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「それで、未音」
詠軌としてはにこやかな笑みを浮かべていたつもりだったが、未音の顔は瞬時に引きつった。
「……なんでしょう?」
「なぜ、町に行きたいんだい?」
たとえ昴に言うのが無理だったとしても、自分にならその理由を話してくれるかもしれない。会議に向かった昴は当分戻ってこないだろうし、町に出たい理由を聞く機会は今を除いて他にないだろう。
質問を重ねることなく沈黙を守り、未音が口を開くのを待った。
「昴が実際はどう思われてるかを確かめたいの」
「それは?」
「昴は神様だって思われてるって言うけど、本当にみんながそうなの? もしかしたら昴のことも普通の人なんじゃないかって思ってる人だっているかもしれないでしょ? もし昴のことを神様じゃないと思っている人がいれば、それは昴の希望になる。私は、昴にとっての希望を見つけに行きたいの」
不覚にも詠軌は相槌を打つことすらできなかった。青い瞳を驚きで凍りつかせ、言葉を重ねる未音をただ
見つめる。
それほどに、未音の言葉は詠軌の予想を遥かに超えたものだったのだ。
昴は煌を演じることをやめ、いずれ昴に戻ろうとしている。親友とも呼べる彼の気持ちを理解しながらも、詠軌はそのために何かをしようとは思わなかった。隣国との関係が悪化している今、最優先にするべきは国を守ることであり、それ以外のことはあとで考えればいいと、無意識に優先度を下げていたのだ。おそらくは、昴本人でさえもそう考えている。
だが、隣国との関係が改善するまでどれだけの時間がかかるかはわからない。それまで昴に煌を演じさせ続けることを良しとしてもいいのだろうか。
(未音は、そうは思わないのか)
この場に彼がいたら、いったい何と言っただろう。詠軌は彼ではないから完全に昴の気持ちを代弁することはできないが、それでも一つだけ確実にわかることがある。
「未音……」
「やっぱりダメ?」
おずおずといったように自分を見つめてくる瞳は暗い闇の色。この世界において平安や守護を意味する色。
しかし、彼女にはもっとふさわしい言葉がある。
「未音が、昴にとっての希望なんだな」
「え?」
「なんでもない」
軽く首を振ってから、視線を空へと逃がした。自分は召喚士としては最悪の決断をしようとしているとい自覚があったのだ。
隣国との関係ははかなり危険な状態にまで進んでいるし、この国の繁栄の女神は何があっても守らなければならない。そのためには、彼女を城に留めることがもっとも適切な判断だ。町に出かけさせるなどということはできない。
しかし――――
「護衛はつけるよ」
さりげない詠軌の言葉に、未音の反応が一瞬遅れる。闇色の瞳を丸く見開いて、喜びよりも驚きを表に出した。
「行っていいの!?」
「ただし、昴の会議が終わるまでには帰って来てほしい。昴には知られたくない」
「夕方ごろってこと?」
未音の問いに頷いて、それでもいいのかと視線で問う。
すでに時刻は昼を回っている。今からすぐに出かけたとしても、ほんの数時間しかいられないだろう。町を見て回るどころか、町の入り口近辺をめぐって終わってしまうかもしれない。
それでも、昴の許可を得ていない以上そこだけは妥協することができないのだ。わざわざ未音を町に出したことが知られたら、それこそ詠軌が職を失うことになる。
本人に自覚はないのかもしれないが、今の昴が未音を大切に思っていることは明らかなのだから。
「行きたい! 夕方までなら十分!」
「なら決まりですね」
子供のようにはしゃぐ未音を見ていると、なんだかこちらまで嬉しくなってくる。
思えば彼女には幸せをもらってばかりだ。
昴は柔らかく笑うことが多くなったし、自分は無二の親友を取り戻すことができた。彼女が本当に女神の生まれ変わりなのかどうかは怪しくなってきたが、詠軌にとっての未音は女神以上の存在になっている。
「じゃあ、行きますか」
「うん!」
二人で連れ立って城門まで歩き、途中で話をつけた兵に未音の護衛を任せた。彼女のたっての希望もあって兵たちは、彼女の近くで守るのではなくある程度の距離をとって護衛をする。正直不安ではあったが、兵たちが近くにいては街を歩くどころではないという未音の主張にも一理あった。
「行ってきます!」
「くれぐれも、夕方までにはお戻りくださいますよう」
兵たちがいる手前、燐への恭しい態度を貫いて詠軌は膝を折った。未音が軽く頷いたのが気配でわかったが、うつむいているので直接彼女の表情をうかがうことはできない。
未音の軽い足音が徐々に遠ざかっていく。やがて城門が開く音がして、軽い足音の持ち主が城を後にしたのがわかる。
その時不意に満ちた静寂に、一瞬寒々しいものを感じた。