第一章〜入れ替わり
御早う御座います。遅くなりました。宜しく御願い申し上げます。
まるでスローモーションの画像を見せられているかのようであった。
彼女は背中を見せながら後ろ向きに落下を始めた。
「おわっ」
それは、欄馬の声であった。彼は思わず両手で、眼の前に倒れかかってくる彼女を受け止めようとしたのである。
その時である。
彼女が背中側から転げ落ちるのは危険だとみたのか、ふいに上半身を反転させて、顔を欄馬の方へと向けてきたのだ。
彼女の体軀はどちらかといえば小柄だ。かといって、空中を飛び降りるに近いような状態の彼女をそのまま受け止めたなら、欄馬の方はおそらく無事ではいられそうもない。
しかも、彼女はごく短いタイトスカートに上はデコルテも露出したキャミソールに薄手のカーディガンを羽織っただけ。
仮に運良く彼女を抱きとめてあげられたとして、今の時代、身体に触ろうとしただのセクハラだの痴漢だの変質者だだの、と言われかねない状況だ。下手をすれぼ訴えられて有罪になってしまわないとも限らないだろう。
それに、抱きとめてあげようとして、万が一にでもそれに失敗でもしようものなら、今度は過失の責任問題で訴えられる可能性もあるではないか。お前が救助に失敗したから怪我をしたのだ、とか。治療費を負担させられるというのも腑に落ちない。
いずれにしてもいいことはないように思われた。
それは、男として見知らぬ女性であっても抱きとめてあげたいもいう気持ちもない訳ではもちろんない。
しかし、どう考えても割に合わないのだ。
おまけに欄馬には他に好きな女性がいたものだから、それを不貞の一種だと思われるのも、かなり癪だ。
以上のように一瞬で考えた欄馬は、見えなかった、気づかなかったことにしよう、と心に決めたのだった。
見知らぬ彼女は階段の下まで転がって怪我の一つもするのかもしれないが、欄馬だって自分の人生は大切だ。賢明な判断をしたかった。
自然に身体は動いた。
彼は右脚をす、っと右にずらして、身体を彼女の手を突きそうな位置から遠避けた。
え、という彼女のものらしい声を聴いたような氣もした。
ほっそりした彼女の身体が横になりながら眼の前を通り過ぎようとしたその時、であった。
有り難うございました。