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彼と彼女の運命  作者: Tamana
3章 中庭
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3

「俺は……」

 ぽつりと呟いた煌の声は独白に近いほどに小さい。普通なら到底聞き取ることのできないような声だったが、中庭に満ちた静寂が未音の味方をしてくれた。

「ずっと、誰かにそう言ってもらうのを待っていた気がする。煌ではなく、俺の居場所がある……と」

 静寂を淡々と破る声。およそ感情などこもっていない、聞く人によっては冷淡とも取れる響きだったが、彼の纏う空気が今までとは明らかに違っていた。尖っていた刃のような気配は姿を消し、もっと柔らかなものが彼を覆っている。


 その空気の名前は安堵。

 煌の名にがんじがらめにされていた彼が、解放されたことを示していた。


「お前には礼を言わないとな」

「そっ、そんな! 別に、私は何もしてないし」

「ありがとう」

 丁寧に頭を下げられて、逆に未音のほうが狼狽してしまった。頭を下げたことなら何度もあるが、自分が頭を下げられる側に回ったことはめったにない。せいぜい部活の後輩に挨拶をされた程度だ。

 それなのにまさか自分が、彼のような高い地位を持つ人に頭を下げられることになるなんて。

 異世界に召喚されたというのとはまた別の次元で、信じられない気持ちでいっぱいだった。

「さて、これからどうするかな」

「へ?」

 ばくばくと音を立てていた心臓を何とかしてなだめようとしていた最中だったので、未音の口からは果てしなく間の抜けた声が漏れる。思わず赤面した未音だったが、煌は気にしていないようだった。

 中庭の一点を見据えたまま、よどみなく言葉を続ける。

「俺は今までずっと神だった。それがたとえ嘘だったとしても、俺は簡単には人間に戻れない」

「どうして? あなたが、自分は人間だって言えばいいだけのことじゃないの?」

「そんなの、子供の頃、俺が神にさせられたときにとっくに試してるさ」

 溜息をついた煌に、今の自分の発言がどれだけ失言だったかを思い知らされた。

 いきなり神に祭り上げられた少年が、それを否定しないはずがない。召喚された未音が、女神の生まれ変わりであるということをかたくなに否定し続けているように。

 それを諦めざるを得ないほど、この国の人たちは伝説を信じきっているということだ。

「じゃあ、どうするの?」

 恐る恐る尋ねると、意外にも煌は笑って未音に答えた。

「まあ、もうしばらくは煌でいるさ。今までどおり煌として過ごしながら、『俺』を認めさせる方法を考える」

「それで大丈夫? 息つまったりしない?」

 神としての自分を演じていたがために、彼の心は限界を迎えていたのだ。それを、これからも続けて大丈夫なのだろうか。

 心配の色をありありと浮かべる未音に、彼は穏やかに笑った。

「燐は、俺を人として見てくれるのだろう?」

 まっすぐに自分を見つめている彼の言葉は、間違いなく自分に向けられたものだった。第一、この中庭には自分と煌しかいないのだ。

 そうとわかっていても、未音はとっさに答えることができなかった。

「燐?」


 煌の金色の瞳に映る未音が、大きく溜息をついた。


「私は燐じゃない」

「え?」

「名前! 燐は女神の名前でしょ。私の名前はちゃんと別にあるんだから、そっちで呼んでくれない?」

 未音にしてみれば当然の主張をしたつもりだったが、煌は見ていて面白いくらいに狼狽した。何かを言いかけて口を開き、言うべき言葉が見つからないとでもいうように閉じる。それをしばらく繰り返したあとで未音をまっすぐ見据えた金の瞳は、未音以上の困惑を色濃く映していた。

「名前は……何というんだ?」

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。

「名前、言ってなかったっけ?」

「もしかしたら言っていたのかもしれないが……すまん、俺は覚えてない」

 心底申し訳なさそうな煌だったが、未音は自然と微笑んでいた。

 思えば、彼との出会いは最悪だった。故郷から引き離された未音が泣き叫び、そんな未音に煌が鋭い怒りを叩きつけて。お互いの第一印象は、これ以上悪いものはないというほどに悪いものだった。

 今この瞬間から、彼との出会いをやり直してもいいだろうか。


「私の名前は篠宮未音。あなたは?」


 笑顔とともに手を差し出す。未音の言葉も差し出した手も、煌の予想を超えていたものだったらしく、彼は目を丸くして立ち尽くした。

 さらさらと、夜風が中庭を通り抜けていく。一つ二つしか出ていなかった星が、いつの間にか空全体を覆っていた。

「俺はすばる

「すば……る」

 確かめるようにして未音が小さく呟くと、未音の手を握り返した煌――――昴は小さく笑った。

「もう一度、この名前で呼ばれるようになるなんて夢にも思わなかった」

「もう一度って?」

「この名前は俺の子供の頃の名前だ。まだ煌の生まれ変わりだと言われる前。俺が、俺以外の何者でもなかった頃の名前なんだ」

 少しはにかみながら誇らしげにそう言った昴は、まるで今までとは別人だった。冷たい印象を与えていた金色の瞳が穏やかな色を浮かべていて、どんな宝石よりも綺麗だった。


 未音がこの世界に召喚されてから約二週間。

 初めて、召喚されてよかったと思った瞬間だった。

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