花嫁道中 1
輿入れは、宣告より2か月後の吉日に行われた。
王族の婚姻には1年以上の準備期間を設けることも珍しくない中では、異例の強行だ。
(この、頑丈な輿も、鳥籠のよう……まさに貢物ね)
輿入れ道中は、この日のために集められた屈強な護衛隊が、物々しい雰囲気を醸し出している。
街道には近衛兵が目を光らせ、馬車を操る御者や従僕に至るまでが帯剣した兵に周りを固められていた。
アシュレイは狭い輿の小窓から外の様子を覗きつつ、肩凝りを少しでも軽減すべくこまめにストレッチを繰り返す。
アシュレイは今、白絹のドレスの上に、黄金の髪を結い上げ、宝石を散りばめた髪飾りで飾り立てていた。
豪奢な飾りは肩の負担に拍車をかけていたが、そこをケチらないでくれたのは有難い。
キューベルルの見栄張りな性質の故だろうか。
(お陰で路銀には困りそうにないわね)
エメラルドの嵌った黄金の櫛にそっと触れる。
大人の親指程の大きさほどあるエメラルドは、突出して高価な宝石だ。
どうせ誰にも見られないので、堂々と大きな欠伸をしながらアシュレイは退屈と戦った。
輿入れの準備期間のおよそ2ヶ月で、アシュレイは自身の中にある異なる記憶に、内部で折り合いをつけていた。
というよりも、自然と丸く収まったと表現すべきか。
あの日に感じた予感は間違っていなかった。
アシュレイは遠い過去に矢野千春だったのだろう、と結論付いた。
軟禁同様の暮らしを送るアシュレイにはない知識だが、千春の記憶には“異世界転生”なんて言葉もあった。
一度生を終えた魂が以前の生と異なる地で、記憶を引き継いだまま新たな生を受ける。
それを異世界転生と呼ぶらしい。
まさに、この現象そのものだ。
記憶は生まれた時からあるパターンと、アシュレイのように途中から急に生じるパターンと複数あるようで、後者に当たるのが不思議ではある。
だが、それ以上を突き詰めて思考はしなかった。
そんな些事より重要な、輿入れが刻一刻と迫っていたからだ。
このタイミングで記憶が戻ったのは、渡りに船だ。
アシュレイは基本的な行儀作法や最低限の歴史、舞踊の類は教育を受けて身につけているが、世間一般的な情報は規制されて育った。
従順な人形には不要な教養だったのだろう。
窓越しの景色からは、徐々に人影が消えて行く。
物々しい花嫁行列が続いたのも、国境を越えるまでだ。
国境には、アラウァリアから派遣された先遣隊が待ち構えていた。
その兵たちに輿は引き渡される。
ここからは先はアラウァリア国の役割だ。
「王女殿下、お迎えに上がりました」
アラウァリア兵の隊長がアシュレイに声をかける。
「王女殿下は確かに、お預かりしました。責任を持ってアラウァリア国王の元へお連れします」
はきはきとした物言いに、アシュレイは微かに笑みを浮かべた。
アラウァリアは同じ文化圏だ。言葉のイントネーションがやや異なるが、これなら充分に溶け込める。
列が再び動き出し、無事に引き渡しが完了したのだとわかった。
アラウァリアは広大なので、一路王都を目指しながらも、途中で2か所の中継地を挟むと聞いている。
その日の行程は無事に終了した。
アラウァリアの兵は貸切った宿を囲み、寝ずの番を努める。
しかし、王女の輿入れであると知れれば、街を上げて歓待しない訳にはいかない。
近場の町や村の食料や酒が集められるのは当然の流れだった。
「さあ! 今夜は豪勢にやってください!! 兵の皆様も、さあ」
村の村長らしき男が大きく声を上げると、兵たちも声を上げながら、酒の入った陶器を掲げて見せた。
「王女殿下も、ぜひ!!」
アシュレイにまで器が渡され、一度は困惑する。
「皆様、本日はご苦労様でした。また明日も長き道のりとなりますが、このひと時、どうぞ心行くまでお楽しみください」
しかし、一度注目が集まったのに、何もせずには引けない。
アシュレイは自ら宴の挨拶を行い、軽く杯を上げて見せる。
「王女殿下に乾杯!!」
兵たちが唱和し、一斉に杯を飲み干す。
彼らの緊張が解れるまで様子を見守ってから、アシュレイは一足先に部屋へ引き上げた。
身の回りの世話役に一人、侍女を派遣されていた。
南の国の人間らしく、肌がこんがりと焼けた健康的な女性だ。
湯浴みを済ませ、休みたいからと下がらせる。
「貴女も慣れぬ旅で疲れたでしょう。食事を済ませて、休みなさい」
やや年の行った侍女は、疲れを感じさせない態度で微笑んで見せた。