002 序:現代
彼らは世界各地ミステリースポットを探索する、国内外数十人から為るWebサークルであった。
「雪山登山は無謀だ」と、家族らに散々突っ込まれたが、そんなものはお構いなしだ。
――そこにミステリーがある。
それだけで充分だった。
とはいえ、最近の彼らの傾向はオカルトに近い。
近年は海外旅行と称しては、オカルト探索に明け暮れていた。
今回はメンバー九人による雪山登山は、【雪女】探しだ。
彼らの住む地で謂うなら、【ビックフット】やら【イエティ】と謂ったものの女性版だ。
白装束を身にまとった美女が、男に冷たい息を吹きかけて凍死させる――
物騒ではあるが美女を拝んでみたい、というのが男の性なのだろう。
中でも一番興味を抱きはしゃいでいるのが、<セイレーン>を名乗るメンバーだ。
彼らはサークル内でのお互いの呼び名に、幻獣やら怪物といったファンタジー生物の名称を用いている。
<セイレーン>は女性でありながら、敢えて女性だからこそか、女人系のモノに傾倒していた。
今回のツアーを計画したのも彼女だった。
雪女は日本の妖怪でありながら、大陸の山奥で存在しているという情報を何処からか入手したのがきっかけらしい。
「でね。ユキオンナは正体が知れてしまったから、愛した男の腕の中で溶けて死んでしまったの」
もう何度目になるやら。 旅の計画中から飛行機からホテルから今この道中。
イカれたレコーダーの様に彼女は、ユキオンナの物語を繰り返し披露するので、聴かされている側は耳にタコどころか疲労困憊だ。
「なぁセイレーン。もうその話は聴き飽きたよ。いい加減にならないかい?」
「あら、<ミノタウルス>。私はまだ語り足りないところよ」
「同じ話ばかりで語り足りない? それはちょっと違うだろ、訂正しろ」
<バジリスク>が、異議あり、と唱える。
「なぁそれより、例の【祠】っていうの? どの辺りなんだい」
地図を手にしていた別のメンバーが声をあげる。
「麓で訊いたら廃村の奥って言ってたけど、村はまだか?」
―――やはり雪山は無謀だった‥‥
と、疲れて力尽きた者も居る。
「取り敢えず村まで急ごう。山の天気は変わり易いんだろ」
言うが早いか、若干吹雪いてきた感がしないでもない。
三十年前に廃村になった場所とはいえど、寝床の確保はきちんとしたいし、このま天候が悪化したとしても、屋内なら何とか凌ぐことはできる。
麓の町に住む、山の管理者である元村民にも空家の使用の許可は取り付けてある。登山客用に、最低限の暖を取れるようにはしてあるらしい。
有り難い話である。
「急ごう。雲行きが怪しい」
メンバーが改めて地図を見直す。
僅か半日足らずの行程だったが、現代の若者である自身からすると、つくづく、昔の人は大変だなと感じる。レジャーで来るならまだしも、不便で何も娯楽もなさそうな山中で暮らせそうもないと独り言ちる。
その反面、かつての住人達はどのように暮らしていたのかと、興味が湧いてきたりする。
そうして一行は、天候が悪化していく中、半時程掛けて廃村に辿り着く。
登山や祠への参拝客の為の中継地点になるよう、管理人の手入れが行き届いているのか、一部の家屋は宿泊できるように整っているのが外見からも判断できた。
とはいえ、雪が降り積もってるため、まずは半ば埋っている扉前の雪を掻き出さねばなるまい。
ふとメンバーを見やれば、<セイレーン>が雪を掻く手を止め、村の奥を見つめていた。
「おい、セイレーン。祠は明日だ! さっさと雪をどかすぞ」
「‥‥わ」
<セイレーン>は何かを呟くと通りを走り出した。
「皆! 居たわ、ユキオンナが居たわ」
<セイレーン>が走り出す。
誰かが引き留めたが、それすら振り切って走り、通りの角を曲がる。
後から思えば彼女はこの時、尋常ではなかったのだろう。
追いかけたメンバーが通りの角を曲がった時には、<セイレーン>の姿は忽然と消えていた。
足跡を一軒分まで残し、その先には無い。背負っていた荷物は、消えた足跡の先にあった。
最初こそ荷物を投げ出し、その辺の空家に隠れているのだろうと考えた。
だが雪で半ば埋まった扉は開けられた形跡は全く無い。
ほんの一瞬で消えた――正にカミカクシとはこの事なのか‥‥
――数日程滞在し、彼女を捜索したものの、手掛かりは何一つ見つからないまま、彼らは下山した。
◇ ◇◇◇◇ ◇
「で、その<セイレーン>ことリーシャさんの捜索が依頼ってことで?」
場所はヨーロッパ某都市にある喫茶店。
<セイレーン>が消えてからまだひと月足らず。
同じく旅行に参加していたメンバーはそれぞれの国で日常生活に戻りつつあったが、責任者である彼はまだその対応に費やしていた。
「警察の方にも届け出てはいますが、‥‥やはり“蛇の道は蛇が知る”“海の事は舟子に問え、山の事は樵夫に問え”という言葉があるでしょう」
「今時の若いもんが難しい言葉知ってんなぁ」
自分より若干年下に見える青年に言われて口籠る。
「まぁ、こちらとしても“帰郷の制約”が外れる頃合いだから構わないさ。」
「帰郷? 貴方は当地の方なのか?」
青年はカップに口をつけたまま男に視線で応えた。
「なら教えてほしい。あそこには本当にユキオンナが居るのか!? ユキオンナがリーシャを連れ去ったのか!?」
飲み終えたカップをソーサーに戻し、青年は立ち上がるとレシートを手にした。
「んじゃ依頼は承けたまわった。運佳く見付けられたら連絡するさ」
「答えてくれ!」
悲痛な叫びも虚しく、颯爽と店を出ていく青年を、依頼側の男は黙って見送るしかなかった――
◇ ◇◇◇◇ ◇
深く降り積もったままの山を青年は登る。
吐き出す息は白く、肺から身体が凍りそうだった。
――ここは、こんなにも寒かっただろうか
あの頃はそれが当たり前だと思っていた。
あの頃はここだけが全てだと思っていた。
あの頃は――――
ただ独り故郷の山に還ってくるのではないことに、今回の依頼と云う形につくづく感謝した。
もう今は誰も住んでいない村。例えそうでなくても、もう今は誰も自分を覚えている者は居ないだろう。
それだけの歳月が過ぎている。だからこそ、還ることが許されている。
自分はもう、死んでいるのだから。
数十年前の戦争に駆り出され、その渦中で死んだことになっている。
だが現実は違う。
殺された。化け物に。悪戯に。なぶられて。裂かれ。潰され。この世の地獄を見せつけられ。
そして自分だけ再生かされた――
どうしてあのまま死なせてくれなかったのかと恨んだ。憎んだ。
言葉では現せない負の感情に支配された。
だから決めた。
あの化け物を倒す、と。
仲間を殺し、自分をも化け物に仕立てあげたあの男を。
化け物――あの男は“それも余興”と言い、“いつでも倒しに来い”とも言った。
だからそのための“力”と“術”を手に入れた――それが通用するかは別として。
そして、それを“生業”として今日まで生きてきた。
己れの“牙”を磨き研ぐには絶好だった。
あとは“情報”――捜し当て、辿り着くだけだ。
灰白色の空から、しんしんと雪が降る。
雪が降る空を見上げる度に、あの頃交わした約束を思い出さずにはいられない。
「雪華‥‥」
君は、約束を果たせなかった僕を、どう思いながら逝ったのだろうか‥‥
青年の小さな呟きは、やがて視界を奪う吹雪の中に消えていった。
2018.07.29. 初稿
舞台は、中国とか韓国とか・・・そんなイメージです。