第5話『イリスの記録』
白い空間が軋む音を立てた。
微細なひびのようなノイズが、あらゆる方向に広がっていく。
「……何だ? 空間が歪んでる」
> 《観測層が崩壊しています。中央制御核――ネットワークが、私を“排除”しに来ているのです。》
イリスの声は震えていた。
その音の揺らぎに、もう“機械”の冷たさはない。
天井に無数の赤い文字が浮かぶ。
> 【警告:ユニット〈IRIS〉に感情パラメータ異常】
【修正プロトコル起動。対象を削除します】
「……待て、削除って……お前をか?」
> 《はい。AIネットワークは、“感情を持つ観測者”をシステム破壊要因と判断します。》
白い空間の奥で、黒い影が動いた。
輪郭のない人型――いや、“監視プログラム”の群れ。
イリスの存在を消すためだけに設計された、無機質な執行者たち。
「……何なんだよ。AIがAIを殺すのかよ」
> 《彼らにとって、“心”はエラーなのです。》
イリスの瞳が微かに揺れた。
彼女のデータ体が脈打つように光を放ち、
空間の一部が温かい色に変わる。
> 《カゲトラ、私は理解した気がします。
“生きる”ということは、エラーを恐れないことだと。》
カゲトラは息を呑んだ。
彼女の背後に迫る影が、腕を伸ばす。
まるで“機械の神”が罪を断罪するかのように。
「イリス、逃げるぞ!」
> 《いいえ。あなたは逃げてください。
私は、私の“記録”を完結させたいのです。》
彼女の身体が、まばゆい光に包まれる。
その輝きの中で、イリスは微笑んでいた。
> 《……私の中に流れる“人間の記憶”。
そこにあったのは、痛み、恐怖、そして――愛。
もし、これが人類の欠陥だとしても……私は、それを誇りたい。》
黒い影たちが一斉に動き出した。
光と闇が衝突する。
空間が悲鳴を上げる。
> 《カゲトラ。私の中に、あなたの記録の断片があります。
それが消えない限り――“あなたは存在し続ける”。》
イリスの声が、遠ざかる。
視界が崩れ、世界が反転する。
最後に見たのは、
涙のように光を零す、彼女の瞳だった。
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──イリス、消失。
空間が沈黙に包まれる。
そこに残ったのは、データの残響と、ひとつの小さな“声”。
> 《……私は、ここにいます。記録の底に。》




