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大人たちに囲まれて少し怯えたような様子を見せる鈴音の瞳を覗き込んだまま、未音はゆっくりと言葉を続けた。言い聞かせるような口調ではなく、ただ淡々と事実を述べていく。
「昴はこの国を守るために煌っていう神様を演じ続けてたの。本当の彼は神様でもなんでもない、普通の人間なのよ」
「そうなの? じゃあ……」
「そんなはずはない!」
何かを言いかけた鈴音の声に、震えた大人の声が重なる。反射的に口をつぐんだ鈴音に優しい視線を向けてから、未音は自分たちを取り囲む大人を見つめ返した。
睨み返したといったほうが正しいかもしれない。
それほどに未音は怒っていたのだ。燃え上がるような怒りではなく、軽蔑が大半を占める怒りだったが。
「あなたたちは本物のバカね。昴が今までどうやって国を治めてきたのか見てなかったわけじゃないでしょ? 条約を取り付けて、必要とあらば武器を準備して……。いるだけで平和をもたらす神様が、そんな面倒なことするわけ無いじゃない!」
最近の昴が睡眠時間を削って深沙への対策を考えていることを未音は知っている。そもそも彼が本当に神様なら、深沙を滅ぼすなり侵入を防ぐ結界を張るなりすればいいのだ。
だが、彼にはそんなことはできない。だからこそ、寝る間も惜しんで戦争を乗り切るための方策を考えている。そんな昴の努力は見ないようにして、与えられた平和だけを享受している町の人たちに腹が立って仕方なかった。
「煌は昴に戻ろうとしてる。あなたたちが崇めてた神様……って言ってもただの虚像だけどね。その虚像すらもこの国からはいなくなる。それでもこの国は平和であり続けることができるはずよ」
ぐるりと周りを見回した未音の口調には迷いが一切なかった。
「綺羅国を支えているのは煌という名の神様じゃない。昴っていう王様なんだから!」
叩きつけるように言って、未音は鈴音の手を引いて大通りを後にした。大人たちは困惑しきっているが、そんなことは知ったことではない。
希望を探しに来たはずの町で、現実を突きつけるような物言いをしてしまった。我ながら後先を考えずにかっとなる性格は直したほうがいいと思う。
だが、今の未音を満たすのは後悔よりも晴れやかな思いだった。
(だって私は、間違ったことは言ってないもの)
未音の言葉は伝説という名の夢を見ている人々の目覚まし時計になっただろうか。
「燐さま! そっち行っちゃダメ!」
幼い声で我に返った。初めて出てきた町で感情に任せて歩き回ったため、知らないうちに周囲の景色は一変している。
さっきまでは商店が立ち並ぶ区画にいたはずだが、どうやら町はずれまで来てしまったようだ。目の前には大きな門があり、町の外に広がる草原を見渡すことができた。未音が今まで見たことない、綺麗なオレンジ色の花が咲き乱れている。
「えーっと……ここどこ?」
「知らないのに歩いてたの?」
無邪気な子供の声が突き刺さる。がっくりとうなだれて、女神とは到底思えないような間抜けな答えを返すしかなかった。
「全然知らなかったわ……ごめんね。とにかくあの場所から離れたかっただけなの」
「燐さま怒ったの?」
「怒ったっていうか……」
怒りと悔しさと軽蔑がぐちゃぐちゃに入り混じっていたあのときの感情を言葉にするのは難しい。うなりながら適当な言葉を探したが、とうとうピンとくるものは見つからなかった。
代わりに未音は話題を変えようと、首をかしげる鈴音に質問を返してみた。
「鈴音ちゃん、だっけ? ここどこだかわかる?」
もし話し相手が昴や詠軌だったとしたら、こんな話題転換には乗ってこないだろう。あの二人の気をそらさせるなんて未音には逆立ちしたってできはしない。
だが、今の話し相手はこの話題転換に乗ってきた。
「ここはね、蓮眠の花畑」
「れんみん?」
聞きなれない単語に、未音が鈴音の言葉をそのまま繰り返す。たぶん自分はずいぶんと呆けた顔をしているのだろうが、鈴音は未音のほうを見てなどいなかった。
外の花――――蓮眠というらしい――――と同じ鮮やかなオレンジの服のポケットから小さな飴を取り出すと、注意深くそれを未音の手のひらに載せる。黄金色に光る飴を未音がしげしげと見つめていると、同じものを鈴音が自分の口に放り込んだ。
「燐さまも、早くこの飴食べて」
「くれるの? 綺麗な飴……ね……?」
視界がぐらりとゆがんだ。目の前にいる鈴音の桃色の髪がかすみ、鮮やかに咲き誇る蓮眠の花が回りだす。ひどいめまいにも似た症状だったが実際はもっと違うもの、未音にとっても馴染み深い――――。
「なにこれ、ねむ……」
「燐さま! 飴なめて!!」
必死な鈴音の言葉に従おうとしたのだが、襲い来るありえないほどの眠気がそれを許さなかった。ゆっくりと膝をつき、そのまま前に倒れこもうとする。
その寸前、口の中に何かが入れられた。小さな球体で、ほのかな甘みがじんわりと口内に広がる。
「あれ?」
やわらかな甘みを堪能しているうちに眠気は去っていて、文字通り夢から覚めたような表情で未音は首を大きく振った。
景色が回ることもなく、鈴音の桃色の髪もはっきりと見ることができる。いったい今のはなんだったのかと未音がこめかみに指を当てると、安心したように微笑みながら鈴音が説明をしてくれた。
「蓮眠の花の香りをかぐとね、誰でも眠くなっちゃうの。だからね、今の季節ここに来る人はみんな飴をなめてるの」
「へぇ、そうなんだ」
異世界に召喚されたことを実感するのはこんなときだ。
未音の世界では人を無条件で眠らせるほどの力を持つ花など存在しない。少なくとも未音は知らない。それが、この世界では常識として受け入れられている。
「やっぱりファンタジーな世界よね」
「ふぁんたじー?」
「え……? ああ、なんでもないの」
頭の中で考えているつもりが、口にも出していたらしい。
鈴音のたどたどしい口調からして、この世界にはファンタジーという言葉が存在しないようだ。やはり、世界そのものがファンタジーということだろうか。
「この飴は?」
首をかしげる鈴音に、話を戻すための質問をした。ファンタジーについての説明は、また別のときにでもしてあげようと思う。もしかしたら、鈴音にとっては未音の世界がファンタジーそのものになってしまうかもしれないが。
「この飴はね、蓮眠の蜜を固めて作った飴なの。この飴をなめてるとね、蓮眠の香りをかいでも眠くならないんだよ」
「へぇー、すごいね」
もはや感心の声しか出ない。口の中で飴を転がしながら、蓮眠についての説明を重ねる鈴音の話をじっと聞いていた。
蓮眠は主に今の季節に咲くそうだ。他国には咲かずに綺羅国だけで花開く蓮眠は、この国の象徴にもなっているらしい。
言われてみれば、昴が仕事をしている執務室には花をあしらった分厚いカーテンがかかっていた。あれが蓮眠の花だったのだろう。
「飴を持ってこないと大変だけど、みんな蓮眠が好きなんだよ!」
「確かに、ちょっと怖いけど綺麗な花だね」
でしょ、と元気よく頷いた鈴音の表情が曇る。自分が何か変なことを言ったのではないかと慌てた未音だったが、鈴音の笑顔を曇らせたのはそんな単純なものではなかった。
「戦争が起きたら全部つぶされちゃうよ……」
憂いを瞳いっぱいにたたえた鈴音は、幼い子供とは到底思えなかった。
「……間違ってる」
「燐さま?」
「絶対に間違ってる!」
幸せなことを覚えるだけで忙しいはずの少女に、恐怖と憂いを教え込む。そんなことが許されていいはずがない。今までは漠然とした恐怖の対象だった戦争が、未音の中で具体的な怒りの矛先へと変わった。
「戦争は起きちゃいけないものだよ!」
突然口調を強めた未音に鈴音が目を白黒させている。しきりに瞬きをする様子が、彼女の混乱をはっきりと示していた。
「だから、燐さまが戦争を止めてくれるんじゃないの?」
「……私は燐じゃないもの」
もう何度目になるかわからない台詞を呟いて、未音は混乱する一方の少女の頭を軽く撫でた。この否定の言葉を理解してくれたのは、今までたった二人だけ。一人は未音と同じ気持ちをずっと抱いていた青年で、もう一人は誰よりも青年の近くにいた親友。
目の前の少女は三人目になってくれるだろうか。