その10 決戦前夜
ここは、皇都よりおよそ西に70キロ、元ラ・トゥール伯爵領の出城であった場所だ。そこは現在、魔王軍の【皇国】方面の前線基地として機能していた。
「【皇国】のやつら、本当に攻めてくる気か?」
そう問うたのは、魔王軍【皇国】方面軍総司令官魔将ガレアス。種族はオーグル。オーグルとは、オーガやトロールに代表される種族の亜種で、怪力に加えて知性も兼ね備えている。彼自身の特徴は、おでこから生えた一本角と顔中に彫られた刺青だ。また、身長も、2,5メートルを越える。そして、半裸だ。
「ええ、本当よぉん。【皇都】の物流がは・げ・し・く・なってるわぁ。そしてぇ、前線には、敵のぉ兵士が集結チュウよぉ」
それに答えたのが、魔将アイーダ。そのスレンダーなボディは普段はローブの下に隠しているが、人種に近い身体をしているため人間の男を誘惑したりして諜報活動を行うために惜しみもなくローブを脱いだりする。たまに理由もなく肌をさらけ出す露出狂的な一面も持っている。
「普通に喋れぬのか貴様は!」
ツッコミを入れたのが、魔将レイス。漆黒の鎧に、何らかの魔法的措置が施された大剣を携えている。顔には、仮面を付けていてその表情は伺えない。補足として、この作品の主人公、渡瀬進一を召喚者とは認識しておらず、たまたまあの場にいた一般人をゴブリンが刺殺したと思い込んでいるのは、この人である。結果として、進一の元に暗殺者が送られることはない。余談ではあるが、ゲンジの元に送られた暗殺者の数は十を越える。そのすべてが、返り討ちという有様だ。ゲンジについては、向かってこない限りは、とりあえず無視しておこうという流れになっている。
「あらあら、盛っちゃってまぁ……」
「チッ」
レイスが舌打ちをする。これ以上は相手にできないという意思表示だ。
「皇国軍は、報告では多く見積もって1万5千と聞いたが? 我が方面軍は後方の予備まで含めて10万だぞ。まさか、それがわかってないわけではあるまいな?」
「何か策があるということか……」
「残ったもう一人の大賢者が直々にぃ出陣するそうよぉ。あのお爺ちゃん一人でイッちゃって可哀想だと思ってたところだしぃ、ここらで退場してもらいましょぉ」
「しかし、剣聖ゲンジに加えて大賢者の女が出てくるとなると、厄介だな」
レイスが仮面の下で、眉間に皺を寄せた。もっとも、それは見ることはできないが。
「あのゲンジに討ち取られた我が同胞の怨嗟の声が未だに聞こえてくる……」
ガレアスは、数秒の黙祷をした。
「魔王ちゃんに、増援を要請してはどうかしらん?」
ガレアスが目を開けるのを待って、アイーダが発言する。
「馬鹿な、戦力差は7倍近く。いまの状態で増援などを呼んだら魔王軍全軍の恥だ!」
「レイスちゃん、何かぁ勘違いしてないかしらん? 私たちは3人しか指揮官がいないのよ。ガレアスちゃんならともかく、私たちは二人がかりですらゲンジには勝てない!」
アイーダが、普段の口調変えて語気を強めて言葉を紡ぐ。
「そして、今の状態で一人でも欠ければ10万という大軍は維持できないの。お分かりかしらん、レイスちゃん?」
「むぐっ……」
「そして、我々に求める魔王様の望みは、【皇国】の制圧だ。多少の恥は偲んでも、増援を求めるべきか……」
「ガレアスちゃんも勘違いしてるわねん……。私達が欲しいのは、数じゃなくて質よんシツ!」
「何が言いたいアイーダ」
ガレアスの視線が、アイーダに突き刺さる。それは、馬鹿なことを言えば縊り殺すぞという意思表示。射竦められたアイーダは、普段の態度を止めて目に力を加え口を開いた。
「魔王様が、太古の“知恵ある竜”達を配下に加えたと聞いたわ。それの招聘をしましょう」
【皇都】の王宮の一室。ここは、大賢者マリアベールのためだけに作られた、贅沢な研究室。その対価は、古代文明の遺産の解析の完了という形で払われた。
それは、魔王軍数万を空からの極光で吹き飛ばせるだけの威力を持つ戦略魔法兵器。いや、正確には、古代の人間たちが有害な核ミサイルに代わる次世代の抑止力として開発した宇宙に浮かぶ強大な軍事衛星であった。その兵器は、太陽の光をエネルギーとして変換し地上に打ち下ろすというもの。それが管理されなくなってからは、延々と数千年もの時を漂い続け、太陽光をエネルギーに変換して蓄え続けた。その総エネルギー量は計り知れない……。
マリアは、研究室のバルコニ-から日が暮れゆく西の空を見つめた。彼女は、この【皇国】のことを建国の時から守り続けている。現在、皇歴679年。彼女は、8世紀近くの時を生きた。それは、初代皇国王との約束。彼女が唯一愛した男。だから、彼女は守り続けなくてはいけない。それは、ある意味彼女を永遠に生かし続ける呪い。されども、マリアにとっては苦痛はない。もう数百年の時を生きた彼女にとって、この国に住むすべての人たちは、自分の子供達のようであったから。だから、それを踏みにじる魔王軍は許してはおけない。マリアは、魔王軍がいるはずの西の地平線を見て、口元が裂けるほどに釣り上げた。
――この軍事衛星を持って、魔王軍の
す べ て を 焼 き 尽 く し て く れ よ う。
幼い少女の姿をした、人間の悪魔がそこにいた。