不協和音と優しさ
転校生は呆然としたまま中庭に立ち尽くしていた。
エリュシアの冷たい言葉が頭の中で何度も繰り返される。
(私……ここに来てはいけなかったの?)
ふと視界がぼやけ、涙が頬を伝いそうになる。だが、彼女は必死にこらえた。
(負けない……こんなことで……)
弱音を吐いてしまえば、エリュシアの言葉が真実になってしまう気がした。
「どうしたんだい、転校生さん?」
その時、穏やかな声が聞こえた。振り返ると、クラウスが心配そうにこちらを見つめている。
「クラウスさん……」
「君、大丈夫かい? さっきエリュシア様と何かあった?」
「……ううん、大丈夫です」
そう答えたものの、その顔に浮かぶ不安は隠しきれていない。
「……なら、少し歩かない?」
クラウスは優しく手を差し出した。転校生は一瞬迷ったが、彼の手を取り、静かに頷いた。
二人は学園の庭をゆっくり歩き始めた。
クラウスは特に何も尋ねず、ただ穏やかな笑みを浮かべながら花々を眺めている。
その優しさに、転校生の胸の中に溜まっていたものが少しずつ溶けていった。
「クラウスさん……どうしてこんなに優しいんですか?」
不意に転校生が呟くと、クラウスは少し驚いたように笑った。
「優しく? そんなつもりはないよ。ただ……君が元気をなくしているのが分かったから」
「……」
「でもね、転校生さん。君は君のままでいいんだよ。無理に誰かに合わせなくても」
その言葉はまるで暖かな光のように、転校生の心に染み渡った。
「ありがとう……クラウスさん」
「はは、そんなお礼なんていらないさ。むしろ、君が笑顔でいてくれる方が僕は嬉しいよ」
クラウスはおどけて笑い、転校生もついクスリと笑みをこぼした。
(……大丈夫。私にはまだ、こんな風に優しい人がいる)
彼女は少しだけ前向きな気持ちを取り戻し、クラウスと共に校舎へと戻っていった。
****
一方、生徒会室ではエリュシアが窓の外を見つめていた。
その表情はどこか沈んでいる。
(……どうして、こんなに苛立つの?)
転校生の笑顔が脳裏に焼き付いて離れない。
純粋で、何も知らないくせに……なぜこんなに輝いて見えるのか。
「エリュシア」
その時、静かに扉が開き、アレクサンドルが姿を見せた。
「……何かしら?」
エリュシアは声を落ち着かせ、彼に視線を向ける。
「君……最近、少し冷たくない?」
アレクサンドルは軽い調子でそう言ったが、その瞳には何か探るような光があった。
「別に、そんなことはないわ」
「本当か? なんだか君、転校生を嫌っているように見えるんだ」
エリュシアは内心の動揺を隠し、優雅に微笑んだ。
「嫌ってなんかいないわ。ただ……少し心配しているだけ」
「心配?」
「彼女が……この学園で、うまくやっていけるのかしら?」
エリュシアの言葉に、アレクサンドルは肩をすくめた。
「心配しすぎだよ。あの子は強い。僕が見込んだんだ」
「見込んだ……?」
エリュシアはその言葉に引っかかりを感じた。
「まあ、君には関係ないさ。僕は彼女を応援してるだけだよ」
アレクサンドルは軽い笑みを浮かべ、そのまま部屋を出て行った。
その背中を見送りながら、エリュシアは拳を強く握りしめた。
(……アレクサンドル様、どうして……)
彼女の心に黒い感情が渦巻いていく。
一方、廊下を歩くアレクサンドルは、不敵な笑みを浮かべていた。
(やはり面白い……あの子がこの学園をどう変えていくか、見ものだ)
****
翌日、アルカディア王立学園は晴れ渡る空の下、いつもと変わらぬ賑わいを見せていた。
豪華な制服を身にまとった貴族たちが笑顔で談笑し、花の香りが風に乗って漂っている。
だが、その平和な風景の中に、一つだけ異質な空気が流れていた。
「聞いたか? 転校生のこと……」
「エリュシア様と衝突したらしいぞ」
「何様のつもりだよ、あんな庶民が」
噂は学園中に広がり、転校生は無言で下を向いて歩いていた。
彼女に向けられる視線は冷たく、嫌悪や軽蔑の色が隠されていない。
(どうして……こんなことに……)
昨日のエリュシアとの一件が、まさかこれほどの影響をもたらすとは思わなかった。
どこへ行っても感じる視線、聞こえる嘲笑。
「やっぱり庶民なんかが来るべき場所じゃないのよ」
「エリュシア様が正しいわ」
そんな言葉が耳を刺す。
「……っ」
胸が締めつけられるような感覚に、彼女はその場を駆け出した。
誰もいない裏庭へと逃げ込み、大きな木の陰でようやく立ち止まる。
(……いやだ。こんなの……)
堪えきれずに、涙が溢れた。
「こんなはずじゃ……なかったのに……」
彼女は小さく震え、声を殺して泣き続けた。
「泣いてるんですか?」
その時、不意に優しい声がかけられた。
「!」
驚いて顔を上げると、そこにはレオンが立っていた。
穏やかな微笑みを浮かべ、その目には憐れみも侮蔑もない。
「ごめんなさい……こんなところで……」
「謝る必要はありませんよ。ここは誰も来ない、静かな場所ですから」
レオンはそう言って、彼女の隣に座り込んだ。
「……皆さん、私を……」
「ええ、見ていますね。ですが、それは彼らが何も知らないからです」
「何も……知らない?」
レオンは静かに頷いた。
「彼らはただの噂を信じているだけです。真実を確かめることもなく、ただ流されている。ですが……あなたがここに来た理由も、どんな気持ちでいるかも、誰も知りません」
その言葉に、転校生は息を呑んだ。
「……私は、強くなりたかったんです。自分を証明したかった。ここで……認められたかった……」
彼女の声は震え、また涙がこぼれそうになる。
「それなら、あなたは間違っていません。証明するためにここに来たのでしょう?」
「……でも、どうすれば……?」
「簡単です」
レオンは穏やかな笑みを浮かべたまま、優しく語りかけた。
「誰かの言葉に惑わされないこと。あなた自身を信じること。それが一番大事です」
「私を……信じる……」
「ええ。そして、もしそれが難しいなら……僕が信じます」
彼のその言葉は、不思議なほど暖かく、転校生の心に染み渡った。
「レオンさん……」
「さあ、顔を上げてください。泣いていては、あなたの本当の強さは伝わりませんよ」
レオンがそっと差し出したハンカチを受け取り、転校生は涙を拭った。
「……ありがとうございます」
「いいえ。さあ、一緒に戻りましょう」
レオンは立ち上がり、優しく手を差し出す。
転校生はその手を取って、ゆっくりと立ち上がった。
二人は並んで校舎のほうへと歩いていった。