街で 2
そこから十字に道が分かれていて、それぞれの方角から様々な香りが漂ってくる。
「あ、あれ何?」
一際、芳しい匂いに誘われて、食欲をそそる匂いを放つ屋台を指差すと、アルダは指に顔を添わせるようにして答えてくれる。
「あれはソーセージだ。スパイスを効かせたものが主流だな」
「へえ、美味しそうな匂い」
「北部にはないのか?」
「ええ。セレンティアにはないわね。スパイスって? チョリソーみたいな感じ?」
「ちょりそ? 何だそれは」
「ごめん、勘違いしちゃった……気にしないで。あっ、あれは?」
ふと蘇った記憶が、常識のように口から飛び出し、訂正する。
この世界は以前の世界と似通っている部分もあるが、同一ではない。
前世の記憶はあるものの、アシュレイとして過ごす以上はこちらの世界が今の現実だ。
左わきの露店では、若い女性が寸胴鍋にバナナらしきものを放り込んでいる。
「あれは、バナナでしょう? 何を作っているの?」
「揚げバナナだ。油で揚げている」
「バナナを揚げちゃうの? どんな味? あっ、待って。あれは? ここって、海から近いの??」
アシュレイは目に留まったもの全てをアルダに訊ねた。
アルダはいちいち答えてくれる。
「マングローブ蟹か? 近いというほどでもないが、内陸に海水が入り込んでるから……おっと、その先で用を済ませてこい」
通りの半ばまで来たところで、色とりどりの布を掲げた商店を指差した。
店内を覗くと女性用の服飾品を扱っているとわかる。
「俺はここで待ってる」
掌に何かを握らせ、背中を押された。
アシュレイは下着を買うのだから、アルダについて来られても困る。
掌を広げてみると、渡されたのは1枚の銀貨だった。
(そうよね……お金がなくちゃ買えないもの……。服も用意してもらって、どうやって返したらいいのかしら……)
今まで、嫌味を言われれば生意気に反発したが、アシュレイには今、何もない。
初めて見る街に浮かれていたが、こういう場に早く馴染んで働けるようにならなくては。
そのためにもこんな所……店の入り口で怯んでいる場合ではないと、アシュレイは意を決して店へと入った。
「いらっしゃい。お嬢ちゃん、何が欲しいの?」
店の女将と思しき中年女性に話しかけられ、アシュレイはビクリとする。
「し、下着を……」
消え入りそうな声で答えると、女将は豪快に笑った。
「あっはっは! なあに、恥ずかしがって。初めてのお使いみたいに」
「いや、その、初めてではありません……」
アシュレイは慌てて否定した。
だが、真っ赤な嘘だ。
今日が正真正銘「初めてのお使い」だ。
「うちはね、全部ここで作っているから、お嬢ちゃんの体型に合わせて調整ができるよ。デザインもサイズも、沢山あるから見て行って」
「ありがとうございます」
アシュレイはおずおずと店の奥に進み、商品を物色し始める。
女将が言った通り、沢山の種類の下着が所狭しと飾られていた。
色もデザインも様々で目移りするほどだ。
レース編みにされたものに手を伸ばしかけて、はたと躊躇う。
いつもは生地だけ選べば、仕上がった品が届けられていたので、自分のサイズがわからない。
調整してくれると言っても、どの程度可能なのか。
「どうしたの。随分熱心に選ぶねぇ。誰かに見せる予定でもあるの?」
「い、いえ。とんでもないっ」
あまりにじぃっと見入っていたので、女将に揶揄される。
本当はサイズくらい尋ねれば教えてもらえるのだろうが、「じゃあ」と試着になって、肌が見えたら、困る。
泥でカモフラージュしているのは、顔と手足だけだ。
「フリーサイズ……というか、万人向けのものはないですか?」
「あるけど、そんな素っ気ないのでいいの? 若いのに。安くて可愛いのもあるよ?」
さっさと店を去ろうと、アシュレイが適当に尋ねると、女将は棚からいくつか見繕ってカウンターに広げてくれた。
左から3つは、伸縮性の高い生地で縫われた無地の上下セット。
ピンク、イエロー、ライトブルーと、いずれも淡い色味で爽やかな色違いのものだ。
一番右には、何故か総レースでスケスケ、情熱的な深紅の下着が置かれた。
「こちらの2枚をお願いします」
こんなに透けていては、着けていないも同然だ。
しかも局部の保護以外の目的も感じられて、落ち着かない。
誰に見せる予定もないが、こんなものを選んだり、身に着けているなどと知れたら、堪らない。
第一防御力が皆無だ。
アシュレイはさっと左の2種を選り分けて差し示した。
「やっぱ、そっちなのね。アハハ、ごめん。揶揄い甲斐のあるお嬢さんだね。そんなに赤くならないで」
「お会計、お願いします」
熱くなった頬を持て余しながら、銀貨で支払う。
アシュレイは会計を済ませると、紙に包んでもらった下着を抱えて店を出た。
「お待たせ……って、アルダ?」
店を出ると、アルダは両手に麻布の包みを2つも抱えていた。
「どうしたの、それ?」
「買って来た」
(私、そんなに長い時間、お店にいたかしら?)
「名残惜しいだろうが、用が済んだならもう行くぞ」
「え、ええ……」
体感では5分程度のつもりだったのに、アルダがあれだけの買い物をする時間があったのだろうか。
アシュレイは首を傾げながら、アルダの後について行く。
元来たルートを戻ると、賑わいが遠ざかるにつれ、後ろ髪を引かれる。
今度街に来られるのは、いつだろう。
引き返す道すがらでは、荷造りをしている商人たちが話し込んでいた。
「……が沢山獲れたから、王都へ出稼ぎに行こうかと思うんだ」
「都に行くなら迂回したほうがいいぞォ。俺は昨日メルンを通ったんだがよ、随分ときな臭いぜぇ。検問だの、荷の検めだあなんだって」
「そりゃ本当か? 何でまた」
「表向きは盗賊が出没するからって触れ込みだ。が、実のところは国王が妃を娶るって話があったろう? セレンティアの。そこのお姫様が姿を消したかららしいぜぇ」
聞き逃せない単語に、気を取られたアシュレイは声を振り向きかけた。
その瞬間、アルダがおもむろに肩を掴んだ。
「見るなよ。ついて来い」
危うく不審な動きをするところだった。
アシュレイは、思い直して目を下げる。
「お陰で約束の時間に間に合わねえで、えらくどやされたんだ。王様の色道楽にも困ったもんだ。消えた妃は16歳だって? 何を考えてんだ」
「なあ、こっちの都合はお構いなしなくせに、ちゃっかり税は取り立てるんだから、たまんねぇよなぁ。妃を囲うその金はどこから出てるんだって話だよ」
「お2人さん、声が大きいよ。中まで聞こえてる。こないだキュロス王子の陰口を叩いた奴が、従兵にしょっ引かれたんだから、気を付けないと……」
俯いたまま、さりげなさを装い通り抜けた。
小さな街だと聞いていたのに、こんなところにまでもう、情報が伝わっているのか。




