私は絶対悪くない
転校生とレオンの邂逅から数日後。
エリュシアは、学園の中庭に立ち尽くしていた。
アレクサンドルが転校生と笑顔で話す姿が目に焼き付く。優雅に微笑み、楽しげに話す彼。かつて自分だけに向けられていたその視線が、今は他の誰かに注がれている。
(なぜ…こんな…)
胸の奥が苦しい。冷静であるべき自分が、嫉妬に心を乱されるなんて。
「エリュシア様?」
声に気づき、振り返るとレオンが立っていた。優雅に礼をし、穏やかな笑みを浮かべる。
「お困りごとでも?」
「…何でもないわ」
平静を装うように微笑み返すエリュシア。しかし、その笑顔の裏で、自分の心が揺れているのが分かる。
「もし、何か気になることがあれば、いつでもお話ください」
レオンは優しく言い残し、その場を去っていった。
エリュシアは視線をアレクサンドルと転校生に戻す。
(負けない…私は…アレクサンドル様にふさわしい女性なのだから…)
その想いを胸に、彼女は静かに歩き出した。
しかし、彼女の知らないところで、暗い影が確実に動き始めていた。
エリュシアは次第に他の生徒たちの視線にも敏感になった。
「エリュシア様、またアレクサンドル様と転校生が…」
友人たちの何気ない言葉が胸を刺す。
(私が…あの庶民に劣る?)
「そんなはずが…!」
小声で呟いた言葉に、友人たちは顔を見合わせる。
「エリュシア様…大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫。少し頭が痛いだけ」
冷や汗をかきながら立ち去るエリュシア。その姿を廊下の陰から見つめるレオンは、静かに微笑んだ。
****
その日の放課後、エリュシアは生徒会室で一人書類に目を通していた。しかし、集中できない。
扉の外から聞こえる笑い声。アレクサンドルの明るい声と、それに応じる転校生のはにかんだ声がはっきりと聞こえていた。
ペンを握る指が少しずつ力を込める。
(何なの…私の方がずっと彼を理解しているのに…)
冷たい感情が胸を締め付ける。
気がつけばエリュシアの手は転校生を生徒会室に呼び出す手紙を書き上げていた。
****
次の日、エリュシアは生徒会室にあらわれた転校生に対し圧力をかけた。
「あなた、分かっているの?自分の立場を」
転校生は一瞬怯んだが、すぐに冷静に微笑んだ。
「もちろんです、エリュシア様」
その余裕に、エリュシアの苛立ちはさらに募った。
「いいえ、分かっていないわ。アレクサンドルは私の婚約者。あなたの居場所はどこにもないの」
転校生の微笑みがわずかに揺れたが、すぐに澄んだ瞳で見つめ返してきた。
「そうでしょうか?彼が決めることです」
その挑発的な言葉に、エリュシアの心は怒りで染まった。
脳みそが真っ赤に染まる。思わず振り上げそうになった手を抑えて、エリュシアは転校生を追い出した。
****
その後もエリュシアの苛立ちは収まらなかった。廊下を歩くたびに、アレクサンドルと転校生の噂が耳に入る。
「転校生、アレクサンドル様と仲良くしてるみたいね…」
「エリュシア様、大丈夫かしら…」
誰もが表向きは気遣いを見せながら、内心では面白がっているように感じた。
(私が…笑われている?)
エリュシアは拳を強く握りしめた。
その日、授業が終わるとエリュシアは廊下で待ち伏せをしていた。やがて、明るい笑い声が近づいてくる。
「それでね、あの時は…!」
アレクサンドルと転校生。彼の顔はいつもよりも輝いて見えた。
(あんな表情、私には見せたことがない…)
「アレクサンドル!」
鋭い声に二人が振り返った。アレクサンドルは一瞬たじろいだが、すぐに愛想笑いを浮かべた。
「おや、エリュシア!どうしたんだい?嫉妬かい?」
その軽薄な冗談に、エリュシアの胸が冷たく締め付けられる。だが、彼の視線は明らかに転校生に向いたままだった。
「少し、話をしましょう。…二人きりで」
「ええ…それじゃあ、またね」
転校生は少し不安そうにエリュシアを見たが、アレクサンドルは屈託なく手を振る。
「あとでまた話そう、君との話は楽しいからね!」
その言葉に、エリュシアの怒りは頂点に達しそうだった。
(楽しい…?私とはそんな風に笑ってくれたことなんて…)
転校生が姿を消すと、エリュシアはアレクサンドルを睨みつけた。
「アレクサンドル、いい加減にして!どうしてあの子にそんなに構うの?」
アレクサンドルはやれやれと肩をすくめた。
「エリュシア、君は本当に堅いんだね。僕が誰と話そうが、君には関係ないだろう?」
「私は…私はあなたの婚約者よ!」
「そうだね。でも君はいつも僕を監視して、僕の行動を決めようとする。まるで牢獄だ」
「…っ!」
エリュシアは顔を強張らせた。
(牢獄…?私が…?)
「転校生は素直で明るくて、話していると楽しいんだ。君ももう少し笑顔を見せたら?」
アレクサンドルは無邪気に笑うが、その笑顔はエリュシアを追い詰めるだけだった。
「もう…いいわ」
エリュシアはその場を足早に立ち去った。背後でアレクサンドルは軽くため息をついているのが聞こえた。
(私が…悪いの?)
その疑念はエリュシアの心を少しずつ蝕み始める。
思考は悪いのは私じゃないはずだ、と自己保身に走り出し嫉妬だったはずの感情は激しい劣等感と嫌悪感に姿を変えていた。