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私における真実よりも辻褄が合う結論を出すにはまだ、余裕がない。
どうして、そんなことなってしまうのかさえ矛盾を内包していた。
物語の終幕としてこうして日記を書く出来事をかけないまま、その日は白紙のままの方が正確なのかも今ではその日記に手を付けることはない。
「If happiness visits you tomorrow」
そう書き記したページが日記帳の最後のページが白紙で終わりを告げていたからだ。
開かれていたページが余白を破り捨てて、日記は完成する。
世歩玲という少女が、ただ救済を求めて書き記していた記録。だけど、世歩玲という少女は少なからず綾乃としての道を歩き始めたのだから、要らないし必要がない。
後悔でも、悔しさではない私が、破り捨てた最後のページにどうしてここまで未練があったのだろう。
その破り捨てていたはずの一枚は、部屋を出る時には折り鶴に代わっていた。
今朝は何事もなく、それは快調の一日それは些細でもない平凡すぎるようにマンションからはそんな経緯を垣間見ることもできた。
だからといって、日常で合った部分は変わらない。
それが、母親からお兄さんに変わったことにより物事が大きく左右することでもなかった。
綾乃と呼ばれる人物がここ二日によって自分における認識の大きな違いがまるで変貌したかのように住む場所から何もかもが違って見える。
それにより、自分がホームシックと呼ばれる一種の家に帰りたい病が発病したのは自分の荷物が殆ど家においてきてしまったことにあった。
我ながら恥かしいと思ってしまったのに、どうしても思い当たる節がある。
それは、住み慣れた街とはべつに新居が一転しているという自覚が見慣れない光景として視界に違和感が目の前として混在していた。
たった1日での変化は、ある種綾乃と呼ばれる人物が世歩玲でいたことを忘れさせてくれるように今の私は気楽にも朝食の準備をしている。
「お兄さん、朝食できたよ」
「ああ、ちょっとまっていて」
隣のパソコンと睨めっこ。ついでに、睨んでいた目がパソコン画面のエラーと相互して私を見比べていた。
だが、朝食を選んだらしい。
パソコン画面を閉じてリビングへと椅子に腰かけた。
重要なことを伝えるような雰囲気のまま、朝食の準備を済ませ座てみせたものの、
「綾乃、一ついいか?」
「は、はい。なんですか、お兄さん」
「俺は、朝食について明らかにしなきゃいけないことが一つあるのだが」
お兄さんから重要にせざる負えないことがあるのだろうかとごくりと生唾を飲み込む。
それは、家にこれ以上住まわせてもらえないとかではないのだろうか。
清算として、やるべきことをやることも手伝いをしてお礼をする私などお兄さんには迷惑の一部でしかないのだろうかと。
「あ、あの。お兄さん」
「朝食豊富だな。朝弱い俺にはとても感謝だよ」
偉いと、頭を撫でられる。
僅かな驚きと、彼の次に出てくる言葉などではなくおかずへと手を付けていた。
もしかしてと思っていたこととの正反対の言葉だったために私が唖然していたが、お兄さんになりの家に出て行けというサインだったのだろうか。
「もしかして迷惑だったのですか?」
遠まわしに言ってみる。
彼の表情からは、べつにそういうことではないとは出ているものの、
「迷惑って朝食について?」
「いえ、私がこの家にいることですが」
「綾乃が嫌なら出ていくのもいいけど、俺の口から出た言葉じゃないだろう? あと、珈琲いれるから皿あったらそのままにしておいてくれ」
思惑とは自分の考えとは予想に反することが多い。
特に文化の違いでもなく、単純に人柄の違いと食べていた卵焼きがとても甘く感じた。
私の可愛らしいご飯茶わんには桜という絵文字と、小さく子犬のプリント。
口に入れてみたものの、舌鼓を打つ回数は自然と減ってくる。
「私、自分の家に居服をとりに行きたいのですが?」
「そうか」
だから、お兄さんが惜しいと思う顔は直接的に見ることができなくて幻滅されただろう。
すこし、顔を上げてお兄さんが浮かばないようにご飯茶碗の残りのご飯を口に入れていた。
「鍵預けておくから」
「ありがとうございます、お兄さん」
おかずと共に胸中晴れない気持ちが私をどうするべきか迷子のまま茶碗をつつく。
迷心が揺らぐように、端を置いた。
「お兄さん」
「俺は、綾乃が居て本当に楽しかった。それは、たった数日だとしても少なからず楽しかったことには変わりない」
言葉の真偽を問うわけでもない、だけど私の心には響いてそっと口を噤む。
こくりと頷いたが、実際自分でもこのままお兄さんの家にいて本当に良いのだろうかと悩んだ。
だって、もしかしたら押しかけ女房というカタチには変わりない。
一方的すぎる状況に、どうしてここまでと私の中での疑問は解消されることがないまま朝食の茶碗を下げた。
「お礼をした後のことなんて、考えていなかった」
リビングへとそのままお兄さんに教わって初めて珈琲を入れてみる。
だが、粉の抽出やドリッパーにフィルタリングして濃度の濃くそして、蒸らしてみたもののお兄さんのようには上手くできないくて、こされた雑味と漂う匂いにはそれほど好ましいという結果は出せずしぶしぶ2つ挑戦してみたものの、やはり初日というだけあってだろう。
等と、私はどうやら自分のことさえ理解をしていないと自分で淹れた珈琲の味がしない。
苦味であった渋みはまるで豆の挽きが強すぎて、味よりもずっとお湯のよう。
「んっ、おいしくない」
「そう? 珈琲はね、その人のその時の心を映してくれからだ。ちなみに渋みはあるよ、あと本来の味もね」
お兄さんの優しい一言に慰められるが、正直美味しいとは程遠く。
飲み干していたカップの底に映る私がどんな表情をしていたのかいうまでもなかった。
家からでて、約束通り私は私の元いた家へと電車を乗り継ぐことになる。
それも、神妙とする気持ちではなくただ、私のこと以外で手いっぱいだった自分。少なくとも”世歩玲“であり”綾乃“という私が担わなければならない結論を見出す答えよりも先に一歩足を踏み出した。
目の前に広がっていたのは、集約していた駅。
土曜日ともあって、駅には閑散としていた様子にも見受けられるがそうではないらしい。
駅とい一部の言語で筆頭にいえるなら、それに比例するように人が多いところだ。
まるで、その場所に居る人たちが私だけを見ているような視線の飛び交いが立ち止まらない歩みが私に向けられてしまうのではないかと内心に恐怖。無関係な人々の中心で、私はまるでそんな脅えに駆られていた。
休日のサラリーマンと、観光旅行者の集団が券売機へと押し寄せる。
新造された駅の匂い、そうして白く塗りたてられた建物の一部。人は、休日だというのに人だからりがあって、止まっていれば流されてしまう。
用心深く、財布はバックにしまって券売機でのカードをチャージして電子掲示板を見る。
駅構内での各駅記された電子パネルはまるで冷めているように次の電車を瞬く間に出入りにより切り替わってチャージしたsuicaを片手に、私は手持ちのバックも持たず身一つで自分の家に一度戻ろうとしていた。
「4駅先の乗り換え」
その言葉だけが駅での自分だけの救い慨。他はまるで他人事のように過ぎ去るように人が流れゆく中を心細く、改札までの入り口。
「行こうか、早く行けば早く帰れるし」
これが最後なのかもしれない。
そう思うだけで、私はまだ迷っていたのかもしれなかった。
一旦新都へと行き、乗り換えすること数分間。
真新しい室内に、数人の乗車したお客に私はそんな中をドア付近の椅子へと腰を落として周りを見た渡す。
どうやら、隣席に座る人もいないようだ。
ついた息を吸い込んで、新鮮な空気を入れ込んで私は窓を見る。次の電車待ちなのかホーム先での待つ人と、携帯待ち受け画面にはまだ11時を越えていなかった。
お兄さんのメール着信メッセージ画面に、感謝の気持ちを唱えながら動き出した電車からの情景を横で過ぎ去る瞬間を私は目を見開く。
横切り、広がっていたビル群を越えて木々が周辺までまるで光景としての景色から一部を切り取るよう。
それは、こんな何気ない風景によって左右されることになるなんてと私は少し気恥ずかしいかもしれない。
まだ私自信に対する余裕がないというのは、自分本位でのそれ程考えることが高踏的な見方がまだ出来るほど肩の力を抜くことも楽観することもできない。
「ありがとう、お兄さん」
駆け抜けた電車から見えたガラス壁から見た景色と、お兄さんをどうして呼んでしまったのだろうかとヘンテコな自分だと口元をゆるめた。
溜息混じりに、懐かしい場所へと戻ってきたと私が苦々する思いと第一印象から、あまり行きたくなかった場所ナンバーワンを誇る場所だ。
それは、決別したい気持ちが優先しているためだろうか。
すこし、目先が知っている場所へと向く。それは、紛れもない何十年も知っている土地。
開拓地になるはずだった売地や、公園だったはずの場所には一人も遊具で遊ぶ子供がいなかった。
親しみに有り触れた駅と、生まれ故郷に帰ってきたような心境が苛み、行き先不順のまま足取りだけが自然と家へと向かう。
懐かしいのかな、懐かしいという言葉よりも先にここに来てしまったのだという自分の気持ちにはどうしようもなかった。悠然とした、そんなホームには人の出入りの賑わいとは相違して小さくも謙虚な私。
下へと頭を落として、長い髪が風によって舞い上がりそうなところを押さえながら家までのわずかな距離が随分長く感じる。
古い、木造建築のアパートが私の生まれ故郷に、私が確かな存在をしてそこにいた。
そこにいたのだと、壁に子供の落書きが未だに残っている。
階段は古臭い、だけど、根元から腐るというわけではないので年期が経っているのだろう。
目の前に表札の文字には、水無月と記されていた。
ああ、来てしまった。もう、戻り舞いとしたのに、私は気乗りがしないまま意を決心して、ドアノブに手をかける。
「ただいま」
「おかえりなさい、世歩玲」
声が聞こえる。それは自分の知っている声、聞きなれた声だ。
今まで無視して、あろうことか酒瓶を投げられたりしたのに。初めて母親があたたく出迎えるが、どうしても喜べなかった。
以前よりも痩せたのだろう、頬にあった肉は削げ落ちて中年の叔母さんというよりも厚化粧によって誤魔化されていたように素朴にも温かな表情を迎えられる。
私は、そんなお母親がどうしても信じることよりも疑いの眼で玄関でのやり取りでさえ乏しかった。
許せない、だけど恨みが母親にあるわけでもない。母さんは、まるでそんなことはどうでもいいとした顔で玄関を開けた。
「お母さん?」
「あがって、お茶準備するから」
親子とのやり取りなど、全くの経験もしていないことに戸惑いである部分は隠せない。
だけど、親密感がそこにあるわけでもなく靴を整えて居間へと連れて行かれた私はそのまま、何事もなかったかのような母親の顔が芯裂した気分。
亀裂には変わりなかった。まるで、いつ暴力をふるわれてしまうのかとビクビクしていた私がこうして母親に何かを貰うことなんて。
「お母さん」
「昨日はゴメンネ、母さんは世歩玲に言いすぎたみたい」
親子間のやりとりなんて、お金だけでいつも嫌味と唾を吐かれていた私にしていた当たることなど本当に些細なことだったのだと謙譲のように振る舞う母親。
私は、そんな母親の言葉を飲み込むことなどできないまま、母親の言葉に耳を傾ける。
それが、正しいことのように母親の口節を揃えた言葉は私が捨てきれなかった未練のように振る舞われたように居間にゆったりとしてどうして、昨晩のことでの態度の急変に母親の顔を見てみる。
まるで、あり得ない様な光景。
私が、望んでいた光景には違いなかったのに、違和感だ。
出された茶菓子と、ポットからお湯が注がれて置かれていたが、お互いに沈黙。何を喋ればよかったのだろうかと、口は開けていたのに喋る言葉が思い浮かばない。
母親とのやり取りなんて、と口数の少なさにお茶が濁る。
「………」
「………世歩玲、昨日はご飯食べた?」
「食べましたよ」
「そう、心配したからね」
心配など一度もしてくれなかったのに、どうして口先でそういうのだろう。
お茶の一杯を私は避けるように一口。
すこし、熱い。だから私は含んでいた唇を冷ますようにカップを置いて、母親の顔を再び見た。
揺れる電灯、そして古びた机には母親が何か呟いていたのを聞きとれない。ただ、ぶつぶつと繰り返すように私へと伝えていたのだが、
「お茶、美味しい?」
「う、うん。美味しいよ、お母さん」
「よかった、世歩玲。お茶美味しかったのか」
母親の頷く顔も、冷めて目先が細く私見ていた瞳が黒々していた。
だから、飲んでいたお茶が離れる。
いつしか、それは疑問でしかない。まるで尋ねてきたように私は母親の名前を口にして、
「お母さんの名前、呼んでくれたのね」
それでも、私のお母さんだった。
その名前と、母親が私の手を重ねてくる。そんな母親の手がここまで年老いたのだろとカサカサなのに。
触れていた手を引きはがし交差して私は脅える。
「ごめんなさい、急だったかしら」
「いえ、すこし意外でした」
手を繋いだこともない。コミュニケーションなどいつも酒に溺れていた母親。
それを隣でずっと見ていた私は、感慨することもなかったしあんなに暴力を振るわれていた、私がこうしてお茶を二人でするなんてことをするとは思ってもいない。
そう思うと、酷く孤独を過ごしていたのだなと母親に思えてしまうくらいだ。
「あのね、今度世歩玲の好きな物買ってあげる。今はお金も余り少ないけど、お母さんまた働いて今度は世歩玲に苦労かけないようにするから」
だから、まるで嘘を並べたように聞こえたそれを私はどう思えばよかったのだろうか。
母親の慰めだけど、本意ではないことなんてわかっていた。
わかっていたから、余計に私は黙っていたのだと思う。
「あなたは、そこでゆっくりしていなさい。世歩玲」
これが、思い描いていた母親の姿だったのか。すこしでも安心するように私が脚を伸ばそうとして、母親のお茶を待った。
母親の携帯着信になる途端すぐさま何処かに行ってしまう。居間から出た母親の声が、仕舞い忘れたドアの隙間から洩れていたのだ。
「あの子、いいタマになったわよ。いい、これで私が少しでも楽になるなら構わないわ。ええ、この際だから援交でもさせて金を稼いでもらうのだから」
「えっ」
そうだ。これが現実なのだと突き付けられ私は、既に何も思い浮かばなかった。
思い描く母親としての音を立てて崩れる。
私は、母親である人の口から出た言葉に涙を堪えてそれと同時に、母親に対しての積年であった物がそれでも憎むことをしないとした自分と許すことができなくて、私は漏れていた声を耳に当てる。
目を見開いて、開け放ってドアの先には携帯と母親が誰かに連絡していた。
耳にそばたてて、母親は動揺もしない。
それに、苛立ちを見せるよう私は母親へと電話の内容を伺う。
「お母さん、どういうこと?」
「せ、世歩玲、これから気のいいおじさんにいいところへ連れて行ってもらえるからね。居間で待ってなさい」
私は問い詰めるように母親に迫り、母親はまるで当然であるとした態度にどうしようもない気持ちに襲われた。
「どうして? お母さんっ!!」
「当り前じゃない、アナタを愛していないからよ」
大切にしてくないのは始めからわかっていた。
だからと更に攻めるような気持ちでもなく、感情という波があるのだったらここまで揺れ動くこともない。
冷静さなんて、全くそこになくてやはり帰る場所を間違えたみたい。
そのまま自分の部屋へとすぐさまタンスを開けて、綺麗に整頓されていた自分の服。
ああ、小さい頃の服もある。懐かしみの居服ばかりで私は抱きしめた。すこしでも和らぐことのない苦しみ。
余計に込み上げてきた思いは、そんな衣服を使い古しのバックへと敷き詰める。
下着は、またいつか買えばいい。それに居服以外はお気に入りの筆箱くらいだろう。
ぬいぐるみも、小学生の鞄も全部そこに置いていく。
詰め込められたバックは、すこし重かったけどきっとそれくらいで大丈夫だろう。
改めて、自分の部屋を見渡した。
これでもう、帰ってくることはない。私の今までそこに暮らしてきたと思うと急に寂しくなってくる。
当り前、なのだろうか。ただ、バックにはこれから必要なものだけで、大切なものはそこに置いていく。
だから、苦しくて辛い気持ちは私にはどうすればいいか分からない。
「世歩玲、いい加減物分かりのいい子だと思っていたのに」
「私は、家を出ていきますから」
「させないわ、そんなこと。私が苦労することなんて不遇じゃない」
母親がまるで怒り狂うように、部屋のドアをこじ開けて中へと入ってきた。
そして、私へと近づいて我を忘れ私を平手で振りあげて叩こうとする。
叩かれる瞬間、どうしてお兄さんのことを思い出したのだろう。初めてくれた名前、守ってくれた背中と高揚感にかけがえのないモノを貰った。
だから、決断した意思は折り曲げることはしなかった。
母親と呼ばれる人間の前で、初めて大声を訴える。それが生涯初の反抗だったかもしれない。
愛して欲しかった。例え、小さなことでも。
でも、愛してくれなかった。
「私はお母さんの知っている世歩玲じゃあないっ、綾乃ですっ!!!」
だから、弱かった自分が精一杯の勇気を振り絞って母親の手を払いのけながらも、身近にあったバックの重さで母親の身体を押しのけてベッドへと体勢を崩していた隙に部屋から逃げ出すように脱兎。
「待ちなさいっ!! 世歩玲っ!!」
母親が動転したように、気ぜわしく部屋から出て腕を掴もうとした。
そのまま握り込むように、腕をとられてぐいと引き寄せられる。
「痛いっ!!」
力を込めてだったのか爪から喰い込んだ腕。
それでも玄関まで移動して扉に手をかけたが玄関のカギが掛かっており、後ろには母親がやってきて弁解をするがそれも頑固として聞くことはない。
所詮の親子ごっこだったのだと、心が冷え切った思いで無視していた母親が果物ナイフを手にしていた。
私はバックを片手に後ろ指で鍵を開けて、母親に背を向ける。
刃物を振るようにじりじりと突き立てるようにしたナイフが、どうしても怖かった。
ズキズキと、痛いとした私が苦痛を母親に訴えるのに、母親は聞く耳を持つことはしない。
玩具でも弄るように宥める母親だから、
「お願いっ、アレは冗談よ。本気にしないで世歩玲」
「違うっ、ならどうして包丁が必要なの? お母さん」
わけのわからない、涙が溢れ出てきて泣いていた私を責め立てる。
突き飛ばされたように母親によって腕にかすり傷だが一撃であったバックで振りそのまま、鍵が開いてドアの外へと腰を押し倒される。
転がったように私は立ち上がり、手が離れて状態から姿勢を維持して身を起こす。
それでも母親の声が玄関外で反響するように怒鳴り声をあげた。
私は脚で走り、母親が追いつけないほど独走した。
片腕の痛みに耐えながらも、それでも母親を振りかえることもしない。だから、追走出来ないと判った母親が泣き崩れていた姿に声をただ背中越しで聞く。
それは、もうこの家には2度と買えることはないだろう。だから、最後も振りかえることはしなかった。
もう、どれくらい歩いたのだろうか。
ふらふらとした私がそのまま倒れるように何処かに横になる。
ああ、そうかと腕に負った傷を対処することができないまま、ゆっくりと視界を閉じた。
意識がそこにあって気が付いたら、お兄さんに抱きかかえられるようにソファに寝そべる形で片腕には包帯。そこは、お兄さんの家だと思うと身体が動かなかった。
ああ、見慣れているなあと思って吃驚してソファから転げ落ちる。
時間は夕方、そして私は何時間寝ていたのだろうか?
いや、寝ていたというか気を失っていたのだかと辺りを見ていた。
「大丈夫か、綾乃」
「お兄さん?」
お兄さんが近くまで来て立ち上がらせて、ソファに再び横になってお兄さんが横へと座る。
二人の時間、僅かな時を分かち合うように傍で私はそのままお兄さんの顔を見てみた。
「玄関に倒れていたのをすごく心配した。もしかしたらって思ったくらいだから」
「ご、ごめんなさい」
だけど、心配されていたのだろうとお兄さんは次の言葉を口にする前に差し出された珈琲。その喉を通す苦さはそれ程でもない。
「おいしい」
「ああ、おいしいな」
だから、珈琲を机に置いて込み上げてきた気持ちを抑えることなんてできなかった。
「泣いちゃいそう、です」
涙を浮かべていた私へとお兄さんがハンカチを渡して、
「うん、たまには泣くことも悪くないな」
そのまま抱きしめられる感触。だから、こんなに温かい気持ちに迎えられるように、
「温かいです」
「ああ、そうか」
確かな証拠として、私は水無月綾乃としてここに居る。
「あ、あの。珈琲おかわりしていいですか?」
「ああ、構わないよ」
そして、私はひと呑みした珈琲カップとミルクが隣同士で添える。
たぶん、そんな時間を過ごしながらも隣いたお兄さんの姿はすこしかわることもない。
「でも、2杯以上はダメ。太るから」
「むぅ、乙女に対して失礼ですよ。お兄さん」
「いや、飲み過ぎには酒も漢方も毒っていうだろう」
そんな兄妹のような関係で、もしかしたらとあの時の気持ちの追及などすることもなかった。
「大丈夫です、砂糖をあまり押さえれば太りません」
「まあ、綾乃が言うなら俺はべつに構わないけど。太っても俺の責任だけはするのじゃないぞ」
「もうっ!!!」
二人で笑い合う。
「くすくす、そうだ綾乃」
「なんですか?」
「もしも足りないものがあったら、何でも言ってくれ。その時は買いたすことだってできるから。別に必要なものにお金をケチるほど貧乏ってわけじゃないからな」
「はい、でも。珈琲は生クリームを入れるとウィンナー珈琲というらしいですからね」
「ウィンナー、もしかしてアレか?」
やはり、あまり珈琲でも知られていないメニューということ。
和対したように、そのコーヒーカップをまるでワイングラスのように音を奏でる。
そこには、大したものをかんがえていたわけでもなかったのにとお兄さんの傍できっと1から作っていくこれから始まる日記を机に書き中途のまま、最後のページへ書き残しながら。