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重苦しい沈黙を先に破ったのは昴だった。
「誰か来る」
「え?」
「悪い、適当に追い払ってくれ。今は煌を演じきれる自信がないんだ」
早口でそう言って、昴はすばやく一本の木に足をかけた。手足を器用に使って木を登っていくと、深緑の中にその身を隠す。一部始終を見ていた未音でさえも、よほど注意をしないと見過ごしてしまうほどに、昴は木々と一体化している。鮮やかな金の髪も、彼を見つける手助けはしてくれない。幼い頃はかくれんぼの名人だったという話を聞いたことがあるが、今の彼も十分名人といえるだろう。
(あれ?)
疑問が未音の脳裏を掠めた。
昴が普通の子供だったなら、かくれんぼが得意だったとしても何の不思議もない。
だが、彼は普通の子供ではなかったはずだ。
(かくれんぼは一人じゃできないはずなのに)
昴が隠れる側だったとき、彼を探す鬼はいったい誰だったのだろう。
何気ない思考だったが重要なことのような気がして、すぐにでも昴に真相を尋ねたくなった。頭上を振り仰ごうとしたが、彼が身を隠した理由が未音の前に現れたため、未音の視線は目の前の青年に向かうことになった。
「中庭は気に入っていただけたようですね」
いつものように立派な杖を持った詠軌が、柔らかな笑みを浮かべて立っていた。
「えっ、ああ……まあ」
てっきり昴の指示を仰ぎに来た高官たちだろうと思っていたので、詠軌の姿を認めたときに未音は驚いた。瞳は落ち着きなく宙をさまよい、まともな言葉を返すことなどできはしない。
結果、ただのうつろな相槌のようになってしまったが、なんとか言葉は返した。かなり間抜けな声にはなってしまったが、詠軌は未音を笑うようなことはせずに、今呼んでいる本の感想などを尋ねてくる。
詠軌の目的が見えないまま問われるがままに答えを返していたが、詠軌の次の動作を見たとき、未音の唇はまるで縫いとめられたように動かなくなってしまった。
未音の頭上、ちょうど昴が隠れているあたりを見て、詠軌はかすかに目を細めたのだ。
まるで、そこに隠れているものの姿を確かめようとするかのように。
「どうかなさいましたか?」
凍りついた未音に気づいた詠軌が、未音へと視線を戻す。空のように青い詠軌の瞳に、目を丸くした未音が映りこんでいる。普段の未音だったら恥ずかしさのあまり慌てて表情を作り直すが、今はそれすらもできなかった。
「今、何を見てたんですか?」
「どういう意味でしょうか?」
恐る恐る尋ねてみると、不思議そうな質問が返ってきた。心の底からそう思っているような、偽りなどまったく感じさせない声色。
『詠軌は策士だ』
不意に耳によみがえった昴の言葉が未音に確信をくれた。
詠軌は、昴が隠れていることに気づいている。気づいていながら、気づかないふりを貫いている。
では、いったい何故そんなことをするのだろう。
未音は必死になってその答えを探そうとした。今までの詠軌との会話を無理やり思い出して、何かヒントになるようなものはないかと、ショートするのではないかと思うようなスピードで頭を働かせる。
稲妻のようにある仮説が閃いたのは、まさに神の助けだと思った。
「彼が、私に似てる人?」
今度は詠軌の表情が凍りつく番だった。杖を取り落としこそしなかったが、手はかすかに震え、空色の瞳が氷の色に変じたように見える。
「昴のかくれんぼの相手は……あなたなの?」
詠軌と昴が幼い頃は一緒に遊んだ友達だったとすれば、詠軌が煌の隠れた場所に気がついたことにも頷ける。
そしてもし、詠軌と昴が幼馴染だったとしたら――――燐であることを必死に否定していた未音に似ている人というのは昴でしかありえない。
ほとんど直感のような仮説。当たっている自信などまったくと言っていいほどない。
凍りついた詠軌を見つめながら、仮説が事実であることを未音は必死に祈っていた。
未音によく似ている人を知っていると言ったときの詠軌は、とても複雑な表情をしていたから。