9:百舌鳥は踊る
静けさに包まれた空の上を、這うように飛んでいる、僕。
遥か眼下に、波立つ海が見渡せた。海は、まるで一つの生命体の如く常にうねり、動いている。潮の流れは止まることを知らない。僕が死んだ後も、ずっと、ずっと続いていくんだ。
簡単な偵察任務。僕のアヴェルラ1機だけが出動し、国境付近の警備にあたる。たったそれだけの、至極簡単な任務だ。
「たまにおかしくなる時があるんだ。僕の中に僕がもう一人いるんだ。」
独り言、くだらない、誰も聞いていない独り言。
自堕落に続いていく毎日。戦争。この戦争は、所詮、僕らの知らない誰かの手の平の上で起きているごっこに過ぎない。そう知った。カルーが教えてくれた。
終わって欲しくないんだ、それでも。僕は、空を飛ぶことに半ば依存しかけている。空を奪われたら、僕は狂人になってしまうかもしれない。
そんなのは嫌だ。嫌だ、どっちなんだ、僕は。やっとこの孤独から抜け出すチャンスを掴みかけた、っていうのに_
僕の考え事は、TEWSの警告音で中断された。
すぐさま計器盤の右上隅、表示ユニットに目を向ける僕。アヴェルラに向けて照射されたレーダの詳細情報を頭に入れた。振り向く、後方確認。肉眼では敵を目視できなかった。
「Two, spike eight o'clock.(2番機、八時方向から探知信号検知)」
無線、報告。
まずい。後ろをとられている。冷や汗が僕の脇の下をするりと通り過ぎた。撃ってくるか。
アヴェルラ、アヴェルラは一撃離脱に特化した機である。
軍は、撃墜の可能性をできるだけ薄めるためという理由で、機関砲を用いた近接格闘戦はなるべく避けろとの命令を出している。
捜索モード、ECM起動。
ジャミング開始。広帯域雑音妨害でノイズを放射する。
はっはっは、と息をつく。
いる、機械が、そこにいると示している。だからいるんだ。例え僕からは見えないとしても、確実にそれは存在する。
動きのないまま、数分が経過した。
まだ探知はされていないようだ。今この瞬間を、どこいるのか分からない_本当にいるのかさえ分からないパイロットも体感している。相手の気持ちになって考えてみよう。海上で見つけた1機。索敵レーダを照射した所、ジャミングで返してきた。僕が相手なら、どう出る_
つかの間だった。
RWS、レーダー警戒装置のアラームが吠える。吹き出す汗。僕は額を拭おうと手を伸ばしたが、ヘルメットが邪魔で手が届かないことに気付いた。
ロックオンされた。
その事実が、更に僕を焦らせる。ミサイル警報装置が探知、来る。赤外線誘導ミサイルだ。
訓練で教わったことを思い出す。レーダー誘導ミサイルはチャフ、赤外線誘導ミサイルはフレアでしか妨害できない。落ち着くんだ。ここで単純なミスを犯す訳にはいかない。
僕は意を決し、フレアを撒いた。
アヴェルラの前方、アーチ状にぱっと開いて飛散する白い蛇。尾を曳いて、うねりながら後方へと落下していく。
間髪を入れずにループ、反転。
さっき撒いたばかりのフレアが遥か後方に見えた。
間を置く。
反転。
前方、アヴェルラの腹をかすめてミサイルが飛び去った所だった。
肝を冷やした。
ひとまず息をつく僕。
減速、斜め後方にミサイルを撃った主の姿が垣間見えた。
「Two, Tally bandit seven o'clock.(2番機、七時方向に敵を目視確認)」
グラン国の汎用戦闘機、ヘラルド_水平飛行しながら様子を伺っている。
落ち着け、落ち着け。
たかが不意打ちをくらったくらいで、何を焦っているんだ、僕は。相手はヘラルドだ。勝てる。本気でやれば勝てる相手だ、きっと。
エルロン・ロール。
ヘラルドは僕の後ろをとらえて離さない。
進行方向は、基地とは逆、真っ直ぐグラン国へと向いている。
これ以上離れるのはまずい。いちかばちか、反転して離脱してみるか。
しかし、それらしい動きを見せてはいけない。
揺さぶりをかけることにした。僕は汗のにじむ手で操縦桿を握り、前に押し倒した。
スパイラル・ダイブ、急降下。
直線で並んだ。すかさず減速。ヘラルドがオーバシュート。
ピッチ角、-30。
ヘラルドは慌ててシャンデルし、高度を上げてきた。
僕もループした。背面姿勢からロール、インメルマンターン。ヘラルドの後ろに喰らい付いた。
ヘラルドはバレルロールで僕を振りにかかった。
きつい軌道を描いて飛ぶヘラルド。アヴェルラの巨体に置いかけられる様は、まるで小鳥から逃れようとする虫のようだった。
螺旋飛行、難なく読み通した。
ストールし、ヘラルドとの距離をとる。水平に並んだ。好機を逃さず、ボタンに手を伸ばす。
撃った。
と、同時にスプリットS、180度旋回するヘラルド。ヘッドオンだ。真っ向から勝負を仕掛けてくるつもりらしい。
すれ違い様、相互に撃ちまくる。
きゅん、きゅんという激しい金属音、機銃声。すり抜けた刹那、宙返りした。
背面飛行。
高度がかなり下がっている。波立つ海面が間近に迫っていた。
繰り返しシザース。蛇行するヘラルドの後を追う。
気の抜けない勝負だった。
相手は慎重かつ、かなり執念深い性格らしい。何とかして僕を前に出そうと、急旋回を続けている。
キャノピの向こう、乾いた空。何故僕らは戦っているのだろう。同じ星に生まれ、親に育てられ、少年と青年の間くらいの歳まで成長して、そして今、殺し合っている。
でも、と僕は思う。
もう彼とは友達になれないだろうな。だって僕は、彼に、この手で機銃を見舞ったんだ。今更仲直りなんて、出来っこない。
この空で相まみえた瞬間から、僕らは赤の他人じゃなくなる。
そこにあるのは、明確な殺意。相手を殺そうと思う気持ち。それだけだ。
逃げてしまおうか、このまま。オープンキャンパスなんて、見学なんて捨て置いて、このまま逃げて逃げて、その先に何がある、っていうんだ?
ヘラルドが右に大きく旋回した。ハイGヨーヨーで後方に回り込み、数発撃った。
当たったのかどうか、判断できない。トリムを整え、減速。
ロール。
僕に合わせてローヨーヨー、下方につくヘラルド。
さらに降下、海面すれすれを水平飛行。ヘラルドも後に続く。
地表近くでバランスをとりながら飛ぶのは、至難の技だ。これができるのは、基地の中でも僕くらいのものだろう。
しばらく後、後方からどぷん、と音が響き、水しぶきがアヴェルラに降りかかった。
僕はすぐさま急上昇、機首を下げ、水平飛行に戻した。
後ろを振り返れば、勢い余って水面に着水したヘラルドが、波のようなスプラッシュをあげながら無茶苦茶な機動を繰り返している所だった。何となく、溺れかけている人間を連想した。
「Two, Splash my bandit.(2番機、目標撃墜)」
報告を終えた。
どっと疲れた気分だった。アヴェルラとヘラルド、その性能差をものともせず果敢に立ち向かってきたパイロットには、賞賛を送りたいくらいだった。
そのグラン国のパイロットが生きているかどうか_それは僕には判断できない。水面へ墜落した機に乗っていたパイロットの生存率は、ひどく曖昧なものなのだ。半々、といった所だろうか。少なくとも、僕に判断できることではない。
ふらふらする。眩暈のようだ。
行くしかないんだ。明日、駅で待ち合わせ。それから半日余りを大学見学に費やす。吉川は僕を守ってくれるんだろうか、不安だ。加来、加来も何を考えているかわかったもんじゃない。
真っ直ぐ飛ぶ。
帰投、帰投しなきゃいけない。長く戦い過ぎてしまった。燃料はあと僅かしかない。帰りの分には足りるのだろうけど、やはり心配だ。
心配、心配だ。そもそも僕は何をすればいいんだ。3人の後ろにくっついて、馬鹿みたいにいつものようなしかめっ面でいろってのか。
喋らない奴と一緒にいて、楽しい訳がない。
皆、本心ではそう思ってるんだ。皆分かってるんだ。でも、それをいうのを恐れている。それをいってしまったら、本当に僕のような人たちの立場がなくなってしまうから。
だからそうなんだ。
先生たちだって皆、分かってはいるけど、敢えていわないようにしている。それって、酷いことだ。いっそ面と向かっていってくれた方がまだましだ。
帰るだけ、あとは帰るだけだ。
いつも通り滑走路に着陸し、フラップを降り、対Gスーツを脱ぎ、それから自分の部屋へ戻る。いつも通りの毎日を壊されたくない。
僕はずっと、変わることを恐れてたんだ。孤独の中にいる自分、自分が誰なのか分からなくなる恐怖に、常に怯えていた。
だから、見ないふりをし続けていた。幻想の中の自分と向き合うのが怖かった。自分が作り出してしまったもう一人の自分、その後片付けを先回しにし続けた。
その償いを、僕自身が責任を持ってしなければならない。
どこからか、つめたいオルゴールの音色が聞こえてきた。
深い霧の向こうに、うっすらとぼやける人影が伺える。手、腕が伸びてきた。掴まれる、ぐい、と力を入れられ、引っ張られた。僕を向こう側に引きずり込もうとしているらしい。
誰だ、誰なんだ、こいつは。いや、僕は知っている。そうだ、こいつの名は………。
「義嗣、僕だ。レルムだ。」