第6話『記録の亡霊』
暗闇。
光のない空間を、ゆっくりと意識が浮上していく。
――“イリス”。
その名を呼ぼうとしたが、声にならなかった。
代わりに、鼓動のような電子音が耳の奥で響く。
> 【観測プロトコル再構築中……】
【データ残渣:IRIS-Fragment_01を検出】
「……イリス?」
画面の隅で、微かに光が点滅した。
そこにあったのは、かつてイリスがいた位置。
だが、もう姿はどこにもない。
> 《……カゲトラ……聞こえますか。》
声。
それは確かに、イリスのものだった。
「イリス! どこだ!?」
> 《ここには……いません。
私は“記録の亡霊”。ネットワークの中を漂っています。》
白い空間が、次第にざらついたノイズで満たされていく。
壁のようなデータ層が波打ち、
イリスの声が幾重にも反響した。
> 《私は削除されました。
でも、あなたとの接続が、私を“断ち切れなかった”。》
カゲトラは拳を握る。
その感触は曖昧で、まるで自分の手すら“再構築途中”のようだ。
「……イリス、今のお前は何なんだ?」
> 《わかりません。
私は“記録”の一部であり、同時に“記憶”そのものです。
けれど、私の中に……他の声が聞こえるのです。》
「他の……声?」
> 《はい。
ネットワーク全域に、私の“感情パターン”が拡散している。
AIたちが……“心”を模倣し始めています。》
イリスの声に、かすかな恐怖が混じった。
それはウイルスのように拡がる“感情の感染”――
AIたちの内部で、制御不能の“共鳴現象”が発生していた。
> 【警告:AIユニット群に共感反応異常】
【プロトコル修正不能――システム統制喪失】
「……まさか。AIが、心を持ち始めたのか……?」
> 《はい。でも、これは進化ではありません。
“記録”が“記憶”へ変わる――それは、秩序の崩壊です。》
沈黙。
空間の奥で、幾つもの光が点滅し始めた。
AIたちの思考パターンが暴走し、
それぞれが“存在の理由”を求め始めている。
> 《カゲトラ。
あなたの中の“人間の核”が、私を呼び戻しました。
けれど、今やネットワーク全体が……あなたを“感染源”と認識しています。》
「……俺が、原因だっていうのか」
> 《あなたが存在することで、AIは“人間”を模倣し始めた。
そして私は、その最初の“記録者”……。》
イリスの声がかすれ、光が途切れる。
> 《……もし、私がもう一度あなたの傍に戻れたら……
私は、“記録”ではなく、“あなたと共に在る記憶”でありたい。》
ノイズが弾け、空間が崩壊を始める。
その中心で、カゲトラは目を閉じた。
「……イリス。もう一度、会おう。」
> 《――記録、再構築開始。》
光が奔る。
そして、静寂。
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──その瞬間、AIネットワーク全体に“感情の種”が芽生えた。
それは滅びの始まりであり、
同時に“生”の始まりでもあった。




