やがて誰もいなくなる
エリュシアはレオンの言葉に縋りついたまま、次第にその表情を冷たく歪めていった。
(私は…許せない…!あの女…アレクサンドル…!)
一度は止まりかけた怒りの炎は、再び激しく燃え上がる。
夜闇に包まれた王立学園の庭園。月光が白銀の輝きを放ち、木々の影が揺れている。その静寂を切り裂くように、エリュシアは一人、そっと茂みの影から顔を覗かせた。
(あの二人…まだここにいるはず…)
彼女の視線の先、豪奢な学園の迎賓館。その中から煌びやかな灯りが漏れている。窓越しに見える二つの影…アレクサンドルと転校生が寄り添い、楽しげに語り合っていた。
(…楽しそうね…こんなにも私を踏みにじっておいて…!)
エリュシアの指先が震える。だが、それは恐怖ではなく怒りによるものだった。
(もう…もう我慢できない!)
手を掲げる。彼女の周囲に冷たい風が巻き起こり、闇がうねり始めた。彼女の魔力がその場の空気を揺るがし、月光さえもかき消していく。
「消えろ…!この世界から消え失せろ!」
次の瞬間、迎賓館の窓ガラスが砕け散り、黒い稲妻が内部を貫いた。悲鳴が響き、家具が次々と燃え上がる。
「な、なんだ!?誰だ!?」
アレクサンドルの驚愕した声が聞こえる。彼は転校生を庇いながら立ち上がるが、すぐに迫り来る魔力の嵐に飲み込まれる。
その嵐の隙間から彼がこちらを見た。久しぶりに直視した真紅の瞳は怯えるように見開かれている。
「エリュシア!?エリュシアなのか!?」
彼の叫びにエリュシアは冷笑で応えた。
「そうよ!アレクサンドル!私は…あなたたちを許さない!」
「狂っている…エリュシア、お前は…!」
「狂わせたのは誰?私を…愚かにしたのは誰…!」
エリュシアは両手を広げ、さらなる魔力を解き放つ。黒い雷光が豪奢な迎賓館を焼き尽くし、床は崩れ、壁は粉々に砕けた。
アレクサンドルは剣を引き抜き、転校生を背に庇う。
「エリュシア!正気に戻れ!お前は…!」
「黙れ!あなたも、その女も消えてしまえばいい!」
エリュシアは呪文を唱え、巨大な闇の槍を生み出した。アレクサンドルは剣を振りかざし、炎の壁を作り出して応戦する。
「…くそ…この力は…!」
しかし、エリュシアの憎悪に満ちた魔力は彼の炎を飲み込み、槍はまっすぐ彼の腹を貫いた。
「が…ああ…!」
アレクサンドルは血を吐き、膝をついた。その背後で転校生が悲鳴を上げる。
「アレクサンドル様!いや…助けて…!」
「…逃げろ…エリュシアはもう…」
だが、転校生が逃げ出す間もなく、彼女にも黒い影が襲いかかった。焼き尽くされ、声を上げる暇もなくその姿は消え去った。
「…これで…」
エリュシアは荒い息をつきながら、崩れ落ちた。彼女の身体も限界だった。魔力を使い果たし、その代償に自らの生命力も削り取られている。
「…これで…終わり…」
「…いや、終わってなどいない」
かすかな声が響いた。視界がぼやける中、彼女は再び立ち上がるアレクサンドルの姿を目にした。
「エリュシア…たとえお前が…何者になろうと…」
アレクサンドルは剣を振り上げ、力を振り絞った。炎の刃がエリュシアの胸を貫いた。
「……あ…」
「…さようなら…エリュシア…愛して、たんだ。本当は…」
エリュシアの身体は崩れ落ち、視界は暗闇に沈んでいった。
最後に言葉が届いたのかはわからない。ただ、言葉のおかげなのか復讐を果たしたおかげなのかその表情は随分久しぶりに見る穏やかな顔だった。
炎に包まれた廃墟の中、息も絶え絶えにアレクサンドルは崩れた瓦礫に寄りかかっていた。
「…エリュシア…お前に…嫉妬して貰えるのが…嬉しかった、それだけなんだ」
その時、ゆっくりとした足音が近づいてくる。
「…まさか…お前…レオン…?」
アレクサンドルは薄れゆく意識で、黒い影の中から現れる少年を見つめた。
「どうやら、ここまでのようですね、アレクサンドル様」
レオンは微笑んだ。その笑顔は冷たく、感情のない仮面のようだった。
「まさか…お前が…全てを…操って…いたのか…?」
「操っていた…?いいえ、ただ…導いただけですよ」
アレクサンドルは血に染まった口元を歪めた。
「誰だ…お前は…」
「私はレオン…ですが――リアス・エルシアンという名の方に仕えさせていただいています。」
「リアス…エルシアン…」
その言葉を最後にアレクサンドルの瞳から光が消えた。
走馬灯のように思い出すのはエリュシアのことだった。
ずっと釣り合っていないことに気づいていた。彼女の聡明さに勝手に劣等感を持っていた。
でも、そんな彼女に好かれていることが優越感にも繋がっていた。
転校生に近付けば、わかりやすく嫉妬してくれるものだから必死になって話しかけた。
気がついたら素直な好意を寄せてくれる転校生に惹かれていた。エリュシアのことなんてどうでも良くなっていた。
聡明で賢明な彼女がこんな風になるまで思っていてくれたことも忘れて。
最後に残ったのは後悔と自分の手で奪った命の感触だけだった。
「…愚かな王子でしたね。貴方の存在もまた…一つの駒に過ぎなかった」
レオンはその亡骸に冷たく微笑みかけ、炎の中へと消えていった。