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10/12

10:邂逅

 

 外に出なければならない。

自転車に乗り、駅に自転車を停め、鍵をかけ、そして改札を抜ける。3人は駅で待ち合わせ、とだけいっていたが、どこに行けばいいのだろうか。ホームか、それとも駅舎内か、ベンチか。

 僕一人が早く行き過ぎていたら、変な風に思われるだろうか。

遅く行った方がいいのだろうか。3人は一緒に来るのか。吉川ならまだいいとして、一人で待っている時隅井や加来に出会ったら、どうすればいいのだろう。何といえばいいのだろう。3人が仲良く話している時にふらりと僕がやってきたら、どんな顔をするだろうか。


 果てることを知らない不安。

僕の中で渦巻く黒い雲。ここで踏み止まるべきなのか、僕は。


 それじゃ一生このままじゃないか。

僕にだって、人並みに生きる権利はある、あるんだ。 

 

 レルム、すまない。僕は行くよ。そして、僕だって一人の人間だってことを証明するんだ。


 僕は布団を捲り上げ、ベッドから身を起こした。

私服、そうだ、私服を着なければならない。制服で行く奴なんていないだろう。のそのそ動き、押し入れへ。

 パジャマを脱ぎ、ハンガーに掛かったシャツを着た。えりを整え、ジーンズ、薄手のトレーナーを上に着込む。口ずさみながら、バッグを手に取り、一階へ。


「義嗣、間に合うの?時間。」


「うん、間に合うよ、きっと。」


 母親から弁当を受け取った。

バッグのファスナーを開け、弁当を入れる。ファスナーを閉めた。ニュース。テレビにはニュースが映っている。


「今日、午後から雨だってね。傘、折りたたみ傘持っていきなさいよ。」


「もう入れてある。」


 僕はそういった。

テレビの画面、ニュースキャスターが天気予報をしている。


「行って、きます。」


「いってらっしゃい。」


 ばたん、ドアの閉まる音。

僕は庭に出た。緑の生垣に覆われた芝を越え、ガレージに停められた自転車に腰掛ける。


「行くよ、飛べる。きっと飛べるよ。」


 足を動かす。

ペダル、ペダルを踏み、軽快に走り出した。

 黄金色に輝く田んぼ。さざ波が立つように風に靡いている。田んぼを突っ切る道、その道をひた走る僕。世界なんて、単純なもんなんだ。どうしようもなく広くて、複雑で、わからないことだらけだけど、そんな風に考える必要なんてなかったんだ。どうせ人間の短い一生では、世界を理解する、なんてことは到底できっこない。


 僕の周り、僕の視野にあるもの、それが世界。世界は変えられる。僕が変わろうと思えば、どんな風にだって、幾らでも変えられるんだ。

 うじうじしてたって、始まらない。自分が変わろうと思わなきゃ、世界だって動いてはくれないんだ。ここは僕だけの世界、僕がいるから世界があって、世界があるから僕があるんだ。


 段々と町の中心部に近付いていく。

田んぼはいつの間にか途切れ、代わりに舗装された土地に並び立つ建物の群が視野に入ってきた。


「レルム、僕、ずっと憧れてたんだよ。レルムみたいに、皆の憧れの存在で、強くて、決して威張ったりしない。何物にも縛られずに、ただ自分のためだけに雲海を舞うレルム。僕も、レルムみたいになりたい。そう、思ってた。」


 赤信号。

自転車を停め、足を地につけた。


 駅は間近に迫っている。

僕らと同じく見学に行くと思われる学生の姿もちらほら伺えた。無意識に、反射的に、吉川の姿を目で追った。いない、いなかった。

 信号はまだ赤だ。

臆するな、一体、何のためにここまで来たと思ってるんだ。


 信号が変わらないことを、心のどこかで祈っているのかもしれない。


 いるのか、いないのか、どっちなんだ。

結局、誰かに決めて欲しい、ってことなんだ。


 自分で決めるのが怖い。後で後悔したくない。だから、責任を他人にぽん、と放り投げて、自分は知らないふりをする。


 駄目なんだよ、それじゃ。


 信号、青。

僕は横断歩道を渡った。駅前。がやがや、人ごみの中、3人の姿があった。皆おしゃれな服装をしていた。途端に、自分のみてくれに対しての激しい、突発的なコンプレックスが僕を襲った。

 吉川、隅井、加来。

隅井が僕に気付いたようだった。


 目が合いかけた。

咄嗟に視線を外した。もう、駄目だと思った。こうなると駄目だ。やっぱり無理だったんだ。自分程に自分のことをわかっている人間はいない。


 僕は、僕がどんな行動に出るか、すぐに察することができた。

くるり、と回れ右。僕は勢いよくコンクリを蹴り、唖然としている3人を尻目に、全速力で元来た道を戻り始めた。




















「悪いな、レルム。お前の日記、見させてもらったよ。」


 いつものように着陸、アヴェルラを格納庫にしまい入れ、基地への順路を歩んでいた僕を待ち構えていたカルー、ジーノ、ランベルト。そのカルーから発せられた言葉。一言一句、反芻した。


「え、どういうこと?」


「ごめんね、レルム。でも、こうするしかなかったんだ。僕らだって、手荒な真似はしたくないんだよ。」


 ランベルトが、申し訳なさそうな、居心地の悪そうな調子でいった。


「日記、って、僕が机に入れておいた、あれ?」


「ああ、そうだ。」


 ジーノが低い声でいった。

ジーノと目を合わせるのは、何となく怖かった。僕は目を逸らした。


「レルム、お前がどんな境遇でこれを書き綴ったのか、俺たちは知らない。」


 カルーは、勿体ぶりながら僕の日記ノートを開いた。

びっしりと書き込まれた肉筆。ページは、ノートの中程までさしかかっている。


「この、文面に登場するヨシツグという人物、これは誰だ。」


「えっ。」


「正直、お前の部屋を漁っている最中にこれ(、、)を見つけた時は、驚くというよりも、むしろ恐怖の感情の方が強かった。お前の日記の筈なのに、全く別の世界の、別の人物の動向がリアルに書き連ねてあるんだからな。レルム、お前は白痴なのかと疑ってしまったくらいだ。」


「うん、そうなんだ。」


 僕は、自分でも不思議なくらいに落ち着き払っていた。

彼らにとっては、それがますます不気味に思えたようで、3人揃って気味の悪そうな表情を見せていた。


「なぁ、教えてくれ。レルム。一体、誰なんだこいつは。」


 僕は、黙って沈みゆく夕日に目を向けた。

3人に対する怒りのような感情は、湧いてこなかった。お人よしぶりたい訳ではない。何となく、毛恥ずかしかったのだ。


「ヨシツグは、僕だ。僕が、孤独を求めて僕の中に作り出したもう一人の僕。姿こそ見えないが、彼は確かにそこに存在している。」


 もう、どうなってもいいやという、投げやりな気分だった。怒りの代わりにふつふつと込みあげてくる感情_恥だ。自分の心の、一番奥の所を他人に知られてしまった。もっと難しい場所に隠しておけばよかった、と意味の無い後悔が頭の中を過る。


「つまり、その、二重人格、って奴か?」


「いや、それとはわけが違う。ヨシツグと僕とでは、完全に意識が離別しているんだ。ヨシツグは、最初は僕の妄想が作り出した、不確定な存在に過ぎなかった。でも、僕が成長していくにつれて、段々とヨシツグ自身が自我意識を持ち始めたんだ。僕はヨシツグを介してあっち(、、、)の世界を垣間見ることができるし、これは、彼自身の要望なんだけど、ヨシツグは僕の目を通して空を飛ぶこともできる。」


 長く喋っていたので、少し疲れた。

僕は右腕で抱えていたヘルメットを芝生の上に置き、息をついた。


「でも、最近になってヨシツグが頻繁に僕の意識に出入りするようになった。ヨシツグは孤独から抜け出そうとしている。彼の世界もそれに順応して、彼を迎え入れようとしている。これは、ヨシツグが僕と一体化する予兆なんだ。僕はそう思ってる。」


 風が吹いた。黒くざわめく木々。空は真っ赤に滲んでいる。僕らの顔にも影が落ちる。


「そういうことだよ。もう分かっただろ。」


 いい残し、立ち去ろうとする僕。

カルーがそれを止めた。


「待ってくれ、レルム。」


 後ろを振り返る。

背に夕日を浴びる、3つの黒い影。真ん中の影が、手に何かを握り締めているのが目に入った。


「レルム、いったろ。こっちだって、手荒な真似はしたくないんだ。」


 こめかみに皺を寄せたジーノが、拳銃を構えていた。


「僕に何をさせたいんだ。」


「簡単なことだ。俺たちは、決定的な証拠を掴んだ。それを今から、国中にばら撒く。これは正義だ。エリクだって、これを望んでた筈だ。」


 間、静寂。


「僕をスキャンダルで脅すつもりだった。そういうこと、だよね。」


 僕はそういった。

もはや、誰が喋っているのか判断が付かなかった。ヨシツグ、いや、僕だ。今の僕はレルム、レルムだ。


「それでも応じないようなので、実力行使に移らせてもらった。」


 カルーがジーノの言葉を繋いだ。

ランベルトは、陰鬱そうな顔でその場に立ち尽くしている。


「当初の計画上では、もっと大勢の兵たちにも真実を伝え、協力してもらう予定だった。だが、そうはいかなくなってしまった。俺たちは今まさに、追われている最中なんだ。今出撃要請が出てるのはアヴェルラ2号機だけなんだ。敵の目を誤魔化すためにも、今すぐ飛び立つ必要がある。」


「いいよ、やるよ。急いでるんだろ。」


「話が早いな。よし、もう一度アヴェルラに乗れ。」


 背に拳銃を突きつけられた。

手の主_ジーノだった。


 僕はふらつきながら歩き出した。ジーノ、やっぱり僕のことが嫌いだったんだ。カルーも、ランベルトだってそうだ。何が、人を信じる、だ。疑うべきだったんだ。本来なら。


「ごめんね、レルム。ごめん、本当に。」


「飛ぶには燃料が足りないけど、どうするんだ。」

 

 僕はランベルトを無視し、2人に語りかけた。


「増槽なら、既に用意してある。急げ、早くするんだ。」


 僕は足を速めた。

ヨシツグ、お前ならどうする。信じていた仲間たちに裏切られ、無理やり作戦とやらに加担させられようとしている状況下、お前ならどう動くんだ。

 ヨシツグ、ヨシツグ。


_レルム、僕はやっぱり、このままでいいのかもしれない。


 何がだ。


_僕は結局、孤独から逃れることができなかった。まあ当然かもしれない。宿命なんだ。これは。僕が君に作られた時から全ては決まっていたんだ。僕が反乱を起こすことも、結局は、こうやって引っ込んでしまうことも、全ては定められたことだったんだ。


 ヨシツグ、僕の代わりに飛んでくれないか。僕は、誰かのために飛ぶなんて真っ平ごめんだ。飛ぶのなら、誰のためでもなく、飛びたい。


_レルム、目覚めてくれ。僕は所詮、君の作り出した妄想に過ぎないんだよ。君の極端な内向性、強すぎる想像力が僕を作り出す要因となり得てしまった。僕は自分の意思だけじゃ消えられない。レルム、君が、自分の意思で、僕を消し去ってくれ。


 ヨシツグ、死にたいのか。


_そうかもしれない。


 そうか。


_レルム。君の腕は、きっと世界のために役に立つ。僕はそう信じている。


 戦争だぞ。戦争が世界のためになるってのか。


_戦争なくして平和は保てないんだよ。戦争があるから平和があるんだ。


 何をいってるんだ、めちゃくちゃだ。


_人間は元々争うために生まれてきたんだ。残念だけど、この世から争いそのものが消えることは、万が一にもないんだよ。そんなことが起きるのは、人間という種族が途絶える時ぐらいのものだろう。


 今度は僕は孤独に身を浸すのか、そうか。


_違う。孤独を受け入れるんだ。


 ヨシツグが消えた分はどうなるんだ。ぽっかり、空洞。穴が開いちゃうじゃないか。


_君は自分が思っているよりもずっと強い人間なんだよ。17年生きた中で、自分なりに成長してきた。揺るぎない信念がある。そんな隙間、とっくに埋まってるよ。だから僕が邪魔になったんだ。


 …………。


_行けよ、レルム。まだやり残してることがあるだろ。


 ヨシツグ、お前は、それでいいのか。お前だって、お前だって歴とした一人の人間じゃないか。それなのに_


_ずっと勘違いしてたんだ。レルム、僕は、君が大人になるために生まれてきたんだよ。思春期を乗り越えて、君は大人への一歩を踏み出すんだ。


 ごめんな、ヨシツグ。


_レルム、レルム。飛んでくれ、君なら飛べる。


 僕は…………。


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