アルダシールの決断 2
「マクシムさん、……アルダはどこへ?」
「殿下は……。所用があり、今はお傍におりません。代わりに私が護衛を務めさせていただきます」
マクシムは、長いローブで全身を包んでいた。ローブの裾が持ち上がり、剣を帯びているとわかる。
「護衛だなんて……気を遣って頂いて、ありがとうございます」
いないと聞かされたのに、つい未練たらしく、闇に目を凝らす。
知らずの内に抱いていた執着心に気が付いて、フルフルと首を振った。
いつの間に、こんなにアルダを気に掛けるようになったのだろう。
夢の中で囁かれた、優しい声が思い出されて、耳が熱くなる。
アシュレイは右手で左の肘を、きゅうと抱きしめる。
「よろしければ、御者台に上がりますか。見晴らしがいいですよ」
じっと台上を見上げていたせいか、マクシムが誘ってくれる。
「ありがとうございます!」
照れ隠しに、張り切った声を出す。言葉に甘えて隣に座ると、なるほど、見晴らしは良かった。
しかし、日はとっぷりと沈んで、見えるのは天と地の境界がせいぜいだ。
月明りは雲が遮っているし、カンテラの灯りも心許ない。
「先を急ぎますので、馬を出しますね」
手綱を握り、マクシムは軽く鞭を振るって馬車を進ませた。
「……どこへ、向かうんですか?」
夜の草原は、昼間と比べて気温がぐっと下がっている。
馬の速度はそこまで早くなくても、通り抜ける風が肌寒い。
「アシュレイ様の上着は後ろですね。少し大きいですが、こちらをお召しください」
マクシムは素早くローブを留めていた紐を解くと、アシュレイの肩に掛けた。
「ありがとうございます。マクシムさんこそ、寒くないですか?」
「私はこのままで問題ありません。上着は防寒ではなく、顔を隠すためのものですから、今は必要ありません。どうかお気遣いなく」
マクシムは当初抱いたイメージ通り、柔和な態度で親切な対応をしてくれる。
しかし、どことなくぎこちないのは……気のせいだろうか?
「間もなく小さな集落がありますから、そこで休みましょう」
注視していると、なるほど、不審だ。
前方を見据える目が、泳いでいる。
「マクシムさん……不躾で申し訳ありませんが、何か隠していませんか?」
アシュレイは違和感の正体を詮索するでもなく、直球で質問をぶつけた。
するとマクシムは面白いくらい露骨に――ぎっくんと、全身で身じろいだ。
これは、隠してる。
と一目でわかった。
アルダシールはポーカーフェイスで、なんやかやと煙に巻く。
なるほど、主従が正反対の性格でも、相性は悪くないらしい。
「ごめんなさい。隠してますね……」
アシュレイは気の毒になって、掌を立てて一旦、謝罪した。
「で、何を隠しているんですか?」
じいっと目を見つめると、いたたまれなくなったらしく、サッと逸らされる。
言い逃れができないくらい、はっきりと態度に出しているのに、マクシムは頑なに否定した。
「何も、隠してなどおりません」
「否定は無理がありますよ! そんなに動揺して、絶対嘘だってバレバレです。アルダがいないのと、関係あるんですか?」
「関係、ありません……! 私は、嘘など……っ」
マクシムの必死さは、逆に滑稽さを際立てた。
「関係あるんですね、アルダがいないのと。じゃあ、どんな理由で……」
「決めつけないでください。理由……いえ、理由など、ないのです。そもそも嘘をついていませんから」
マクシムの主人がアルダシールなのだから、アルダシールと関係があるに決まっている。
カマをかけられているだけなのに、ドツボに嵌るマクシムの姿が可笑しい。
偽りを見破る。割と緊迫している場面なのに、笑いが込み上げた。
「こんな真面目な人に嘘を吐かせるなんて、アルダは残酷ね」
理不尽に笑われても、嘘つきと不名誉な烙印を押されても、偽りを暴かれるよりはマシらしい。
マクシムは眉を八の字に、口は引き結んだまま押し黙った。
これ以上追及しても、彼は口を割ってくれそうにない。
アシュレイは境界の曖昧になった地平線に目を向けた。
地平の向こうの一点が、仄かに朱に染まっている。
きっと集落があるのだろう。
(……隠すとしたら、何かしら。どんな理由があって)
先刻、べリングバリ邸で、秘密を共有してもらって、仲間に加えてもらえたような心地でいたのに。
それをまたこうして間に線引きされる――と、自ずと悟って、唐突に虚無に突き落とされた心地になった。
“アルダは、切り離す選択をしたんだ”
ちょっと考えれば、わかることだった。
アシュレイが眠りこけて起きなくても、必要ならアルダシールは連れ回す。
逆に、不要となれば、泣こうが喚こうが置いて行く。
「私、置いて行かれたんだ……」
アシュレイはマクシムに向けたままの、呆れ笑いのような表情で呟いた。
「それで、ごねたら厄介だから……、眠らせたんだ。酷いわあ」
一つ思い至れば、容易く不審に行き着く。
あのタイミングで寝落ちするなんて、変だと思った。
だから、妙に優しい声で囁いたんだ。
「でも、だからって、食べ物に睡眠薬を盛ったりする? ちょっと非常識が過ぎますよね?」
恨み節を唱えたって、マクシムにはどうにもできない。
眠りに落ちる間際の、あの、愛しむような優しい声。
瞼に落とされた温もり。
あれは夢じゃなかった。きっと、アルダシールのものだった。
思い出されると、胸がぎゅっと締め付けられる。




