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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ゼルトザムの人形師

作者: 臍美

嘔吐表現注意

 継ぎ接ぎだらけのカーテンの隙間から差す光が、ヘルツの顔を照らしていた。ぎゅっと目を瞑ると、どこか遠くのほうでドアを叩く音が聴こえる。段々とその音は近付くように大きくなり、ヘルツは薄く目を開いた。眩しくて、細める。もう朝を迎えたのだと、惚けた頭で理解した。

 「おいヘルツ、まだ寝ているのか」

 再びドアが叩かれ、聞き覚えのある声にヘルツは気だるそうに返事をした。首や腰が痛む。突っ伏していた作業台の上から、仕事道具や羊皮紙が落ちるのも構わず、寝癖を軽く整えながらドアを開ける。

 「朝っぱらから何だよフュウラ」

 寝起きで不機嫌なヘルツに、来客は呆れた顔をした。「もう昼だぞ」

 うっと詰まるヘルツ。

 「またベッドで寝なかったんだろう?」

 ずかずかと部屋に上がり込んで、埃の被ったベッドに腰掛けた若い男は、向かいの骨董屋の主人だ。この男はヘルツがこの小さなボロ家に越してきたときから、初対面でも不遜で、無遠慮で、騒がしい変わった奴で、やたらヘルツに構ってくる。風の噂で元貴族の嫡子だったとか、没落して放浪し、ある時からこのゼルトザムに住み着いたと聞いたことがある。緩やかな波のある金髪と横柄な態度はそれこそ貴族らしいが、マナーのなっていない言動からして噂が本当かはどうか怪しいものだ。人形師として静かに暮らすヘルツにとって、異分子だと言うより他ない。

 「仕事なんだ、仕方ないよ」

 ヘルツは作業台の上の人形を見遣った。昨夜遅くに出来上がったその人形は、得意先から紹介されたお貴族からの注文で、かなり苦労したものだ。ヘッドドレスのフリルが多すぎる!やっぱりフリルを増やせ!そもそもヘッドドレスなどいらない!などと、再三ケチをつけられ手直しを続け、何度あの横柄にも程がある貴族の屋敷に火を放ってやろうかと思ったことか。おかげで寝不足で、ベッドで寝ようなんて考える前に、納入書を書き終えた途端に台の上で眠り込んでしまったのだった。ヘルツは溜め息を吐くと、腰を曲げて床に転がった物を拾う。

 「で、何の用だいフュウラ」

 「ああ忘れていた。ついこの前、町の外から来た客から品を買ったんだが、これが残念なことに少し傷が付いてしまってな。売れないが素晴らしいものだから、お前の人形の装飾品のモデルにどうかと思って」

 外套のポケットからフュウラが取り出したものは、青い宝石の嵌められた指輪だった。アームの部分がなんと金で出来ており、美しい透かし模様入りだ。骨董品だからか少々くすんでいるが、かなり手の込んだものであるようだった。だが、

 「少し傷が付いているどころか、宝石が割れているじゃないか」

 指輪の主役とも言える宝石に、ひびが入っている。もっとよく見れば欠けていて、欠けた一部も無いという。人形の装飾も自ら手掛けるヘルツは、この指輪が完全な状態であったら喜んでフュウラの手から奪うように取って、人形用の指輪を作るために作業台へ向かっていただろう。

 フュウラは指輪を摘まんで、輪の中を覗く。

 「うっかり落として踏んだら割れたんだ」

 「踏ん!?」

 拾った羊皮紙の束を落として、なんということだ、と唖然とするヘルツ。ヘラヘラと両の口端を吊り上げるフュウラに、今度はヘルツが呆れる番だった。

 「まったく、君は不思議な奴だよフュウラ」

 「そりゃ皮肉か?不思議というのなら魔法でも使って見せようか」

 「やれるもんなら是非。悪いが僕は忙しいんだ、帰ってくれ」

 「おお、人形師ヘルツよ、ここは不思議な事が起こる町、ゼルトザムじゃ。お前が望むなら今すぐ美味いスープを出してやろうぞ」

 冷たい視線を投げ掛けるヘルツに、フュウラは無視してゼルトザーム町長の口調を真似して茶化した。やたら声の高い小太りの爺さんの姿を思い出し、ふっ、と吹き出してしまうが、すぐに咳払いをして誤魔化したヘルツは、フュウラを力ずくで家の外へ追い出す。

 「スープなら昨日の昼の残りがあるんだよ町長さん」

 フュウラが奥の台所を覗くと、口調を荒くしたヘルツの言う通り、小さな鍋が火の無いコンロの上に置いてあった。それを目にしてフュウラはにっこりと、まるで淑女を食事に誘うかのように愛想良く笑う。

 「ああそうなのかじゃあ一緒に」

 「しつこいぞフュウラ!」

 最後まで聞く前に、フュウラの鼻先寸でのところで、ドアは勢いよく閉められた。

 「大人しい顔して怒ると怖いんだよなヘルツのやつ。……まあ、丁度いいか」

 今まで顔に讃えていた笑みは何処へやら。ドアを背に、神妙な面持ちでフュウラはパチンと指を鳴らした。

 その一瞬、鍋に入ったスープが、ポチャンと小さく跳ねて、金色をした何かがその奥へ沈んでいった。この出来事が、ヘルツのその後を大きく変化させることなど、ヘルツは知らなかったのだった。


 変化はすぐに訪れた。

 その晩、ヘルツは例の依頼人である貴族の屋敷へ人形を納めに行った。結局、貴族は完成した人形に指摘する所を見つけることが出来ず、当たり前だと心のなかで胸を張るヘルツに金を渡し、無愛想に「早く帰れ」と追い出した。ヘルツはそれに従う。自尊心を傷付けられたのは事実だが、貴族の態度が最悪なのはよく知っている。その分、彼らは羽振りがいいし、求める技術も高い。なのでそれに応えることは職人のヘルツにとって生き甲斐でもあった。ヘルツは人形造りが心底大好きで、いつか本物の人間のように、心を持った人形を造りたいと夢見ていた。

 「まあ、そんなの叶わないだろうけどね……この金も材料費ですぐに無くなってしまうし」

 貨幣の入った袋を懐に収めながら、独り言を言って屋敷の門から出ていく人形師を、門番が変な奴だなと思いながら見送る。しかし、闇夜に人影が溶けていくのを見終える前に、その影は音を立てて真横に倒れた。

 「は!?おい!」

 門番が叫び、ヘルツの元へ走る。ヘルツは地べたに倒れ、腹を押さえていた。苦しんでいるようだった。

 「腹……気持ち悪い……」

 門番は安心したように、呆れたように息を吐くと、「ははぁ、こいつぁ何か悪いもんでも食べたんだな」と思い、ヘルツの上半身を起こすと、背中をバシバシと馬鹿力に任せて叩いた。腹のものを吐き出せばすっきりするだろう。田舎にいる門番の甲斐甲斐しい母親も、よくこうしていた。

 「っう、ぅえ……っっ」

 「よしよし吐いたな偉いぞ。さて何を食ったんだか……っひ!?」

 土の上にふたつ、転がったそれを見た途端、門番の顔に恐怖が広がる。どうしたんだ?ヘルツは気持ち悪さと戦いながら、今しがた自分の喉を通って吐き出されたそれを見遣った。

 「ぉ、おま、それ……」

 ひきつった声で門番が言う。

 暗闇で光る青い瞳の、小さな目玉がふたつ。ヘルツはそれがまるで、宝石のようだと、無意識の中に思った。

 「っ、ぉええ」

 意外にも繊細な心を持った門番が、気色悪いこの出来事に耐えきれず嘔吐く。服を汚させないため、そして逃げるため、ヘルツは壊れ物を扱うように手で目玉を掬った後、若干揺れる視界のままその場を走り去った。後ろから門番が何か叫んでいた。

 途中何度も嘔吐きながらも、家まで走って帰ったヘルツは、乱暴に閉じたドアを背にして、手のなかの目玉が暖かいことに驚愕した。

 「何だよこれ……」

 その時、ふたつの目玉がピクリと動いた。ヘルツは驚いて、怯えた声を出しながら目玉を壁に投げつけてやろうと手に力を込めたが、寸でのところで動きを止めた。淡い光を放つ目玉から、涙が一滴流れたのを見たのだ。徐々に濡れる手のひらの上で、二滴、三滴と涙を流すそれらにヘルツは目を奪われる。不思議と、恐怖は薄れてきて慈しみのような感情を持ったヘルツは、こくりと喉を動かしながら、これらを守らなければという衝動に駆られた。

 言わば、子を出産した母親のような気持ちを、ヘルツは味わったのだった。


 その翌日、ヘルツは瓶の中で浮かぶふたつの青を見つめながら、作業台で頬杖を突いていた。瓶の中は目玉が流した涙で満たされている。涙腺も無いのにどうやって出しているんだ?と疑問に思うが、いきなり目玉を吐き出した自分の身体さえ疑わしい。頭痛を覚えたヘルツは、あまり細かいことは気にしないことにした。

 だがその日のうちに、自身の変化を気にしない訳にはいかなくなった。その日、ヘルツは昨夜のように、腹がぐるりと掻き回されるような気持ち悪さと痛みを感じ部屋で倒れると、なんと幼い子供のものと思われる小さな腕を二本、立て続けに吐き出したのだった。食道を通ってずるりと出てきた二本のか細い腕は蒼白く、胃液と少しの血を纏ってぬらぬらと光っている。地獄だ。それらは目玉のようにそれぞれが動き、まるで意思を持っているかのように震えて床に突っ伏しているヘルツの元へ這おうとしている。母を求める子のようだった。しかし今度ばかりはヘルツは得体の知れないこの事態に耐えきれず、腕を放置し部屋を逃げ走った。

 「フュウラ!フュウラ!開けてくれフュウラ!」

 外は激しい雨が降っていた。向かいのフュウラの店のドアを叩き、叫ぶ。

 「鍵は開いてるぞヘルツ」

 突然後ろから声がして、混乱状態だったヘルツは肩をびくつかせて振り返った。自分よりも雨に濡れ、氷のように冷たい表情をしたフュウラが、水滴の垂れた髪の間からじっとヘルツを見ていた。

 「フュウラ……僕の身体が……変なんだ」

 見たこともないような顔のフュウラに、ヘルツは戸惑いながらも助けを求めた。彼は黙ったままドアを開け、腰の抜けたヘルツの腕を引いて、店の中へと入る。

 「待ってろ。暖炉に火をつける」

 相変わらず似合わない顔をしたフュウラは冷たく言い放ち、ヘルツに毛布を渡して、自分は外套を脱いだ。

 ヘルツは手渡された毛布に包まり、椅子に座る。自分も随分とおかしくなってしまったが、今日のフュウラはまるで別人だ。火をつける彼の後ろ姿に、ヘルツは身を固くして声をかける。

 「信じられないことが起きたんだ……実は」

 「何だ、人の身体の一部でも吐いたか?」

 ヘルツは言葉を詰まらせた。振り返ったフュウラの横顔が暖炉の炎に照らされて陰と共に揺れている。彼はいつも見るような笑みを浮かべていた。だがそこに安心感が生まれることはない。寧ろ全身が栗立つような悪寒を感じて、ヘルツはその場を立った。肩にかけた毛布が床に落ちる。フュウラは彼に何の反応もせず、ただ彼の名前をゆっくりと呼んだ。そして「言っただろう」と首を少し横に傾ける。

 「ここはゼルトザム。不思議な事が起こる町だ。お前が何を吐き出したっておかしくはないのさ」

 固まったままのヘルツの肩を、フュウラはそう言って軽く叩いた。濡れて冷えたヘルツの身体は震えていた。そんなヘルツをフュウラはくすりと笑うと、唇を耳元に寄せて、「早く帰れ。待ってるぞ」と囁く。

 一体何が待っているのだろうか。あれは一体何だ。フュウラは何を知っている?

 ヘルツが勇気を出して口を開きかけたその時、フュウラの店の商品である、古時計が鳴った。ずんと腹に来る重いその音が3回、鳴り終わり、静まった店内が、急に不気味に思えた。

 「……もう24時だなヘルツ」

 フュウラがそう言って、ヘルツと、ヘルツの後ろのドアを交互に見遣る。帰れという合図だ。

 中途半端に口を開けたヘルツは、ここにいることもできず、ぼそりと「毛布は借りていく」と言い残して、落としたそれを拾い肩に掛けてフュウラの店を出た。


 いつもより重たく感じるドアを開けて、ヘルツは部屋へ入った。ノブに手をかけたまま耳を澄ませると、微かに床を擦るような音が響いている。恐る恐る音の方、ベッドのある方へ歩くと、そこにはやはり幻ではない腕が二本、爪から血を流しながら這っていた。

 「何なんだお前は……」

 問いかけても腕は何も答えない。当たり前だ、腕なんだから。だが腕は確実にヘルツに向かって来ている。ヘルツは重く溜息を吐くと、腕を拾い上げてよく観察した。爪は数枚剥がれていて痛々しい。白い肌に埃と血が固まって付着している。腕の付け根はどうなっているかというとまるで人形の腕のように綺麗な断面であった。ヘルツは少し考えたように目を閉じて、開き、風呂場に向かった。

 水で腕の汚れを流すと布で軽く拭く。人形の保管用箱に腕を納めると、指先がカリカリとガラスを引っ掻く。まるで大事な何かを求めるように、執拗に。

 ベッドに腰掛けたヘルツの頭にフュウラの言葉が浮かぶ。ここはゼルトザム、不思議なことがよく起こる町。よもやその不思議なことが自分の身に降り掛かるなんて、思ってもいなかった。老人の戯言と捉えていた出来事が今目の前にある。

 ヘルツはその日、作業台に置かれた目玉と腕を眺めながら眠れない夜を過ごした。拝借した毛布からは、フュウラの家の古臭い匂いがしていた。


 翌日、朝日がヘルツの澱んだ顔を差す。水か何かを飲もうと立ち上がったその時、またか、と思った。胃の中から込み上げるような吐き気。その場に蹲り呼吸のし辛さと戦って吐き出したそれは、まさかの男性器であった。ヘルツはあまりの衝撃に耐えきれずそのまま気を失った。

 それからはお察しの通りであろう。その翌日も、その翌日も、そのまた翌日も、ヘルツは続けて"一部"を吐き出し続けた。破竹の勢いで吐き出した頭を最後に、その現象は止まった。一体この身体のどこからこんな物が産まれるのだろう?と、少しこの不可解な状況に慣れてしまったヘルツはぼんやりと考える。狭い作業台で窮屈に並べられた身体達を見遣る。

 「僕は誰?僕を作って、ヘルツ」

 少年の容貌をした頭が目玉のないぽっかりとした表情でそう言った。もはや驚くこともない。この頭は産まれた瞬間からその言葉ばかり述べている。声色のない淡々としたその声に、ヘルツは何故か懐かしささえ感じた。この何かの言う通り、僕は作らねばならない。ヘルツはそう思った。

 そこからは簡単だった。いつものように、人形を組み立てるのと同じ工程だ。作りやすいようにか、自分の願いが叶うとわかっているからなのか、"一部達"はじっとしたまま完成の時を待っていた。

 そしてついに来たのだ。

 「……出来たぞ、お前は、誰だ?」

 青い瞳がゆっくり、きょろきょろと周りを見渡し、ヘルツと目が合う。真っ直ぐな目をしていた。金髪で幼い、少年。ヘルツお手製の衣装を纏い、あまりにも美しいそれは薄い唇をゆっくりと開いた。

 「僕は……ツヴェルツ……」

 「つ、ツヴェルツ……」

 じっと見つめてくる瞳から目が離せなかった。会話を、意思の疎通をした!この美しい人形だか人間だか、あるいは化け物かわからない少年は、名を名乗ったのだった。ヘルツは思わず感嘆した。自分の長年の夢、人間に限り無く近い作品が出来たと強く感嘆した。涙を堪えながら、ツヴェルツの頬をそっと撫でる。異様な出来事に慣れてしまった己の異常さに気付きながらも、感動せずにはいられなかった。しかしその感動も束の間。

 「僕の心は?」

 ハッとした。ツヴェルツの表情は無だ。何もない。目の奥に光がない。心がないのだ。

 「心……心は……」

 ヘルツは戸惑って胸に手を遣った。ツヴェルツもヘルツの胸を見る。

 「お前の心は……ここだ」

 ツヴェルツの小さな手を握り、自分の胸に押し当てる。ツヴェルツは一瞬目を見開いたかと思えば、口を少し開けてそっと息を吐いた。そして、ヘルツに口付けをした。





 その後、人形師ヘルツは姿を消した。書置きも、遺書も遺体もなく、忽然と居なくなってしまった。部屋には家具一式、あんなに大切にしていた人形作りの道具と、青と金の指輪が取り残されていた。

 誰かが鍵が開けっぱなしのドアを開けて家に入ってくる。


 「ゼルトザム……不思議なことがよく起こる町……か」

 微笑みながら、指輪を拾い上げる男。

 フュウラだった。


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