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闇の奥には光が集まっていた。
ふわふわと漂う光の球が、床に座り込んで眠る人物の周囲を縁取っている。
「なんで?」
光に包まれて穏やかな寝息を立てているその人に、未音は見覚えがあった。実際に顔を合わせた時間は短いが、彼の顔ははっきりと覚えている。
未音に向けて研ぎ澄ました怒りを放った彼のことは。
「煌……」
燐以上に崇拝されるこの国の絶対神。光の神と呼ばれるのは鮮やかな金色の髪のせいだと思っていたが、どうやらそれだけではないようだ。なぜならあたたかな色を放つ光球は、彼から発せられているのだから。
「本当に光なんだ」
驚きのあまり麻痺してしまったような頭のまま、呆然と呟く。先日未音の部屋を訪れたときにはこのような光はなかったように記憶しているが、煌が意識して抑えていたのか。それとも未音が気づかなかっただけで、同じように光が彼を彩っていたのだろうか。
「怒ってないと綺麗なのになぁ」
そっと閉じられた瞳、周りの光に照らされて浮かび上がる金色の髪。閉じられた唇からは穏やかな呼吸だけが漏れていて、未音を罵る言葉は出てこない。見ているだけなら完全に目の保養だ。
光の神である煌がこのように光を出せるなら、未音は闇を出せたりもするのだろうか。闇を出しても役に立たないような気もするけれど。
「って、違う!」
彼が光を操れるというのはこの際どうでもいい。
「なんでこんなところで寝てるの?」
広い城の地下にある書庫の最奥。書庫に入り浸っている未音でさえ、光が見えなければ足を踏み入れなかった場所だ。そんな場所に、なぜこの城の主がいるのか。しかも、本を読んでいるわけでも、調べ物をしているわけでもなく、床に座り込んで眠っているのか。神と崇められる彼の周りには、常に人がいるのだと思っていた。たくさんの人が彼に仕えて、常に不自由が無いように気を配っているのだと。実際、書庫と部屋を往復する間に何度か見かけた彼の周りには、常に大勢の臣下が付き従っていた。一人でいたところを見たのは、未音の部屋に来たときだけだ。
「なんで一人で……っていうか、こんなところで寝てたら風邪引くんじゃないの?」
神と崇められていてもしょせん人は人。こんなに寒いところで寝ていたら風邪を引くのではないか。
未音の思考を証明するように、目の前の煌が体を丸くした。まるで、ほんの少しの熱も逃すまいとするように。
「猫みたい」
くすりと思わず笑いが漏れた。思えば気位が高いところも、とっつきにくいところも猫そっくりだ。猫は気軽に手を出すと引っ掻いてくるが、彼は引っ掻く代わりに怒鳴りつけてきた。
一週間ほど前の出来事を思い出した未音の体が、自然に硬くなる。
もう、あんなふうに怒鳴られるのはごめんだ。だからこそこの一週間は書庫に引きこもるようにして生活をしていた。
それなのに、あたたかな光に導かれるまま、彼と再び出会ってしまった。
「どうしよう……」
そう呟きながらも、どうするべきなのかはわかっていた。
寝ている限り彼は未音を怒鳴りつけたりしない。つまり、煌が夢から目覚める前にこの場を立ち去ってしまえばいいのだ。
しかし、未音の足は動こうとしなかった。
「風邪……引くよね、絶対」
じきに目が覚めるだろうが、その頃には煌の体は冷え切ってしまうだろう。そのまま、風邪を引いてしまうかもしれない。そうなるとわかっていて彼を放っておくのは後味が悪い。後味が悪いどころか、後々まで気になってしまいそうな気がする。
煌から逃げたいと願う感情と、起こしたほうがいいとささやく理性。二つの狭間で未音は揺れた。
「頼むから起きないでね」
小さくつぶやいてから、自分の体を包んでいるストールに手をかけた。薄手だが温かいストールで、ゆっくりと煌の体を包んでいく。彼の体には少し小さいようだったが、肩や首元などの冷えやすい部分がしっかりと包まれたことを確認してから、未音は足早に書庫を後にした。
「ん……?」
久しぶりの穏やかな夢の名残を惜しむようにして、煌はゆっくりと覚醒した。ただでさえ人の来ない地下書庫の最奥で眠るようになってずいぶんたつが、こんなに緩やかな目覚めを迎えたことはない。すっかり固まってしまった体をほぐしながら立ち上がり、冷え切った体に顔をしかめるのが常だ。
だが、今の煌は寒さを感じていなかった。
長い時間床に座り込んで眠っていたせいで体はこわばっているが、全身をぬくもりがすっぽりと包み込んでいる。
「なんだ?」
寝起き独特のぼんやりとした感覚を振り払うようにして立ち上がると、さらりという衣擦れの音が響いた。煌が纏っていた白い服の上を滑り落ちる、見覚えのない黒。ぱさりと床に落ちた黒いストールを拾い上げると、これが先ほどまでのぬくもりの正体であったことを知った。いっそ頼りないほどに薄いストールだが、手に触れるぬくもりが心地よい。
「なぜ……」
これの持ち主はたった一人でしかありえない。この国において白を纏うのが煌一人であるように、黒を纏うことが許されているのはたった一人。
煌にとっては忌むべき存在である、異世界から訪れた闇の女神。
「燐……」
意識して頭から追い出していた名前を、煌は久しぶりに呟いた。