1.魔王様は兄なので
「ノワさん」
「ダメだ、やり直し」
「うぐっ」
ここは魔王城の一角、執務室。
左右には多くの蔵書を収める棚が並び、その奥には豪華な机と椅子が大きな窓を背にして据え付けられた、王の政務に相応しい荘厳な部屋……なのだが。
私はその椅子に座る魔王――我が兄となったノワの膝に座らされていた。
「別にいいじゃないですか、というか魔王様なのだから敬意はひつよ……むぐっ」
「リーナ……」
喋ろうとする私のほっぺたを、ため息を付きながらむにっと掴むノワ。
「ああ、やわらかい」
そしてそのままむーにむに。最初からこれ目当てだったりはしないか?
「ひゃへてふははい(やめてください)!」
抗議するも、口から出るのはなんとも情けない声。
(なーんでこうなったかなぁ……)
加速するむにむにに、私は内心ため息をつきつつ天を仰ぐ。
黒髪の「忌み子」とされ、王女として生まれてからずっと虐げられ挙句の果てには処刑されかけた私、リーナはこの魔王ノワからの申し出によりその妹……黒の系統の後継者となった。
処刑から救い出され、ノワの住み処であり私の新居でもある魔王城に来てからの日々。見たこと無いものばかりで、長らく塔に閉じ込められていいた私には何もかもが新鮮だった。
(迷ったら人に聞くべし!というわけで)
あれは何だ、これは何だとハクに色々聞いていたのだが。
「ねえハク、あれって」
「はいお嬢様、アレはですね」
通算n回目の会話。しかし、それを聞いていたノワは段々と不満げな表情となっていき、ついに。
「……リーナ」
「はい、ノワさんどうしましたか?」
「それをやめろ」
「そ、それ?」
なんだろう、なにかついているのだろうかと思い両手でペタペタと自分の顔を触っていると。
「敬語と、その『さん』付けだ!」
どうやら私が、ノワに対してかなりうやうやしい態度なのがお気に召さなかったらしい。
「でも魔王様ですよ?敬意は必要では」
「魔王という以前にお前は俺の妹、俺はお前の兄なのだ。そのような畏まった態度は不要だろう」
(と、言われましても……よくよく考えたら年上とかそのレベルじゃないんだよな)
ノワとハクの会話を鑑みるに、三桁は優に生きていそうなこの魔王様。私の中の日本人的な精神が、『年長者は敬いなさい』と本能レベルで指示を全身に送り出している。
「そもそも!それならばなぜこいつには親しげなのだ!」
そう言って魔国No.1は、No.2を指差す。
「おや、まさか嫉妬しているのですか?
私とお嬢様はもう5年もの付き合いになります、つい最近知り合ったあなたなんかとは格が!違うのですよ!」
ここぞとばかり存分に煽るNo.2、いやハク。
(いや、こんなことでも張り合うんですか……!?)
この二人、よくそれで数百年もやってこられたなと思っていると。
「くっ……リーナ、これから敬語はなしだ!」
「んぇっ!?」
そうして敬語を禁止されてから数日、現在の状況に至る。
なぜか片時も離れようとしないノワの言いつけを守り、頑張って敬語は使わないように気をつけている……のだが。
20年生きた日本での経験、その後遺症は意外と重いようでふと気を緩めると敬語が飛び出てしまう。
そのたびにノワにじとーっとした目を向けられるという「敬意合戦」を繰り返すうち、もはや私は開き直りかけていた。
(もういいじゃんー……そんなに重要なことか、これ?)
むにむにしてくるノワに、私は目で抗議する。
「……よし、わかった!」
「もっ(おっ)!?」
ノワが手を離し、私を膝から下ろしてくれた。
(ついに諦めてくれたか……!?)
期待を込めた目でみやると、何故か不敵な笑みを浮かべる魔王。
「敬語は続行でいい。」
「やった……!」
「その代わり」
(ん?)
なんだか嫌な予感が。
「俺のことを『お兄様』と呼べ」
「……え?」
(お、おにい……)
無理である。それはなんだか……とてつもなく恥ずかしい。
「ほれほれ、どうした?呼んでみろ」
「……」
葛藤の末、ついに私は白旗を上げた。
「やっぱり敬語なしの方でお願いしま……お願い。
……ノワ」
「うむ、良し」
満足げなノワは、わしゃわしゃっと私の頭を撫でる。
(さすが魔王。つ、つよい……!!)
なんだか悔しいけれど、敗北した身ゆえ大人しく撫でられていると――
バタン
突然、重い扉が開く音がした。
「おおブラン、どうした?」
ブラン、というとハクのことだろう。身長の低い私では机に遮られて見えないため、タタタッと走って回り込むと。
「ハク!」
手元の書類に目を通しながら、こちらに歩み寄って来るハクが見えた。
「お嬢様!……ノワ、あなたまたお嬢様を側において。あなたのおもちゃではないのですよ」
私の声を聞き嬉しそうに顔を上げたハクは、しかしすぐに少し不機嫌そうな顔でノワにそう言う。
「おもちゃではない、俺の妹だ。側において何かおかしいことでも?」
「あなたの妹?ハッ、勘違いしないでください私のお嬢様です。私の」
「ちょ、待って二人とも!」
また口喧嘩を始めようとするその様子に、私は慌てて入る。
(イケメンが私のために争ってますのう……)
前世の20歳バージョンの私なら倒れているかもしれない至福。
しかし片方のイケメンは兄目線、もう片方は多分お母さん目線。
……うん、感動も薄れる。体は10歳だから仕方ないけどね。
「ハク、ほら落ち着いて。何か用事があったんじゃないの?」
「忘れました」
(おいっ!)
「……と、言いたいところですがノワ、急用です」
「ほう?」
ため息をつき、ハクは持っていた書類を机に置く。
「ふむ」
ひとしきり目を通したあと、ノワは少し苦々しげに呟く。
「これは……またか」
「ええ。魔人の報告です、それもフォルテ王国にて。
今回のはかなり凶暴なようで、また力も強いらしく国内は大混乱の様子。近々王宮の精鋭を集めた直属部隊も派遣されるそうですが……」
そう言って、何故か気まずそうに言い淀むハク。
「……もしやその王宮の精鋭というのは、俺がこの前焼き尽くした者共ではあるまいな」
「残念ながらその通りです。私が凍らせた者たちもそれなりの戦力だったらしく、どうやら人手不足で対応が滞っている様子」
それを聞くと、何故かノワまで気まずそうに顔を背けてしまった。その場に流れる沈黙。
(いや待って置いていかないで、リーナの頭にはハテナがいっぱいよ!)
沈黙を破り、恐る恐る尋ねる。
「そ、その魔人っていうのは一体……?」
「お嬢様、魔族は魔獣が進化したものとお教えしましたね?」
「はい!寝る前に唱えて覚えました!」
座学が苦手な私、やるときはやるのである。
(流石にそろそろ覚えないとうちの家庭教師が怖そうだったから、なんていうそんな理由では勿論ありません!決して!)
私のそんな様子に満足気に頷く家庭教師(兼執事)ハクは続ける。
「よろしい。実はその魔獣の一部は、もともと単なる動物だったのですよ。魔力の影響を受けてか、はたまた誰かの魔力を受けたか。理由は色々ありますが、とにかく野生の魔獣の何割かはこうして誕生します」
「そして魔人、というのは読んで字のごとく。人が魔獣となったものだ」
「そっか、人も動物って言えば動物だもんね」
(……ん?それってもしかして)
「ハク、私とノワが最初に出会ったときに襲ってきたあの魔物って」
「ええ、あれも魔人なのです。そもそも魔人というのは殆ど誕生することがないため危険度も未知数。念の為に、ノワが直接討伐に出向くことになっているのですよ」
「人手不足もあるがな。今は主要な幹部たちも隣国アリスタルに出向いてしまって……困ったものだ」
「何言ってるんですか、侵略してきた彼の国に激怒し、国土一帯を焼け野原にしたのはあなたでしょう!後始末と和平が難航していて大変なのですよ」
「わかっている、そう怒るな。だからこうしてそれ以外の政務は俺が直々に担っているではないか」
お小言モードに突入したハクと、面倒くさそうに返すノワ。
以前ハクに聞いたところ、この広大な城には主な幹部とノワ、そしてハクたちが住んでいるらしいのだが。
(全然姿を見ないと思ったらそういうことか。ノワが上司だと……うん、大変そうだ)
破天荒な上司に、ついていくのが大変な部下。そんな図が浮かび、ハク達幹部に同情していると。
「……とにかく、ほぼ同じ場所で同時期に魔人が発生するというのは本来ありえません。
明らかに、異常です」
ため息をついたハクが、しかし少し緊迫した表情で告げる。
何かが、フォルテで起きている。その表情はそれを物語っていた。
「その通りだな。……すまん、リーナ」
「ノワ?」
「俺はしばらく、ここを空けねばならん。ブラン……ハクはここに残しておくが、何が起こるかわからん。決してこの城から外には出るなよ」
心配そうなノワの瞳。
(……ああ、困ったな)
光の精霊術を使えるから、という理由で黒の……ノワの後継者となった私。しかし、正直なぜ使えたのかも、どうやったら使えるのかもわからない。
(目の色も元に戻ってたし。完全に手がかり消えちゃったな)
加えて現状魔力もなく、おまけに半魔。そんな私が実力主義の魔国にて辛い立場に立たされることを恐れ、ノワは未だ後継者として私を発表してはいない。
(……なんの役にも、立てない)
ならばせめて、心配だけはさせまい。
「わかった、大丈夫だよノワ。
いってらっしゃい」
心中の不安を隠し、無理やり笑顔を作って送り出す。
「……ああ、いってくる」
そんな私を見て一瞬迷うような目をした後、ノワは私達に背を向け扉から出ていった。
(私、本当にここにいていいのかな)
ノワもハクも、本当に良くしてくれる。
私はその期待に、何も答えられていないのに。
そんな私の不安が顔に出ていたのだろう。ハクがそっと近寄ってくる。
「お嬢様、大丈夫です。私がお守りしますのでご心配には及びませんよ。
ああようやくこれであのバカ魔王からお嬢様を独り占めできる……ふふふ……」
「あ、ありがとう……って、なんか寒くない!?」
「も、申し訳ありません。つい気が高ぶってしまいまして!」
ピキ……ピキピキッ。
気づけば、ハクの周辺が薄っすらと凍り始めていた。
そこから放たれる冷気に震えながらも、私は内心で決意する。
(お城からは絶対に出ない!迷惑はかけない!!)
しかし、このときの私は知る由もなかった。
こう固く――コンクリートくらいにはかたーく誓った、わずか半日後。
あっさりと城を飛び出し、とんでもない事件の中心に立つことになるなんて。




