙さと陰険さを見ると可能性はありますね

劉備:でしょでしょ?あたまの悪いヤンキーならこう受け取るんじゃないか?


盧植:さて、質帝無き後に即位したのが桓帝(十一代目)ですね

劉備:確か、8年前(168年)に亡くなった皇帝だよね

盧植:ええ、残念ながら名君とは呼べない御方でしたが。

   さて桓帝が即位して、益々権勢を強めた梁冀に誤算が起きました。

劉備:よ、待ってました!悪は栄えないってね。

盧植:残念ながら亡くなったのは悪人ではありませんよ

   亡くなったのは梁太后です。

劉備:ありゃ、妹のほうか。過労死かな?

盧植:可能性は高いですね。

   梁冀と弟の不疑、妻の孫寿そんじゅの横暴を陰ながらずっと補佐していましたから。

   そして遺言で桓帝に政権を返すように言っています。

劉備:身内に甘い以外は完璧な女の人だな

盧植:それで返す梁冀ではありませんがね。

   しかし能力の無い梁冀が直接政権運営を行う事が

   桓帝の決断を後押ししました。

劉備:何、梁冀に革命の可能性を見たの?

盧植:革命の意思が有ったのかは、ちょっと解りませんね。

   ただ八歳児の質帝を毒殺するような男ですから、可能性は有ります。

   少なくとも梁太后の死去が、桓帝の絶望になったのは確かでしょう。


劉備:臣下はどうなのさ?

盧植:先の話になりますが、梁冀一派を排除したとき

   朝廷から人が殆ど消えたとありますから、当てにはできなかったでしょう。

   そして、外戚と臣下が当てにならない時に皇帝が頼るのが

劉備:やあっと、宦官の出番って訳か

盧植:その通りですね。劉備君。

   単超たんちょうなどの五人の宦官と図り、決起したと伝えられます。

   先ず梁冀派の宦官を一掃し、軍旅を発したのです。

   今から17年前(159年)の事でした。

劉備:所でさあ、皇帝にそんな軍事力って有ったの?

盧植:無いでしょう。有るならば、梁冀に好き放題させません。

   当時の桓帝は27歳と若く、与党形成もままならないからこそ

   態々(わざわざ)梁冀派の宦官を排除して時を稼いだのです。

劉備:じゃあ、どうやって梁冀の一党を潰したのさ?

盧植:劉備君、いつの世も

   自ら動く者より、流れに乗って動く日和見者のほうが

   多いものですよ。

劉備:けっ!朝廷の連中は意気地なしばっかかよ!


盧植:さて、この後問題になったのが報奨です

劉備:ああ、そうか宦官も養子が居るなら、領地の意味が有るのか

盧植:単超に与えられたのが二万戸です

劉備:ブッへ!?多すぎるぞ?

盧植:ええ、一戸(この戸とは家の扉の事で、一戸とは一家)当たり奴婢ぬひも含めて

   十人とすると、二十万人の住まう領地が与えられた事になります。

劉備:たしか衛青と同年代の李広りこうって武将が居たよね?

盧植:居ましたね。飛将と謳われながら悲運にまみれた御方です。

劉備:あの人の望みが確か・・・

盧植:「万戸侯に成りたい」です。

   しかし40年以上最前線で戦い続けて、とうとうなれませんでした。

劉備:・・・


盧植:そしてこの時から、皇帝と外戚・臣下との間に決定的な溝が生まれました。

   梁冀の魔手から質帝を守りきれなかった事

   梁冀に協力し続けた事

   梁冀を倒すのに頼りになったのは宦官だけだった事

劉備:皇帝からすると、臣下も外戚も皆役立たずの薄情者か

盧植:いじめとは、いじめっ子といじめられっ子と傍観者が居て

   いじめとなりえます。

劉備:いじめられっ子からすると、いじめっ子も傍観者も皆、敵だな

盧植:その通りです。劉備君。

   皇帝は益々宦官に頼りっきりになります。

   普段から一番身近に接する者達で、一番頼りになるのですから。

劉備:そして宦官の専横が始まる、と


盧植:臣下と言っても、大体は豪族の出です

   対して宦官の実家は余り裕福でない場合が多かったのも問題でした。

劉備:つまり宦官は自分の実家を引き上げないといけない訳か

盧植:そうしないと後ろ盾が皇帝以外に無くなりますからね。

   そして豪族の多くは土地をたっぷり持っています。

劉備:教養の無い成り上がりの側近と、忠誠心の無い保守層の対立か

盧植:そういう見方も出来ますね。

   以上の事を纏めると

   1、宦官は皇帝の絶対的な権力に寄生する事

   2、宦官の世界観は箱庭の中から出てこない事

   3、皇帝と宦官の距離が近すぎる事

   4、宦官は臣下や豪族と敵対している事

   などが宦官による政治腐敗の要因となります。

   付け加えると、宦官に世の中を導く責務が無いのもありますね。

劉備:あ、そうか。別に宦官は役人じゃねえんだ。

盧植:基本的に宦官には、世の中は明るくても暗くてもどうでもよい存在ですね。

   所謂いわゆる清流派にとっては、これも許せない事でしょう。

劉備:こりゃいけねえや、大乱は近いぜ

盧植:そういうことは余り声高に言わないものですよ、劉備君。

   さて、そろそろお開きにしましょうか。

   今回の授業は演義と正史とで扱いにあまり差がない盧植と!

劉備:戦うのは一流だが逃げるのは超一流の劉備のお送りしたぜ!


   「「ではまた次回で~」」





盧植:八年後(184年)に黄巾の乱が起こると、私は大活躍しますよ!

劉備:投獄されるけどね



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