8:たそがれ
それからは、僕がぼやぼやしている内にどんどん時間が過ぎていった。
僕は、いとも簡単に手続きを通過し、晴れてアヴェルラのパイロットとなった。皆の驚き、僕に対する嫉妬の眼差し。もしもエリクが生きていたなら、憎まれ口の一つでも叩いたものだろう。
出撃の回数は、他の新兵たちよりも遥かに少なかった。
僕には専用の個室が用意され、その小さな小窓から、華々しく滑走路から離陸する戦闘機たちを見送る日々が続いた。退屈になってしまったものだ。仲間たちと共に辛い訓練に勤しんでいた時の方が、まだましだ。そう思った。
帰ってくる機と、帰ってこない機がある。
簡単な違いだ。生き残った者と、死んだ者。何がその差を分けたのか、僕は知らない。この世界は知らないことだらけだ。
アヴェルラ。
最初に乗った時は、何となく落ち着かない気分だったものだが、2回、3回と出撃を続ける内に、段々と慣れてきた。僕の意思をスムーズに感じ取り、動いてくれる。飛んでいる間、僕はアヴェルラが体の一部になったような気分だった。
カルーが僕の部屋を訪ねてきたのは、そんな矢先だった。僕はベッドに腰掛けて雑誌に目を通していた所だった。彼は恐る恐るといった手付きでドアを閉めた後、僕の隣に座って、気さくに話しかけてくれた。
「どうだ、レルム。元気してるか?」
「うん、まあね。」
「そうか、ならよかった。」
当たり障りない会話。以前のカルーにこもっていた親しみ、みたいなものは、今のカルーからはあまり感じられなかった。まるで、下手な役者の芝居を見ているようだ。
「基地は、お前の噂で持ち切りだよ。アヴェルラに乗る新人、って具合にな。」
「カルーはどう思ってる?」
一瞬、間。
カルーが口を開く。
「喜ばしいことだ。俺はそう思ってる。」
「ジーノは嬉しくないんだろうな。」
「なぜ、そう思う?」
「だって、ジーノは僕のことが嫌いだから。」
今度の間は長かった。
単純に、カルーが僕との話し方を忘れているだけなのかもしれない。そう思った。
「ジーノはそんなこと思ってないよ。レルム、お前は、物事を判断するのが早すぎるんだ。もっと、自分なりに考えを煮詰めて、それで、たまには他人の意見なんかも取り入れて、ゆっくり考えてから結論を出せばいいじゃないか。何をそんなに、急ぐ必要があるんだ。お願いだから、もっと、他人を信じてくれ。」
「ごめん、カルー。」
「いや、いいよ、別に。」
カルーの言葉を、何度も心の中で反芻した。
信じる。他人を、信じる。僕は今まで信じていなかったのか。
「あぁ、もう、……。本題に入る。よく聞いてくれ。」
「うん。」
「ある会話を盗み聞きした。この内容が外に出れば、この国だけでなく世界中を揺るがす大騒動が起こるだろう。それくらいの、軍事機密だ。」
「うん。」
カルーの表情は真剣だった。
「で、だ。まぁ、その……。レルム、お前はこの戦争の発端となった出来事を知ってるか。」
「グラン国が侵攻してきたのが始まりだって教わった、けど。」
「あぁ、そうだ。公ではそういうことになってる。」
「公?」
僕は首をかしげた。
「俺たちは何も分かってなかったんだ。ただ、目の前に提示されたものを見て、覚えて、学習して、それが真実だと思い込む。いいか、レルム。これは戦争なんかじゃない。全て、最初から仕組まれていたビジネスプランの一過程に過ぎないんだ。」
カルーは、語尾を荒げてそういった。
僕の反応。その時僕がどんな顔をしていたのかは、カルーにしか分からない。
「そういうことだ。両国が争うことで、富を得る奴らが存在するんだ。この国はグラン国と秘密裏に協定を結んで、もう10年も戦争ごっこを繰り返してる。たった、それだけだ。それだけのために、いくつの命が犠牲になったか……。」
怒りの滲んだ口調だった。
僕は言葉を探したが、今の状況に適している一言はとても思いつきそうになかった。僕が黙っていると、カルーはさらに言葉を続けた。
「レルム、お前がその座についたのも、全て上層部の差し金だ。やつら、アヴェルラ型戦闘機を国外に売り出すための広告塔としてレルムを起用するつもりなんだ。とことん腐ってやがるぜ、全く。」
「…………カルーはこれからどうするつもりなの?」
「この事実をマスコミにリークする。国民全員が騙されていたとなれば、流石に黙っちゃおけないだろう。レルム、お前は上に顔が効く。協力してくれないか。」
沈黙。
重苦しい間の後に、僕は唾で湿った口を開いた。
「もし戦争が終わったら、僕はもう飛べなくなるんだろ。」
「えっ?」
「嫌だな、それは。」
「まだ、そう決まった訳じゃない。なんなら個人で自家用飛行機でも買えばいいじゃないか。名誉パイロットは羽振りもいいんだろ。」
「戦闘機じゃなきゃ駄目なんだ。いくら紛い物だろうとも、僕にとって、この戦争は必要だ。」
そういって、寝床についてしまった。
僕はここにいたい。空にいたい。孤独から抜け出して、その先へ行きたいんだ。
「レルム_」
カルー。
何かいいかけたが、僕の耳には届かなかった。
鳴り響く着信音。
グループ内では、オープンキャンパスについての情報交換や雑談が行われていた。吉川が気を回して僕のことを紹介してくれたが、それ以降僕が会話に加わることはなかった。
絶え間なく続くトーク、着信。内輪ノリ。
ひどい疎外感の中、雨の降り続く真っ黒な空を見上げた。
飛び出したい。
こんな所蹴破って、別の場所へ行きたい。僕には難しい、ここで生きていくには障害が多すぎるんだ。
吉川のような奴もいる。僕に、純粋な好意から僕に手を差し伸べてくれた吉川、そんな人は数少ないのだろう。僕は、路上に打ち捨てられたゴミ切れのように、くすんで、破けて、どこからかの風に運ばれて飛んで行ってしまう。
孤独は、いつでも僕を包んでいる。孤独があるから、こうやって自分自身を見つめ直して対話できる。孤独の中に身を置くことは、決して悪いことではないのかもしれない。
そうは思っていても、無意識に人との繋がりを求めてしまう。それが人間で、たよりない、僕という一人の人間だ。
似たり寄ったり、皆が皆同じことを喋る。
戦争がなんだっていうんだ。僕は飛べさえすればいいんだ。国がどうだなんて、しったこっちゃない。誰のためでもなく、飛びたい。
自分勝手なのか、それは。
ラックに並ぶプラモデルの森。
何度も何度も飛んできた。僕が空に執着する理由なんて、誰もわからない、僕にもわからない。
オープンキャンパス、憂鬱。吉川、隅井、加来。吉川は事情をどう説明したのだろう。示し合せて、皆で気を使って僕を引き立ててくれるんだろうか。
いや、考え過ぎだ。
そもそも、そこまで吉川を信用する理由は何だ。全部が全部騙されてたんだとしたら、どうだ。僕は間抜けな操り人形、クラスの皆の手の平で転がされているに過ぎない、哀れで、醜く、馬鹿で、どうしようもない奴だ。
人を信じたことがあるだろうか。この短い人生の中で、一度でもあっただろうか。それを証明できる人は果たしているのか。いない、いないに違いない。
人は怖いものだ。
僕も人だけれど、ちょっとしたことで人間の、深い深淵、内面に触れてしまう時がある。そういう時に、怖いと思うんだ。人はそこに触れられるのを恐れている。自分を見透かされるのを恐れている。そういう意味じゃ、僕と他の人とは大して変わらないのかもしれない。僕は極度に恐れているだけなんだ。
誰がこの孤独を望んだんだ。
僕か、僕自身か。僕と他の人とを分け隔てるもの、って何なんだ。あれが僕じゃない、って何で言い切れるんだ。全部全部の人間に自我があって、それぞれの判断で動いてるんだ。そりゃ衝突だってするだろう。
孤独の中は真っ暗でどこか暖かい、まるで母親の胎の中のようだ。守られているんだ。そこから抜け出せない、哀れな者たち。
ふらふら漂う僕。
_ああ、恐ろしいことです。それは本当に恐ろしいことなのです。自分が侵蝕されていく_それも自分になんて、そんな恐ろしいことはありません。あなたは弱い、あなたの自我は弱いのです。自分をしっかり持たないと、飛ばされてしまうほどに弱い、そんなあなたは、今、ここにいる。それだけは忘れないでください。