花嫁道中 2
アシュレイの柔和な態度に好感が持てたのか、随分と親切に世話を焼いてくれた。
或いは、アシュレイの境遇を憐れんでの接遇か。
「お気遣い痛み入ります、王女殿下」
「お休みと言ったのに。……ありがとう」
有無を言わせず下がらせたのに、侍女は温かなスープと地産の果物を運んでくれた。
それは有難く頂戴して、サッと部屋を見渡す。
部屋は、本来なら大人数を想定した広さだと思われた。
小さな村の宿ながら、気遣いが垣間見える。
様々な家具が運び込まれており、残念ながら逆に手狭になっていた。
一国の王女の輿入れのため、多少強引に、体裁を整えたのだろう。
アラウァリア側はそれなりの誠意を見せてくれている……。
アシュレイは侍女が気を利かせて置いて行った水差しで喉を潤す。
喉を滑り落ちる冷たい感触が心地よい。
ごくごくと喉を鳴らして飲み干すと、懐剣を抱いて寝台にごろりと横になった。
(少しでも、力を溜めておかないと)
千春の頃は無駄に頑丈な身体を持っていた。
だが、アシュレイは華奢な肩に白魚のような腕、細い胴回り、まさに”お姫様”と呼ばれるに相応しい素養を全て兼ね備える肉体だ。
この先の環境はこの身体には過酷だ。なんとしても生き延びなければ。
輿入れを宣言されたあの日にこの計画を思いつき、今日まで可能な限りの対策を練った。
とはいえ常に監視の目があり、離宮から出られないアシュレイにできることは限られていた。
人目を盗んで筋トレに励んだものの、外界でどこまで適応できるか。
(本当の闘いはこれからよ……私は何としてでも、生き延びてみせる……!)
アシュレイは目を瞑った。
気が立っているから眠れないかもと危惧していたが、いつの間にか微睡んでいたらしい。
気付いた時には、聞き慣れない声が忍び入っていた。
「お前がセレンティアのアシュレイだな?」
アシュレイは途端に覚醒したが、飛び起きようとしても身じろぎ一つできなかった。
「おっと、動くなよ。人違いでなければいいんだ。……が、間違いなさそうだな。見たこともないくらい綺麗な顔だ。お前がセレンティアの王女、アシュレイで間違いないな」
驚いても声も上げられない。
声の主は寝台の上に寝転がるアシュレイに馬乗りになり、大きな掌でアシュレイの口を覆っていた。
(――やっと、来たのね)
それでもアシュレイが取り乱さずに済んだのは、この展開が予想の範疇だったからだ。
あの日、咄嗟の機転で、キャヴスに一つの依頼をした。
ただ生きているだけで嫌がらせを受ける日々に鬱々としていた。
それでも単に”アシュレイ・シャプール・セレンティア”として生きているだけの少女だったら、王女としての義務と運命を甘んじて受け入れたかも知れない。
だが、アシュレイの中に千春の記憶が混じり、それを拒んだ。
どう犠牲になって、服従したからといって、報われない現実も知っている。
アシュレイが消えても国民が困らないよう、最低限の考慮はした。
(それにしてもこの男、目に余る振る舞いね。私は抵抗しないと知ってるはずなのに)
アシュレイは近衛師団、3番隊長のキャヴス・ダリウスを頼った。
キャヴスならば、アシュレイの願いを聞き入れてくれるとわかっていた。
キャヴスは裏表のない直情型の人間で、やや深慮に欠けるところはあるが、心根の優しい男だ。
アシュレイはキャヴスに密書を託し、道中で姿を消したいと懇願した。
予想通り、キャヴスは一も二もなく頷いてくれた。
しかし、逃げ出そうにも手助けを得ればもしもの時にその者も罰を受ける。
そのため”無法者”の介入をアシュレイは望んだ。
生粋の「お姫様」ならば絶対に選ばないだろう、手段だ。
アシュレイの離宮に出入りしていた宝飾品を扱う商人の伝手を頼り、荒くれの男達を雇い入れたのだ。
価値のある宝飾品も、元を辿れば盗品であることが少なくない。
商人は新品も扱うが、仕入れのルートは様々だ。
「拍子抜けするくらい大人しいな。だが念のため、口を塞ぐぞ。なに、大人しくしていれば悪いようにはしない」
月は中天半ばあたりにあるらしい。
窓から差し込む月光にはほとんど角度がなく、男の顔は不明瞭だった。
アラウァリア国の象徴的な装束である長い丈のチュニックを身に着けており、頭には被り物を被っている。
剥き出しになっているのは口元だけで、手の甲も布で覆い隠されていた。
だが、アシュレイの口を塞ぐ手の感触や、ベッドに膝が沈み込んでできる窪みの深さなどからおおよその体形は推察できる。
身のこなしからいっても、かなりの長身で、鍛えた体を持つ男性だ。