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彼と彼女の運命  作者: Tamana
3章 中庭
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「外に出たいんですけど」

 自分の要望にこたえてやってきた詠軌に、未音はそう言った。唐突な未音の申し出に驚いたらしい詠軌の瞳が見開かれるのにはかまわず、堰を切ったように言葉をあふれさせる。

「いい加減、この部屋と書庫の往復にも飽きたんです。どこでもいいから外に出してくれませんか?」

 召喚されてから十日が過ぎた。相変わらず元の世界へ戻る方法は見つからないし、書庫での偶然の出会い以来、煌とも会っていない。苦手意識だけが育っていく煌と会わなくてすむのはありがたいが、限られた人たちの顔しか見ない生活はいい加減気詰まりだ。

 本当は家族や友達に会わせてほしい。

 だが、かなうはずのない願いを言うほど未音は馬鹿ではなかった。

「外といわれましても……。今この国は隣国との関係が急速に不安定になっております。決して治安がいい状態ではないのです」

 気遣うような声に裏はない。未音を外に出さないために適当なことを言っているわけではなく、本心から未音の――――正確に言えば女神、燐の――――ことを案じてくれていることがよくわかった。

 治安の悪い場所へ女神を行かせるわけにはいかないと、詠軌の瞳がそう言っている。

 この国へ平和をもたらす女神は、自分の身を守る術を持っているようには思われていないらしい。自分の身も満足に守れない者がこの国に平和と繁栄をもたらすことができると思っているのか、と問いただそうかとも思ったが、今の未音に議論をするまでの余裕はなかった。

 とにかく日に当たりたい。このまま屋内にい続ければ、体からきのこが生えてきそうな気がするのだ。

「なにも町に行きたいわけじゃないんです。お城の庭でも何でも、外ならどこでもいいんです」

「庭ですか」

 切迫した未音の懇願に、詠軌はあごに手をかけてしばらく考え込んだ。

 未音にとってはひどく長く感じる時間。でも実際はほんの数分にも満たないであろう時間のあとに響いた声は、穏やかに優しい声だった。

「わかりました」

「本当!?」

「はい」

 にっこりと笑って頷いた詠軌がまるで神様に見えた。足りないところがあれば手を貸してくれる彼は、実際未音にとっては救いの神なのかもしれない。

 数日後に未音はこの考えを全力で打ち消すはめになるのだが、このときは心からそう思っていた。

「少し狭いですが整えられた中庭があります。そこにご案内いたしましょう」

「やったぁ!」

 手を叩き、全身で喜びを表した未音に詠軌はどこか楽しげな視線を向けている。その視線に未音が気づくより前に、詠軌は彼女にすばやく背を向けた。

「では、参りましょうか?」

「はい!」

 そのまま二人は連れ立って部屋を出ようとした。詠軌は手にしていた杖を軽く抱えなおし、未音は期待に目を輝かせる。

 あっ、と声を出したのはどっちが先だっただろう。

 未音の前を今まさに歩き始めようとしていた詠軌は振り返り、彼の視線の先で未音は立ち尽くす。どちらも目線で相手に言葉の先を促していた。

 二人の間を流れる微妙な沈黙に、先に降参したのは未音だった。

「庭の前に書庫に行ってもいいですか? 外で本が読みたくて」

 詠軌の首肯に未音は安堵したように息を吐いた。

 書庫で本を読んでいると、書庫全体のじめじめした雰囲気が乗り移ってくるような気がするのだ。けっして嫌いな雰囲気ではないはずなのだが、あれは長時間人がいるべき空気ではないと思う。

「書庫に行くなら、なおさらですね」

「え?」

 小さく呟かれた詠軌の言葉を意識がなぞろうとする。だが、その言葉の意味はわからない。

 首を傾げつつもまっすぐに詠軌を見つめると、彼はたいしたことではないというように目元を和ませた。

「この間お渡ししたストールがありますよね。暖かい季節とはいえ夕方になると冷えますので、それを持っていったほうがいいと思います」

 何気なく発せられた言葉のはずなのに、未音は背筋を一気に氷塊が滑り落ちていったような感覚に襲われた。なるべく声が引きつらないように気をつけながらも、おそらくは詠軌が予想もしないであろう答えを返す。

「すいません……」

「……と、言いますと?」

「あのストール……なくしちゃったみたいで」

 いったいどこの世界に肩にかけていたストールを、座りっぱなしの読書中になくす馬鹿がいるのだ。頭の中の冷静な部分が突っ込みを入れるが、他に言い訳が思いつかなかった。本当のことを正直に言えばいいだけのことなのだが、そのためには煌が居眠りをしていたことを説明しなければならない。

 だが、わざわざ地下書庫の最奥を選んで眠っていた彼のことは、軽々しく人に教えてはいけない気がした。

「そう……ですか」

 しゅんとうなだれた未音の頭上に、詠軌の困ったような声が降ってくる。柔らかな手触りの高級そうなストールだった。それをなくしたというのだから、彼がこんなに困るのも当然なのかもしれない。やはり煌のことを言おうかと迷い始めた。

「では」

「はっ、はい!?」

 迷いだけが暴走しかけていたので、未音の反応はとうてい普通とはいえないようなものだった。

 声は裏返り、目が不自然に泳ぐ。

 一瞬いぶかしげな表情をした詠軌だったが、特に追求をしようとはせずに言葉を続けた。

「夕方は冷えますので、日が沈む前には部屋にお戻りください」

「はい。あの、ストールのことは……?」

「ああ。漆黒のストールは燐の証でもありますので、城の者が見つけしだいお手元へ届けられると思いますので、ご安心ください」

 どこまでも穏やかな詠軌の言葉だったが、未音は今までとは違った意味で寒気を感じずにはいられなかった。

 漆黒は燐の証。それを燐の対とされる煌が知らないはずがない。それはつまり、目覚めた煌は手元に残されたストールから、未音がそこにいたことに気がついていたはずだ。

(嘘でしょ……)

 彼に気付かれないようにそっと立ち去ったところで、ストールを掛けてしまっては何の意味もなかったようだ。目覚めた彼は燐の証であるストールを見て何を思ったのだろうか。何も感じていなければそれに越したことはないが、もし燐に関するものをすべて不愉快に感じるようであれば、寝起きの彼は相当な不機嫌に襲われたに違いない。

(やっぱり煌に近寄るのはやめよう)

 決意を新たにそう心に決めると、中庭に案内しようと入り口の扉に手をかけた詠軌の後を追った。

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