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虹色ブーケよ、ソラ高く  作者: 青崎つむぎ
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「金城悠真、お礼なんかいらないから。えっと、名前は?」

「………水無月です」

 でも、それ以上恥ずかしくて言えなかった。

それでも、彼は細い目つきから優しい顔になる。

伝えた言葉を紡ぐことはない。

 だから、私はこのときに本当の名前を伝えなくてよかったのだろうと思うだけですこ沈んでいた気持ちが底にあった。

「いいさ。でも、水無月ってすごく透き通った感じがするよ。ありがとう」

「い、いえ」

 感謝されるのは私のほうなのに、その人は確かに笑っていた。

それも冷ややかにするわけじゃない、まるで妹に対しての笑い声だ。

「面白くもないですよ、水無月だけだと不思議がる人もいますから」

「いや、べつに俺は正直な子だなって。名乗ることをしなくてもいいなんて考えなかったのか?」

 そういえば、そうだった。

「でも、折角お兄さんに名乗ってもらったのに。あ、あの。お兄さんって呼んでいいですか?」

「ああ、いいよ。じゃあ、えっと」

世歩玲ですって言ったらきっと引かれるのだろうな。

 だけど、私は勇気を振り絞ってこの人にならいいと思ったし、もう笑われても仕方がない。馬鹿にされていることは慣れているのだから。

「世歩玲です。水無月、世歩玲」

「んー、随分難しい名前だな。でも悠真だって漢字で書けば難しいからな、この際改名しよう。そうだな、綾乃でいいかな?」

「えっ」

 名前なんて。今までずっと“世歩玲”だった。

それのに、綾乃という名前を付けてくれた。名前がイヤで仕方がなかったのに。

「ちょっと身勝手すぎたよね。ごめん」

 すると不意に、わけのわからない涙。

驚くお兄さんの姿を他所に、身勝手にも涙が止まらなかった。

私は、世歩玲という名前が嫌で悔しかったのに綾乃って、あやのってこの人は読んでくれる。

 夢にもなんでもない、たった一人自分の名前とは別に呼んでくれる人。

たった、一人でも私を世歩玲ではなく名前がいたのだ。

肉体的苦痛も、精神的苦痛でもない、それは、違った涙だったと思う。

「綾乃、でいいんですか?」

「え、俺はそれで嬉しいけど。さっきも言った通り漢字苦手だから、俺」

 苦笑を交えた笑いと、真面目に泣きだした私。すごく嬉しかった。

たぶん、人生にもう1度もないくらい。だって、名前のせいで苦労ばかりしていたのに。綾乃と呼んでくれる。私はそんな名前がずっと欲しかった。恥ずかしさよりも嬉しさ混じりの涙がこみ上げてきて大粒に変わって、

「えっ、綾乃」

「兄さん。はい、私は水無月綾乃です」


Promenade


 駅員さんにそのあと事情を話して、兄さんが許す限り立ち話が続いている。

駅構内も、何事もなく普段と変わった雰囲気であった数分がまるで過去の産物のように過ぎ去ってサラリーマンの人たちが帰り際から外れて構内の喫煙所で駄々を洩らしていた。

事情が事情だからと、駅員さんがどうやら丸く抑えてくれていたらしく救急車と警察は呼ばれることはない。

 その代わりに、ホストの人たちは自分の足で病院に行くことになったのだがあの強引さと若気の至りとはいえ、合意しての行為だったためなくなくだろう。

お兄さんがやはり不信感をつのらせていた。

 私は、そんな兄さんの質問を答えるだけ、たぶんそれしかできない。

手に持っていたココアが私の気持ちを代弁するかのようにすこし冷めてしまっている。

 それは、お兄さんに対する青筋立てて怒るということではないし私自身が今後の場所についてどうすることもできなかったからただ、俯くだけ。

「高校生?」

「はい、この春から入学しました。それに助けていただき、本当にありがとうございました」

 深々とお礼をして、私はお兄さんに詫びるような気持ちで感謝を伝えていた。

お兄さんは気品よく頭を軽めに下げていたけど、肝心の財布やら制服はまだしもいろいろ走って落としてしまった財布も一緒に探してくれる。

 どうして、そこまでしてくれるのだろうと私は疑問に感じて、

「あ、あの。すみません、鈍間な私のために」

「いや、慈善という言葉がここにはあるように、誰かを救えば自分も救われた気になれるからさ」

 まるで、菩薩のような言葉だ。

それに、自分に救われた気になるということは、キリスト宗派とかでも口ぐちにする言葉に似ている。

「本当に感謝しています、お兄さん」

「そうとしても、家は?」

 ビクリと体が震える。

泊まるいえなんかなくて、何処かの公園でも野宿しようかなと思っていた私。

素直に言えるわけがなくて、

「家って、私の家はアパートですよ?」

 誤魔化してみるのだが、彼は真意をつくように私の頭を小突く。

「ちがう、今日泊まるところだよ」

「ない、です」

 素直に伝えた私が、

「もしよかったら今晩だけ泊めていただけないでしょうか?」

  突拍子もないことをお兄さんに言い放ちもちろん驚かれる。

「えっと、両親は? お母さん心配しないの?」

「母に家追い出されました。もう帰ってくるなって。だけど、だけど」

 言葉にすればするほど、惨めな気分だが駅にいてまた声をかけられたくないし、だからと言って迷惑をかけている自分が後ろめたくて。

ここで否定されれば野宿か、何処か遠いところでも行けばいい。

なのに、

「いいよ。でも、部屋狭いし散らかっているかもしれないけどそれでもいい?」

「構いません。止めていただければ結構です。廊下でもなんでも」

「贅沢とかできないけどいい?」

「もっと構いません、水があれば」

「事情はわかったけど、でも不自由するよ」

「いいです。なんでもいってください。名前を貰った礼は何でもします」

 残りのSuicaを使って、お兄さんの家へと行く。

時間はそんなにかからないし余裕さえない状況が故に、安心感の欠片もそこにはなかった。

 もし、お兄ちゃんが居ればお兄さんみたいに守ってくれたのかな?

破れた制服を掴んで、お兄さんによたれかかる。

折れそうな心。すこし、痙攣するように震えが止まらなかった。

お節介になるといよりは、その迷惑がかかることが。

「そうか。俺は一人暮らしだけど、もしも何か欲しいのがあったら言ってくれな」

「はい。大丈夫です」

 電車がホームからやってきて、行列と共に乗り込む。

ぎゅうぎゅうにされる。だけど、お兄さんが受け止めるようにしっかりキャッチしてくれているから。

私はそっとお兄さんに肩に手をまわして抱きついていた。

 触れる乳房とか、多分無意識で。

それ以上、意識してやっているわけじゃないけどしがみつく。

 腰まで伸びた髪が弄られるのは悪くない。

周りから見れば地毛というのには不可思議な色をしていたからか、目立っていたのには違いない。

お兄さんとは歳の差よりも、ずっと振る舞いが明るく本来の自分がこうして誰かとそばに入れることがユメのようだった。

「綾乃。池袋を出れば、乗り換えるけどいい?」

「はい、大丈夫です」

 綾乃、あやの、アヤノ……。何回も繰り返す。それがお兄さんに聞こえたのか、

「すっかりお気に入りだね」

 上機嫌に私は頷いた。

 家について、到着した部屋はさほど汚さなどなくてそれより綺麗に整理された空間と一部屋とはいえ、充分に隅々掃除されていて私は圧倒されるばかり。

 なにしろマンションの一部屋。

「えっと、布団とか一応二組あるし。これがカギね」

 手渡される鍵。優しくされることに慣れてないせいか、ぎこちなく感謝の言葉を並べて床に腰を落とした。

すり切れた制服はとりあえず、事務室から新しい服を貰っておこう。

 ここからだと、電車賃が必要になるが不便という言葉は呑み込む。

「あの、お礼してもいいですか?」

「? ん、なんでもお好きに」

 だって、できることはこれくらいで、120円じゃあジュースしか買えないわけだしそれに私はまだ。

まるで反したことでもしたわけでもなく、せめてものお礼は身体くらいしかなくて制服に手をかける。

外れた衣服、そこにはワイシャツと自分の下着姿。

 意味は留学生でもわかっていたと思うし、私がどういう意味かも理解していたつもりだ。

「優しく、してください。私の初めてですから、どうすればいいかもわかりません。でも、一生懸命頑張ります。こんな私でも、お礼できますか?」

 擦れた声に私は自分のスカートを降ろして中に見える下着も、ブラジャーもきっとこの人なら優しくしてくれる。

第一ボタンで留まっていた制服からリボンが解けて、まるで幼稚な子供のようだ。

でも、この方法でしかもう彼にお礼することなんてできない。

「ちがうっ、」

 お兄さんは首を振り、そして私をそのまま、正面から抱きしめた。

まるで、家族のようにしてくれるように。温かくて、零れていた気持ちが目白を熱くさせる。

「俺は、こんなことのために綾乃を助けたわけじゃないっ!!!」

「えっ、」

「俺は、ただ、誰でも良かった。老人だろうと、身体目的とか君の処女が目的なんかじゃない。俺は、ただ、目の前に困っていた人が偶々綾乃だったからだ」

「私は……世歩玲です。名前の通り、セックスフレンドです」

「違う、綾乃は世歩玲なんかじゃない」

「だってっ!! 私にはこれくらいしか」

「だからって制服脱いで見知らぬ男と抱くのか? ダメだよ。綾乃は……そんなことしたら俺が許さない」

 成人紳士のように、腕をそっと掴んでお兄さんの真剣な顔。

私は、私のできることってもうこれくらいしかなくて、それもだめだったらお礼なんてできない。

「だって、助けてもらって それに泊めてもらって他にできることなんて」

「あるさ。だから身体を売るんじゃない。例えば住み込みで衣食住の手伝いとか。綾乃は素直すぎる。もっと頭を柔らかく考えること」

 ぼんやりとする私が唯一つ覚えていたことは、予め冷蔵庫で冷やされた缶珈琲を頬に触れた感触がすごく鮮やかだ。

崩れた衣服と対象に、どうして冷えていたのにあんなに熱く感じたのだろう。


 お礼は、何をすればいいのだろうと。

でも、お兄さんの顔を見てすこしにやけ笑いをしてなんとなくしなければならないことを居候させてもらって一晩のお礼はすこし変わっていた。

朝食の準備という。昨晩にしてはすごく釣り合わないような気がしてならない。

でも、キムお兄ちゃんはすごく幸せそうな顔を浮かべて

「ありがとう。お陰で朝弱いからね」

 鮭を箸でつまんで私はお兄さんの食べる姿とみて、お味噌汁をすする。

 ほんのすこししょっぱい。

「でも……お兄さんのお礼ってこんなんでいいんですか?」

「ああ、いいよ。むしろずっといてほしいよ」

 ご飯を片手に平らげた姿は豪快だった。

私も真似をしてみるけど、ご飯が喉に詰まって大変なものそんなとても他の人から見れば、小さすぎること。だけど、そんな中を二人で笑い合う

 そう、多分仲良くなることに疑問もなかった。

時間よりも、傍にいて……居なくてもたぶん繋がっているって不思議にも感じることができた。

 たった一つの魔法の言葉があるなら、きっとその言葉によって方向性が決まっていたから。

綾乃という名前を呼んでくれる人がいる。

 私はそれだけでも祝福のように感じてくれる気がした。

「思い切って名無しだった部分に綾乃と自分で上書きしていくの」

 それだけで勇気がでた。

学校からはすこし遠くなってしまったけど、そんなことは無縁のように気分は定期券入れの裏側に、そっと水無月綾乃と名前を添えて。


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