2:おんぼろ
玄関口を通って、階段を登る。踊り場、階段。登り切った。僕と同じく黒い制服を着た学生たちが、そこかしこを歩き回っている。僕は教室に入った。席に着いているのは、まだ数人だった。喧騒の横を通り過ぎ、前から四番目の椅子に着席、僕の机。
皆は何か話しているようだが、僕の耳には入らない。白いスマホの画面をスワイプし、いつもの情報欄をチェックしていく。一通り更新情報を見終えた所で、顔を上げた。既に半数以上の生徒達が各々の席に着いていた。騒がしくなるクラス。僕はスマホをポケットに滑り込ませ、通学鞄から今日使う参考書の類を取り出し始めた。
筆箱、A5のノート。
一通り机の上に用具を出し終え、することがなくなった。またポケットに手を伸ばし、スマホを掴みとる。電源を入れ、今度はゲームの画面に移った。すいすいとタッチ、新着アイテム欄に届いたプレゼントを回収していく。僕はこのゲーム内では、いわゆる中級者といった所だ。努力_課金次第では更に高みへ登ることもできるが、僕はあえてこのポジションに甘んじている。
退屈な時間は中々後ろへと過ぎ去ってくれない。一秒一秒の責め苦を噛み締めて耐えながら前へ進むしかないんだ。僕の孤独な戦いは、きっとこれからも続くのだろう。終わりなんて、そんなものはない。ただ無心に、感情を捨て、はいつくばってでも皆の後ろに付いて行くしかない。
誰が決めたかなんて、そんなの知らない。
ただ僕はそれに従うしかない、そう、そんな無力な人間だ。
朝のHRが終わった。
急に、騒がしく慌しくなるクラス。次の授業、次の授業は大学のオープンキャンパス見学、その準備。先生は、班を組んでグループで出向く、というようなことを言っていた。大ピンチ、絶体絶命。僕はもう死んでしまおうかと思った。こんなことしなくてもいいじゃないかと、嘆く。心の中で。僕に何の恨みがあるのだ、おかしい、間違ってるんだ、絶対に。世界は僕に厳し過ぎるんだ。
しかし時間は待ってくれない。
1時間目の開始を告げるチャイム。どこからか鳴り響き、生徒達が椅子を引く音がそこかしこの教室でがたがたと鳴った。来ない、先生はまだ来ない。
カルー達が寝静まった深夜、僕はこっそり部屋を抜け出した。基地の内部構造は既に頭に入れてある。廊下を渡り、階段を下り、地下の格納庫へと辿り着いた。
壮観。
銀色に鈍く輝く数十機のエスモが隙間なく並べられている。僕は手前にあった1機に近付き、コクピットの表面をさらりと撫でた。旧エスモ。グラン国との戦いがまだ最初期にあった頃に使われていた型式だ。現在は、燃費の悪さや、格闘性能が新型に比べて劣る、との理由で出撃することは稀になっている。
この旧エスモは、そんなエスモ機の中でも一番に作られた、いわば試作機だった。一体どこにこんな在庫を隠し持っていたのかは気になるところだが、詮索しても仕方ないだろう。
僕は明日これに乗り、空へと旅立つのだ。
グラン国の戦闘機と空で交え、相手のキャノピに弾丸を撃ち込む。こいつらは、今はこんなに大人しくしているが、空に出ればその素顔を垣間見ることができる。獣だ。獲物を追い求めて、血走った眼で空を駆けずる獣。
黒い煙を抱いて墜落していく敵機。
そんな実録映像を、教習で何度も見せられた。数か月に及んだ飛行訓練での、僕の腕前。長官は口々に僕のことを誉め立てた。上手い、素晴らしい、レルムは我が空軍の次期エースパイロットだと、そう言われた。けれでも、どうも僕は実感が湧かない。まるで、他人の手柄を代わりに褒め立てられているようだった。全てが僕には見合っていない。そうだ、カルーみたいなリーダーシップをとれる奴が、この才能を持って生まれてくるべきだったのだ。
エスモのコクピット。
そのガラスに、僕の華奢な顔立ちが移り込んでいた。
鳥、飛ぶ。
夜空を飛び回る。鳥が好きだった。飛んでいる鳥をみかけては写真を撮っていたので、カメラ少年などとあだ名をつけられたりもした。飛んでいる鳥は美しい。その動作には、無駄な動きなど一切含まれていない。人間が生きるのに科せられる柵、そんなもの、鳥にはない。
だから飛行機に乗りたい。そう思った。
人間は機械の力を借りてようやく、鳥と対等に空を飛ぶことができる。哀れな人間。一生を、地に足をつけて暮らす。でも僕は違う。飛ぶことができる。僕の翼、僕の翼は飛行機だ。
そろそろ頃合かな、と思った。開け放った窓をぴっちりと閉め、カーテンをかける。寝顔。カルーの寝顔、エリクの寝顔、ジーノの寝顔、ランベルトの寝顔。皆どんな夢をみているのだろうか。わからない。それは本人にしかわからないことだ。
僕も寝ようと思った。二段ベッドの、上の段。登る。マットレスに寝転がり、目を閉じた。