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結局、誰が自分によく似ているのか未音は知らないままだ。書庫にこもり始めた最初の頃は詠軌の言葉の意味を考えることもあったが、気づけば小さな疑問は頭の片隅に追いやられていた。
「さすがに……キツい」
読んでいた本を棚に戻したあと惰性で次の本を手に取ったが、どうしても開く気になれなかった。
もともと未音は本を読むことが好きで、休日などは一日中本を読んでいることもあった。だから、詠軌が書庫に案内してくれたときは嬉しかった。戻る方法は見つからないかもしれないが、少なくとも好きなことをして毎日を過ごすことができるのだから。
だが、現実は未音が考えていたほど甘くはなかった。
ひたすら本を読み進める日々に三日で飽きた。いくら好きなことでも毎日続けると、だんだん嫌いにすらなってくる。
その上、本が問題だった。
どの本も百科事典もかくやと思うほどの厚さを持ち、中の文字は未音が見たこともないような文字だったのだ。言葉が理解できるようになったのと同じように、文字がわからなくても書いてある内容は理解できるのだが、本を読んでいるという気分になれず、妙な疲労が溜まっていく。
(本で探そうっていうのがハズレだったのかなぁ)
溜息をついた拍子にずり落ちそうになったストールを元の位置に戻しながら、未音の中に失望にも似たものが満ちていく。
未音が今までに読んだ本は、すべて神話が書かれているもの。つまり、煌と燐の伝説について書かれているものだ。召喚された女神が元の世界に戻る方法があるのなら、おそらくここに何かの記述があるはずだと思ったのだが、今のところその読みは当たっていない。
転生した燐を召喚するというくだりは確かにある。
だが、燐は煌と再会した後は末永く綺羅国の平和と繁栄を守る、としか書かれていないのだ。
(女神が帰りたがるっていう事態は考えなかったわけ?)
それとも、転生した燐はこの世界にとどまるのが当たり前とでも思っているのだろうか。
「バカみたい」
黒髪に黒い瞳の闇の女神、燐。
未音の髪は確かに黒いし、瞳も同じ黒をしている。
だが、未音は燐ではない。
黒髪に黒い瞳が条件ならばたいていの日本人は当てはまってしまうし、もし、未音が髪を染めていたとしたらどうしていたのだろう。茶髪の未音を召喚して、それでも未音が燐であると信じたのだろうか。
この国の人たちがどう考えるかはわからないが、たぶん信じなかったのではないかと思う。
(髪、染めとけばよかったなぁ)
だんだんと思考の論点がずれてきたことに気づき、未音は軽く首を振った。
「え?」
何かが視線の隅に引っかかった。
未音以外は誰もいないはずの、薄くほこりをかぶった書庫の中にはありえないはずのもの。気のせいかと思ってもう一度首を振ってみると、やはり視界の隅で何かがぶれた。
「なんで?」
この書庫は地下にあるので、あたりを照らしているのはゆらゆらと揺れるろうそくの光だけだ。未音が慣れ親しんだ蛍光灯よりも弱い光だが、壁際に配置されたろうそくの明かりは本を読むには不自由しない。
だが、今になってその光はやはり弱い光であったことを知った。
「光?」
不意に現れたあたたかな光。どこから出てきたのかわからない光の球は、太陽の光ともろうそくの光とも違うあたたかさを持っている。その不思議な光の前では、十分に明るいと思っていたはずのろうそくの光がまったく頼りないもののように感じた。
「なんだろう? この光……」
いったいどこから出てきた光なのだろう。魅入られたように光を見つめながら、未音は首をかしげていた。疑問は尽きないが、とりあえず眺めていても仕方がない。特に熱を発しているわけでもなさそうなので、ためらいながらも手を伸ばしてみた。
ふわふわと漂う光球に手が触れる直前、それはなにかに弾かれたようなスピードで未音の手のひらをすり抜けた。
「あっ、待って!」
一度未音の手のひらをすり抜けた光は、着いてこいとでも言うようにゆっくりとしたスピードで本棚の間を飛んでいく。
未音が足を踏み入れたことのない、書庫の最奥へと続く道を。
この地下書庫は、奥に行けば奥に行くほど暗さを増していく。一度、書庫全体を探検しようとしたことがあったが、あまりの暗さに途中で足がすくんでしまったほどだ。
だが、光はどんどん奥へと飛んでいった。
(どうしよう……)
暗闇は怖い。明かりになるようなものを未音は何も持っていないし、光が向かう先に何があるのかもわからない。暗闇を抜けた先にあるのが、未音にとって安全なものという保障はないのだ。
光の球は書棚の間で未音の様子をうかがうように静止している。
周囲が濃厚な暗闇なのにもかかわらず、あたたかさを失わない光。
「あー、もう。行けばいいんでしょ!? 行けば!」
開き直ったように大声を出すと、未音は暗闇に足を踏み入れた。先を行く光球に置いていかれないように、深い闇の中を必死に進む。
時折石造りの床につまずきそうになったが、未音は足を止めなかった。
本当は光を目にしたときに気がついていたのだ。
この光が導く先にあるものが、未音にとって悪いものであるはずがないことに。