1:紙ひこうき
_ああ、レルム、かわいそうなレルムよ。人は一人では生きていけぬのですよ。
「よく聞きたまえ。君たちは、戦士だ。生まれた瞬間から、戦いに身を投じることを宿命づけられた者たち、だ。君たちは死を恐れてはいけない。何故なら、君たちにとって死とは名誉なことだからだ。戦場で敵の流れ弾に倒れた時、君たちは今までに土へ還った同胞達からの、心からの祝福を授かるのである。」
僕は長官からのありがたいお言葉を頂戴した。ぶかぶかの飛行服に身を包んだ同僚達は、気の抜けたような顔で話に耳を傾けている。
長官の顔には、いつもと同じように深い皺が刻まれている。あの皺の隙間に水が流れ、やがては運河となりて、人々はその繁栄を享受するのだ。いつか考えたくだらない妄想がふいに僕の頭を過る。
「そんな君たちにも、ついに出撃の時が来た。華々しく空を舞う時が、ついにやってきたのだ。いいか、もう一度言っておく。死ぬことを恐れるな。以上だ。」
頭を下げる、4人の同僚。
僕も、ワンテンポ遅れてお辞儀をした。
ふらふらと漂う僕の体。地に足がついている気がしない。灰色に濁った廊下を歩き続ける。歩いて歩いて、やっと掴めた気がする。廊下の表面には前を行く同僚たちの影が、窓から差し込む光にぼやけながら映っていた。
テーブルに置かれた目玉焼きに口をつけた。
歯を上下に動かす。動かして、目玉焼きの破片を噛み砕いた。飲み込んだが、粕が口の中に残っていた。音を立てて食べるのは行儀が悪いというが、それは誰が決めたんだろうか。僕は知らない。
黄身が、ごくりと音を立てて僕の喉を通過していった。
「義嗣。早く食べないと、遅刻するわよ。」
よしつぐ。僕の名前。こんな古臭い名前、付けられた方の身にもなって欲しい。僕のコンプレックスの根源はこの名前から来ているのだ。いつか大きくなったら、手続きか何かで改名を申し込みたい、と、そう考えている。
とはいえ、急がなければ電車に間に合わないのは事実だ。僕は俊敏にみそ汁と白米を口に掻き込むと、階段を駆け上がって自分の部屋へと舞い戻った。パジャマを脱ぎ散らかし、制服の袖に腕を通す。通学鞄を乱暴に引っ掴み、忘れ物がないかどうか確認した。ベッドの誘惑。まだ時間は余っている。少し寝転がっていかないか、と僕を甘い声で誘惑してくる。
振り切った。慌しく家を出る。自転車のサドルに跨り、コンクリの地面を蹴り上げた。ぐんぐんとペダルを踏み込む。僕は全速力で駅への道を走り始めた。向かい風を砕きながら、田んぼ道をひた走る。ただ、ひたすらに漕いで、漕いで、漕ぎまくった。
「レルムは生き残るだろうな。何せ、教官お墨付きの優等生だからな。」
カルーがそう言った。笑い声。僕はそんなんじゃないよ、とかぶりを振り、杯の酒を飲み干した。ここは僕たち隊に与えられた部屋だ。グランと空中戦を交え、空を舞う戦士たちの部屋。僕らの前にも、たくさんの戦士たちがここで夜を明かし、空へと旅立ち、そして散っていったのだろう。
隊の仲間。
カルー。エリク。ジーノ。ランベルト。皆それぞれに生まれた故郷があって、親があって、友人があって、今まで歩んできた人生という系譜がある。4人は、ほんの少しの間だけだがその人生を僕と共有したのだ。
「でもこいつ、チキンだからな。戦場でグランに出遭っても、びびって、尻尾巻いて逃げちゃうかもしれねえぞ。」
冷やかすようにそう言ったのはエリクだ。エリクは僕のことを心底嫌い、憎んでいる。僕だけがいつも教官からお褒めの言葉を頂くのが気に入らないらしく、いつも突っかかってくるのだ。
「は、は。エリク。お前、そんなこと言ってられんのも今日までだぜ。明日、5人全員そろってここへ帰ってこれる保証なんてないんだからな。」
真剣な表情のカルーを前に、エリクは黙り込んでしまった。
そうだ。皆、本心の所では怯えている。それは、本当に恐ろしいものなのだ。
「そういや、明日は何の機体で飛ぶんだ?」
のんびり屋で、いつもおっとりしているランベルトが、気を取り成すように言った。
僕、カルー、エリク、ジーノの順に、ゆっくりと視線がランベルトに向けられた。微睡み。微睡んだような目。皆眠いのかもしれない。そうか、そうなのかもしれない。
「おんぼろのエスモに決まってんだろ。在庫なら大量に有り余ってるからな、ついでに、俺たちと抱かせて処分する気だぜ、大本営の野郎。」
ジーノが吐き捨てるように言った。
いつも口数の少ないジーノが乱暴な言葉を遣うのは珍しかった。やはり気が立っているのだろう、当たり前だ。死ぬかもしれない。明日死ぬかもしれないんだ。僕だって怖い。死んだらどうなるか、小さい頃から寝る前に何度も考えていた。でも結論など出る筈がない。わからない。誰も知らない、わからない、けれど、死ねばわかるんだ。死ねば_
「俺たちはただの駒に過ぎない、ってことだ。使われるだけ使われて、最後はポイ、だ。人権も糞もあったもんじゃねえ。」
カルー、エリク、僕、ランベルト。
ジーノは怒っている。怒っている?
電車を降り、駅を出る。
灰色の街並みを横目に、歩き出す。毎日がどんどん過ぎ去ってゆく。けれども僕は追いつけない。どんどん、どんどん遅れをとってゆき、最後には僕以外誰も残らなくなってしまう。怖いと思う。それは、とても恐ろしいことなのだ。きっとそうだし、皆そう思ってる筈だ。そう僕も思ってるんだ。
木々の合間を縫って飛ぶ小鳥。そして僕の前。二人連れ、ぺちゃ、くちゃ話しながら歩いている。抜かそうか、とそう思った。でも踏み止まった。急に、失敗するのが怖くなった。わざとゆっくり歩き、2人と距離を取る。何人かが邪魔そうに僕を抜かしていった。ひとり、一人。歩く、歩いて歩き続けて、学校が見えてきた。
横断歩道。こっち側に一つ、向こうにも一つある。どっちを渡ろうか、考える。どっちとも赤信号だ。どうしようか考えあぐねている内に、一つ目の信号を通り過ぎてしまった。仕方なく、二つ目の信号に足を向ける。